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生活保護日誌.84

「ただ目の前のことに没頭する」という殊勝な心掛けが、所詮逃避であると気付いた時、僕の生活を彩る周辺の物々、自分が成してきた家事労働や運動や暇つぶしがさして特別なことではなくごくありふれたものだと気付かされ、「ああ、僕はいまだに僕なのだな」と過去の僕と今の僕が地続きなこととして捉えざるを得なくなる僕の脳の機構をもってして僕は、「今を生き切っているぞ!」という充実が自分の思い上がりにしか思えなくなり常に暗い目をたたえた視線の定まっていない”ボウボウ髪のかがみこんだ僕”が傍にいたこと、その存在に気付いてきたけど気付かないふりしていたことの罪悪感と「いっそのこと消えてなくなってほしい」みたく自己都合のなすりつけを自分に対して行って、今になってきてまた、どこに進めばいいのだか、分かりたくもなくなってきた。

どこに進めばいいのか分からなければ、迷えばいい。

目的地につかない不安に駆られることがあれど、迷っていても動いている。

まあ、こうしてまた文章を書いているからジッと座っているのだがそれも「ジッと座る」ことに意味があるのではないかと、意味=言葉=文章を書くを以てして、自分の負い目について目を伏して歩いてきた分だけ引き返す。

文章なんて書きたくないよ。

僕の綺麗なところだけ見ていてよ。

胸の裡を曝け出されるのは恥ずかしいじゃんか。

無表情の底に沈んだ自分らしさをサルベージして、今か今かと引き上げられる宝箱の中身が知りたくなってきて。でも、もう、我慢ならん。

ええい、もう全部脱いじゃえ。

「位置についてぇーっ、よーい、ドン!」

(  DIVE  )

そもそもどこかに進めているのだという確信を持っていることが甚だしい。

清廉潔白でカッコつけたくて。

でも、そんな自分ばかりじゃあ、ないよな。

水底にいる僕と顔が合った。不思議と向こうがニコッと笑った。

発車しまーす、発車いたしまーす。

垂直落下の電車が水底へ。

駅3

さしたるも書くことがない。そうして僕はいつも無表情で無言で日々を過ごしている。でも本当はうちっかわでは色んなことを思っている。その色んなことは、曖昧で、極楽に導いてくれると思いきやズドーンと奈落の底に突き落とす勢いもありやで、まあつまり、言葉にしていないからこそ曖昧であり他者との関わりが希薄な分だけ自他の境界があやふやで、具体から遠ざかって、見えてくる世界を妄想で補完する自己防衛システムが過剰に機能するもんだからその分また他者が怖くなって。

道を歩くことすらもやっとだ。人を見るなり車を見るなり猫を見るなり全てが真剣勝負。その気配にすらも体が勝手に動いて、逃げるか、「この道は明け渡さんぞ」と先回りしてまっすぐ視線を相手に向けてどちらが道を譲るか譲らないかでもう、僕は完全にヤバい人になっています。

ヤバくていいんです。ヒトも獣ですから。鳥さん豚さん牛さん魚さん諸々食べて他の命を礎にして生きていますから。

と、そんな極端な事を考えているなあとついハッとして我に返ると、広汎性発達障害と診断されているわ、精神障害保健福祉手帳を持っているわ生活保護受給しているわで、社会的に僕はどう見られているのかを自覚的に見ると、どうしても、僕が生きる上で支えとしている自信というものは妄想で塗り固めた脆い基盤の上で立っている不安定なものなんだなと、時たまに来る情緒不安定な自分を以てして傷疼く。

昨日なんか早朝にマンションのごみステーションに紙ごみを捨てに行き、ごみステーションたる倉庫の引き戸が互い違いになっていたのを元に戻してその場を後にしようとした時にぬっと背後に人が現れて「すいません、すんません」と早口で手刀切りながら僕と同じく紙ごみを持ち込みに来た瞬間に、僕はその場で「おはようございます」とその場を譲ったのだが内心落ち着かなくて、そんな自分を認めたくなくて、ゆったりとした足取りでその場を後にしたのだが、自室に戻った瞬間「あー怖かった、怖かった」と口衝いた。

これは切り替えなければいけない。そう思った僕は、ジャージに着替えてまだ夜だよと呼べそうな暗く雨がぽつぽつと降る屋外へジョギングした。

「ぬっと背後に人が現れる」なんて、いつも僕がしていることじゃんか。僕は人と動線がかち合うのが嫌いだ。その場に居着くことをみっともないと思い、気配の雷線を身体の稜線に感じることを合図に逃げるかそれとも動線を確保して微動だにせずにただ前を向いて歩く。

もう霹靂一閃で我妻善逸ですよ。

ぴゅっと瞬時に前足踏み込みながら寸でその場にサッと止まる。

まあこんな能力は金にもならないですけどね。

たまには自慢させてくださいな。

僕が住んでいる地域はとかく歩道が狭い。人が一人通れるくらいしかの範囲の歩道は、僕にとって拷問に等しい。100メートル先の人の気配を察するほどに神経が細やかな質の僕はすぐ人に気付いてしまうし、その人が僕に気付いてさっとどこかに行ってしまうことを「(僕が変だから)避けられた」と過剰にネガティブに捉えたり、だからと言ってどこにも行かずにすれ違うまでお互いが同じ道を歩いても、それまでの時間が、苦痛でたまらない。

自分から道を譲るにしても、相手に恐れおののいて尻尾を巻いて逃げているような要らぬ屈辱感を抱く。

つくづく僕は面倒くさい人間だなと思う。

その日ジョギングをしている時はもうドキドキの怒気はらませて無表情でゆっくりと「もうこりゃウォーキングと変わらないぞ」くらいの速度で進む。

人は見ない。でも人の存在は見なくても分かる。だから人を察知した瞬間にその人が通る動線を定めて車道を瞬時に確認して対岸の歩道に移動したり、ルートを変えたり、そのまま突き進んで相手が譲るのをジリジリ待ったり。

他人からしたらたまったものじゃないわな。僕に道を譲られても「ここ道開けたから早よう通れや」と上から目線な態度やし。「この人どこ見てんやろ」とどっちに行くか分からない無表情の奴がジリジリ迫ってきたら「もう完全にヤバい奴やん」ってなって警戒すること自明の理ですやん。

まあ実際にその人に訊いてみないと真相は分からんけど。その『訊いてみる』ことすらしない「僕は口下手ですから」の言い訳でコミュニケーションを棚上げして、どんどん本来実体持っている他人を「他人」という言葉だけで捉える自己都合の権化となった僕の責任が向かう先は、自意識過剰、恥ずかしさ、胸の息苦しさ。

僕は今までさんざ苦しいことがあって今でもそれを思い出しては泣いてしまうこともあるけど、その分だけ僕が気付いていないとこで人を傷つけてきた加害者の側面も持っている。認めたくない。でも迷惑かけてきた。

昨夜は「おかえり園田くん」の白猫さんのぬいぐるみ抱いて寝てぶつぶつ一人反省会。あの時はすいませんでした、すいませんでしたとその日一日出会った人の映像を脳裏に展開させながら。

でもまあいいやと。やってしまったことは仕方ないし今更真人間として生きようなんて思わん(真人間と人に思われたいよう)

二律背反した感情なんて持っていたら言葉なんて当てになりゃせん、だったら黙ってひたすら生活していけばええ。はーっ、だからこんなに押し込めて人様に無言で殺気まき散らして、ありもしない妄想に押し潰されそうでクヨクヨ昨夜不安でどうしようもなくなったんだろ、ああん?

少々どころか多々情緒が混在しているから今日は、これくらいにして。

まだ記憶として留め置かれている過去をさっさと手放してしまいたいから、これから少しずつエピソードを記事にさせていただきます。

「言葉(意味)なんて持たない生活してやるー」

って思って毎日黙々炊事洗濯掃除、買い物して運動して早寝してスヤスヤしててもまっとうな人間でありたいと思っても、

やっぱり僕もただの人間です。

情報を傍目で見てすべて得られたような気がして神の目線とやらに立てたとしても、錯覚やらに。自己改めのささやかな抵抗として口下手でもせめて文章にして自己に境界線を引く。

これからもよろしく。

今月のレンタルWi-Fiの貸し出し期限が来るまで頼むで。ほんで来月はオフライン期間や。

おっしゃあ、また明日も見てくれよな。

また👋




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