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ゲームは叡智である

なんで人間って争うんでしょうねぇ、愚かですねぇ。

って思ってしまうのは仕方ありませんが、

私も戦争は愚かな行為でしないに越したことは無いと思います。

なのですが、人間だけにとどまらず生きもの全般にとっての『生きる事』、

その本質とは『闘い』『争い』なのだと思います。

生きものはまず生き抜かねばならず、必ず自分とは別の生命を奪って、

それを糧として生きて行く必要があります。

同じ種の中でも個体により能力が違い、環境も違い、種として残って行く

ためにも争いは避けて通れません。みんな同じだとみんなぶっ倒れ

ちゃいますからね。多様性と言う奴ですか。

大昔の人類もきっと食料を争って集団の争いが絶えなかったのだろうと

思います。争いに負ければ別の地を目指すか滅びるかでしょう。

でも、人間はゲームと言うものを発明しました。

言わば、疑似戦争です。人が死なない闘いです。それで勝敗が付けれます。

昔は剣闘士(グラディエーター)なんて本当に殺し合ったりして

いましたが、今はそういうのは無いと思います、多分。

ゲームはゲームの世界で勝敗を付けると言うものです。本当の戦闘で

あればどちらかが死ぬまで続く所を、どちらも傷つく事無く勝ち負けを

付けると言うものです。そのゲームの延長上にスポーツと言うものがあるの

だと思います。e-スポーツはスポーツなのか?なんて言われたりしますが、

私に言わせればスポーツがゲームの一種であり、主従が逆だと思うのですね。

将棋やチェスの様な駒を使ったものなんてそのまま闘いが

モチーフになってますからねぇ。

昔は今の様な画像処理の技術なんて無かったので、テレビゲームなんて

出来っこ無かったので必然的に体を動かすスポーツがゲームとしての

主流だったのではと思います。少なくともゲームのおかげで勝ち負けが

ついても誰も傷つかなくなったのです。激しいスポーツはケガもしますし、

死亡事故も起こったりしますが、あくまでも不慮の事故です。想定外です。

だからこそ、オリンピックは『平和の祭典』なのです。

だから国威発揚とか言って戦争に向かうための士気高揚に使うなんぞは

許されることではありませんな。

なので、ゲームはあくまでも現実とはかけ離れたルールで良いのです。

非日常が良いのです。その決められたルールで皆平等にゲームの中の世界で

争う、それが面白い。ゲームをしている人も見ている人も楽しめる。

本当の戦争なんかではこんな風には行きません。

そうやって、人間は本来持っている闘争本能を上手く消化する術を

身に付けたのだと思います。

ちなみに、今回ロシアが戦争を起こした訳ですが、これを茶化して

不謹慎だと炎上したにもかかわらず何が悪いのか良く分かっていない

残念なユーチューバーさんが散見されるのですが、それは多分、

ゲームはあくまで非日常で、日常に近すぎると不謹慎に

なる事がよく分かっていらっしゃらいないのだと思います。

でも最近は技術が向上し過ぎて、ゲームも本当の戦争に近い、近すぎる

ゲームになっているような気がします。これは私はあまり良い事とは

思えません。ゲームと同じように戦争を始めてしまう、新しい時代に

突入してしまうのではないかと。ゲームが本当の闘いに回帰してしまう

のではないかと。すでに、ゲーム感覚で爆撃を行ったりしてますしね。

そのバランスは難しいとは思いますが、だから私は昔の

レトロな頃の(テレビ)ゲームの方が好きなのです。リアル過ぎるのは

やりたいと思わないのですね。それよりはスポーツの方がまだ

非日常的なのでそちらの方が良いですね。

まあサッカーなんかはワールドカップで暴動起こったりしますけどね…。

選手が亡命したりとか…。それは見る側の心構えの問題ですな。

ただ、近現代で戦争をする為政者にはそんな側面はなくてただ富と名声を

求めて他国を侵略するだけなのかも知れませんが。

ただ、スポーツやゲームは人間の叡智なのである。

これだけははっきりしています。



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