見出し画像

㊗︎大大大大大就職

やあやあ、最近不定期な日記すら書けていなかったけど、別に飽きたわけじゃないんですよ。単に忙しかったのです。いや、そう詰め詰めに忙しかったわけでもないんですけど、いわゆる転職活動をしてまして、なんか僕そういうやらなきゃいけないことがあると色んなことが手につかなくなるんですよね。
ゲームとかドラマみたりも、考えないといけない系がことごとく。あんまり考えないで良いし展開も知ってるカービィWiiDXをやっていました。マホロアエピローグ良かった。

そしてまあこれを書いてるということはやっと終わったわけなんです。いやぁ1ヶ月程度でしたがほんとめんどくさかった。
けど、僕が学生のときやった就活よりは全然マシだったかな。なぜなら就活エージェントを利用したから。いや別にここから就活エージェントの良さをあげつらって最終的にリンクからエージェントサイトに誘導するわけではないんですけど、思っていたよりかなり良かった。ていうか控えめに言ってもだいぶお世話になった。

昔会社を辞めたてのとき一度どこのか忘れたがエージェントとZoomで面談みたいなのをしたんだよ。けど僕が何を言ってもロボットみたく繰り返し半導体の工場を紹介してきて怖かったんだよな。
あーそういう系はちょっと辞めときたいですって今、完全に断った5秒後にそうなんですねー、実は今半導体がアツくて〜とか言い出してあれ?俺無限ループ入ったのかな?もしくはこいつがロボットなのかな?自分を作り出した工場に転職希望者を斡旋してるのかな?と恐怖したのを鮮明に覚えている。
そうしてエージェントに絶望した僕は半年のニート期間を経てアルバイトを始め、今に至るのだ。元々1年くらいの予定で、資格も取っていきたいとか言っていたけれど、蓋を開ければモンスターを倒したり天下統一したりしまくっていたらおよそ2年近く経っていて、プレステのトロフィーはたくさん獲得したものの資格は何も取っていなかった。

とは言ったものの、自己満足にはなるけれどこの2年個人的にはものすごい実りがあったというか、精神面でめちゃくちゃ成長できた自負がある。
まあいちいちどういう気づきがあったのかとか説明するのも野暮ったいというか、口や文で説明してもわかりづらい類のことというか、結局そういうのって自分自身が思い知らないと実にならないことだから、わざわざここであげつらう必要もないだろう。
内容自体は割とありふれたどこでもよく言われることだ、ポジティブな類のそれだよ。

アルバイトの内容だけでなく、ドラマを見たり、こうしてnoteを書いたり、シンプルに考え事をしたり、なんか就職という大きなタスクからある種逃げ続けた2年だったからこそ、そっちに深く入り込めたというか、よくテスト前こそ掃除が捗るとかいうけれど、そのもっと長期バージョンみたいに、色々と物思いに耽る余地があったなとも思う。
まあ単に、仕事も楽しかったしな。職場の人とも不思議と普通に話せたし。普通に話せたというのは、今まで僕はお金を稼ぐ場で人と必要最低限の言葉しか交わせなかったのだけど、なぜか今のバイト先では割と素で喋れている。
フルタイムだから昼ごはんを食べる時間があってその時の人との距離感が近かったり、色んな年齢層の人がいるのもあるかもしれない。
まあとにかく悪くない、というかかなり楽しい2年間だった。実際あともう少し給料が高かったらずっとこうでも悪くないかもって思っていたぐらいだ。

しかしそうもいかず、俺の大学の学費を出したいわばパトロンである母方の祖父母からまだ就職せんのかねと圧がかかっている事を母親伝いに聞いた。
いやまあ1年目の段階で普通にそれ知ってたんだけどそれでも重い腰が上がらずこうしてやっと2年目になんとか這いつくばりながらエージェントのオフィスまで行ってあとはそれに従いながらって感じだ。なので実際はほぼエージェントがやってくれたようなもんなんですけど。
余談になるが、エージェントの中でもピンキリはあると思う。恩返し的に明記しておくと、マイナビジョブ20sというところは悪くなかった。最初Appstoreのレビュー欄ではあまり良い評判がなかったから正直そんなに期待せずに行ってみたんだけれど、少なくとも僕のとき出てきた人は最初の面談でしっかり希望とか現状とかを聞いてくれて、その後も会社との対外折衝日程調整など手厚くサポートしてくれた印象だ。
よくYahoo知恵袋なんかで、エージェントからの連絡が来なくなったとか、それが無責任だなんて話があるが、僕から言わせれば当たり前というか、採用が決まれば企業からインセンティブが入るとはいえ、僕らに対しては無償でその手の対応をしてくれている。だがあの人らはボランティアではないのだから、見込みがないと思ったらそりゃあ連絡も少なくなるし、選考だって無限に枠があるわけじゃない。むしろ僕はいつ見限られるか怯えていた。あちらも無償でやってくれているのだからこちらも全力でそれに応えねばなるまい。

脱線したが話を戻すと、実際のところ僕は、祖父母の言葉など歯牙にもかけていなかった。むしろ反発心から逆張りでめちゃくちゃ不安定な仕事に就いてやろうかとまで思っていた。
けどまあやはり、お金はもうちょい欲しいかなぁとも思っていたので、動機はただそれだけだった。

そして、結果的には、奇跡とも言えるくらいに大成功だった。というのも、当初希望していたより遥かに、というか想像を絶するほどの好条件で正社員になれた。
家からそう遠くなく、内勤、残業もほぼなく、何より破格の収入だった。前の会社では何年待っても逆立ちしたって届かないような額なのだ。加えて私服勤務というのがまた良い。

採用してもらえたのは色々と奇跡や偶然、何よりエージェントが色々探してくれた部分が大きいと思う。新卒を1年も経たずに辞めて半年ニートの後アルバイトで食い繋いでいた僕にとっては願ってもない環境だった。
自分で色々レビューサイトとか、面接してくれた人とか会社の印象等々鑑みて良い雰囲気だったし、大丈夫そうなのだけれど、仮に何か問題があったり、ていうかもう毎日殺人未遂みたいなパワハラを受けたって笑顔でいられるほどの好待遇だ。

そもそも、極めて運が良かった。詳細は端折るが、とにかく、たまたま明らかに人生を変えるような選択肢が舞い込んできた。
最初はそのあまりの都合の良さに手が震え胸が揺らいで、気が気じゃなかった。
それを提示された次の日は昼から地元の海や山、小さい頃良く行った場所を巡ったり公園の桜を眺めたりして荒ぶる精神を落ち着かせるのに必死だった。
それらを経てなんとか落ち着き、このあまりに都合の良い話が何を表しているのか、なんとなく理解できた。
これは、俺が辿るべき道であって、俺は今この運命に対して全力で立ち向かうべきなのだと。
僕には夢がある。それはタワーマンションに住むことだ。まあそう笑うなよ、人の夢なんて極めて俗っぽいものなのサ。
タワマンというと定義が曖昧だしなんというか厳密には“良いマンションに住みたい”だな。
良い車に乗りたいとか、女の子にモテたいとか、家を建てたいとか、そんなもんでしょ夢って。あ、ちなみに一軒家には興味ないんですよね、家の中に階段があるの意味わかんない。

まあとにかく、会社を辞めたときにあ、ムリかも〜と諦めかけていた夢が再びチラついて、その瞬間わかったのだ。
ああ俺は今、自分の運命とまじまじ向き合っていて、それは全力で掴み取るべきものなんだと。俺はこの先、いつかタワマンかそれに準ずる良いマンションに住むし、それはもう決まっていて、俺がそれを望み、全力で目指す限り運命はそれに応えるのだと。

だから、悔いを残さないという意味でも全力で頑張った。いつものテスト勉強や必要な作業をギリギリで仕上げるそれとはまた違うエネルギーが最終面接前夜の俺にはあった。
具体的には僕はよく作業の際家から少し離れたマクドに行く。それよりもっと近くに別のマクドがあるのだけれど、そこは家に近いから気を抜くとすぐ帰ってしまうのだ、これだけで僕の集中力の無さが浮き彫りになったと思うが、それを解消するためあえて家から2駅ほど離れたマクドに行くのだ。
最終面接前夜は普通にバイトがあったが終わってからそのままマクドに行き2時間ほど回答を対策。
集中力が切れお腹が空いて家に帰ってメシを食いシャワーを浴びてからまた出掛けて日付が変わって閉店するまで対策。
帰ってから夜更かしして3時半までまた対策。面接は昼だったので朝少し早く起きてマクドに向かい8時から10時までまた対策。
遅刻等なんらかのアクシデントが起こるのが怖くて4.5本早い電車に乗り電車の中はもちろん向こうの最寄駅についてからも回答する練習をして、バキバキの状態で面接に臨んだ。

しかし始まってみると存外、条件説明の比率が極めて高く、おしっこうんちを漏らしたり大声を挙げて走り回ったりしない限り採用自体はその一つ前の面接の段階でほぼ決まっていたような感じだった。
あっちもかなり砕けた雰囲気で、何時間もかけて考え就活エージェントにもとても良いと思います!と太鼓判を押され、想定されるほぼ全ての質問を網羅した珠玉の回答群たちも、もはやお堅い真面目な発言をする方が野暮だなというレベルの柔和な雰囲気に出すタイミングを失いついぞ日の目を見ることはなかった。

ただ、それでも良かったと思っている。良い結果が出た喜びとは別に、その過程に今、ある種の満足感を覚えている。
僕は目の前に現れた運命に対し、自身がその時点で思いつく全てをやり尽くした。
そうしたのには主に二つ理由がある。

まず一つは、後悔をしたくなかったから。
長い人生心残りは色々あるんだろうが、今回のはレベルが違う。今後の人生を明らかに大きく変える。
このチャンスに対して、もし少しでも妥協や自分への欺瞞があったら、この先ずっと思い出すだろう。
良い結果ならまだしも、悪い結果が出てしまったら。この手の人生の分岐点において、やれることを全てやらなかったことへの後悔というのは、死ぬまでずっと折に触れてチラつく苦く歯痒い埋まることのないピースになってしまうと思った。

この世は不条理で、かつ予測不可能性に満ちている。人の努力で動かせる振れ幅はせいぜい20%くらいだろう。
更に残酷なことに良い結果を手にするのにあとどれくらい足りなかったのか、また悪い結果はどれくらいの確率で迫っていたのかとか、そういう内訳は厳密にはわからない。
テストであと何点だったとかそういうのはあくまで数値上の話で、その何点かを自分が取るために必要な何かをどうやったらその手に握れていたのかなんて分かりやしない。
だからこそ、20%全てを自分が思いつく“やれること”で埋め尽くす必要がある。それが14とか15%だったら、場合によっては生涯引きずることになる。
もちろん結果に伴う喜怒哀楽はあるだろうけど、全力を注いだなら後悔はしないだろう。
あのときこうしていればとよく言うが、そのとき思いつかなかった選択肢なら100回繰り返しても同じだから、結局できることはなかったのだ。

今までだって何かしら頑張ることはあったが、1日2日の話しながらここまで思いつく全てをやったのは初めてか、受験以来かもしれない。
まあ蓋を開ければ、おそらく僕がそれをやらなくたって面接官の頭をバインダーではたいたり来訪者用の内線電話にポケモンシール(パンについてくるやつではなくて、ポケモンヌードルについてくる誰も集めていない方)を貼りまくったりしない限りは採用が決まっていたようだったけど、それでもなんだあれやらなくて良かったじゃないかと不思議と思えなかった。

それが二つ目の理由で、運命に対し命懸けで向き合いたかったから。
いや別に、面接練習をいくらしたって死ぬことはないが、それくらいの気持ちで、いわゆる死力を尽くしてみたかったのだ。
後悔をしたくないというのとは別に、それ自体がやりたかった。
僕がここ最近運命とかそういう単語をよく使うのはもうすぐ出せそうな今別で書いているnoteに嫌というほど書いてあるから、またいずれ見てもらえれば嬉しいんだけど、まあとにかく運命だと思える場面で、思いつく限りをやってみたかった。

結果としてあれはすごく楽しかった。面接の対策自体はそれまでもやっていたし、それは別にそんなに楽しくなかったというか、作業感があったのだけれど。
数日前とんでもなく良い条件を提示されて、それを受けるかどうか、また手にすることができるのかどうか定かでなかったあの時に、全力でそれを掴み取る道を選んで、またそのためにやれることを考えて隙間なく実行していたあの時間というのは、なんていうんだろうな…壮大な表現なのになぜか月並みな感想になってしまうんですけど、“生きてる”って感じがしたんですよね。

もちろんずっと生きてるし、それ以外でも全然感じることはあるんですけど、なんだか普段の比じゃなかった。あの感覚は正直もう一度味わいたいと思ったし、それを受けて諸々の心境変化もあって、その中で一つ言えるのは、また同じように運命が変わるような場面に立ち会うことになったら、また俺はそれができるんじゃないか、ていうかしたいな、ということだ。
今回は多分それをやらなくてもいけてたかもしれないけれど、この先もっととっと大きな決断を迫られたとき、本当に死力を尽くさなければ、本当に命を使わなければ手にできない何かを選びたくなるかもしれない。そんな場面で、それこそ多分、やれる限りの全てをぶつけられるんじゃないかと思う。

それともう一つ、僕にはあるときからずっと、曖昧な答えしか出せなかった問いがある。
こうして書くからにはその答えが今回の諸々を経て出たってことなんだけど、まずその問いが何かから説明したい。
その問いとは、「なぜ僕は最初の会社を辞めたのか」である。いや、もっと言えば、「僕は何から逃げたのか」だ。
理由に関しては色々挙げてきた。パワハラ?研修がダルかった?社会でうまくやっていけない自分が嫌だった?同期と能力を比べられるのが嫌だった?どれもそれっぽいし、隠したいわけではなかったから聞かれたり自分から言うときにはこの中のどれかをランダムに言っていた。ランダムにしたのではなくて、どれもしっくりこないから毎回答えが変わるのだ。

自分で一番しっくり来る答えが思い浮かばず、そういうやり口に甘んじるしかなかった。
けど対照的に、その当時でも一つ言えることがあった。それは、「自分はいつかこうなることを望んでいた」ってことだ。
いや、会社を辞めるってことを望んでいたわけではない。小中高と勉強して、大学を出て、会社に就職してという、よくある普通のレールを、ヒィヒィ言って半ば引きずられながらなんとか乗ったままでいることである。
ずっとそういう感覚があった。元々頭も良くないし成績はカス以下の中学時代で、それでも就職したくないからなんとか公立の一番下の高校に入れるくらいは勉強して、その先もずっとそういう、なんとか最低ラインにしがみついて形だけこなして就活とかそういうイベントを誤魔化してきた感覚があった。
でもそれはいつかダメになるだろうと心の奥底で思っていて、むしろそうして限界に直面するのを待っていた。
そういう、ハリボテで伽藍堂な自己の崩壊を心待ちにしていたから、会社を辞めることをそこまでの自己の破壊と捉えてどこか安堵していた。

しかし、それは思い違いだった。というか、180度真逆だった。僕は自分や自分が辿ってきた道の見方を致命的に誤っていたのだ。
そう確信したキッカケは色々あるが、一番大きいのは、今回の採用の恐らくだが決め手となったある問答だった。
最終面接がああいう、ほぼ意思確認だけのものになったのはその一つ前の面接での何かで採用が適当だと僕を見込んでくれたからであろう。
あのとき何を聞かれ、何を言ったか緊張や時間経過も相待って不鮮明な部分も多いが、一つだけ印象的な問答があった。
詳細は伏せるが、とかく意表を突く、試すような質問だった。それも中々対策が困難な類の。
突然のパンチラインに正直頭の中では慌てふためき焦ったがどうやったって答えるしかないため微妙な相槌や言葉を紡ぐことで稼いだ僅かな時間でもう外に音が聞こえてるんじゃないかと思うくらい頭をフル回転させながら急場しのぎの解答を口が唱え始めた。
頭で考えているつもりでその実思考などとうに追いつくことを諦めたような、本当に今口の中で生まれてすぐさま漏れ出したような突貫工事の回答だった。
今話してる内容に肉付けしながらその次に話すことを考えているような、あのときは2.3度体温だって上がっていたんじゃないかと思うほどの全身全霊の回答だった。
答え終わってみると面接官が「ああそういう人はうちとマッチしてるかもしれない」と思いの外好意的な反応で、そこからなんとなくだけどあちら側も少し緩やかな雰囲気になったというか、ある種僕を受け入れたようなそんな空気に変わった気がする。

そう、それなんだよ。その時や、採用の報せを受けたときは、ああなんとかなった。とか、最初の面接で何を見込まれたのだろう。とか考えていたが、違うんだ。今言ったこれこそが俺の能力で、才能であり、俺そのものの象徴と言っても良い。

俺の才能というのは、急ごしらえで、その場しのぎ。取り繕いの突貫工事。虚構であり粉飾である。

言ったことがたまたま相手の考えにマッチしたと思っていたが、思い返せばそうでもなかった。一応より良い条件を提示される前から良いなとは思っていたから、僕なりに企業研究をしていた。企業研究と言ってもホームページを読み漁ったり社長のインタビューを読むことだけではない。
近年は就活レビューサイト、要は在籍者や、実際に選考を進んだ人が書いた生の意見が載ってるサイトも多い。そういったところを見ることもまた裏の企業研究と言えるだろう。
それらを行った結果から、詳細は伏せるがその会社のいくつかの傾向はなんとなく見出していた。
選考に落ちたり、会社に不満のある奴が腹いせに無茶苦茶書いて参考にならないと思うかもしれないが、有象無象に思えてよく読めばみんながある共通の傾向について口にしていたり、どんな奴もここには触れてるってことが見えてくるのだ。思えばあのとき口走った中には、それを下地にした回答も含まれていた。
まあ、あの土壇場でそれが無意識下でも頭に浮かんだのは普通に幸運なんだけど、それも含めて俺の才能なんだと思っている。

時には姑息に、時には愚直に、ネット検索もするし、有料のサービスも使うし、人に力だって借りる。とにかく何もかもを利用して望んだ結果を、見せたい自分を、掴みたい運命を欲しいままにする。それこそが僕の才能だった。
ずっとずっと、いつもギリギリのその場しのぎでありそれにももう直ぐ限界が来ると思っていた。けど違ったのだ。その泥臭さこそが僕の才能の本質だったのだ。

あのときされた質問の意図を考えてみると、そもそも事前の対策が困難な問いかけであったため、用意してきた回答が通用しないもの、そして土壇場の回答力を見ているわけではなくて、対策できていない状態で紡ぐ答えこそがその人間の本質に近いものであるという意図なんだと思う。
そういう意味で僕は、その本質とはある種かけ離れているにも関わらず、相手が望む答えを出してみせたのだ。それも急ごしらえで。
いや、実はそれは無意識下での僕の本質が出ていて、そこがマッチしていたんじゃないかとか、それ以外のことだって急ごしらえではなく、自身の地の能力なんじゃないかとか友人の中ではそういう優しい事を言ってくれる人もいるかもしれないけれど、どうやってもそうは思えない。
僕は昔からいつだって紛れもなくバカだったし、短絡的で感情的だ。世の難しいことは知らないし、中学生の頃から本質は変わってないのだ。いや謙遜や僻みでなく、実直な自己評価だと本気で思っている。
そして案外それも悪い気はしていない。それこそが僕が今まで自分の才能で諸々を乗り越えてきたことの証明に他ならないからだ。

よく大人に礼儀正しいとか言われるがそれだけは絶対にあり得ないと思う、第一俺に人への敬意なんかないんだから。
ずっとずっとテレビや漫画で見た社会人の口調を真似しているだけ。
こうやって書いた文章を褒めてもらえることもあるけれど、それも同じことだ。昔のnoteを見てもらえれば顕著だけれど、とにかく文学的だったり、詩的な文章を書こうと必死で、取ってつけたようなそれっぽい表現を多用していることが見て取れるはずである。もし今僕の文章がそれに比べて上手くなったと思うなら、それは使い方というか、見せ方が巧妙になっただけで、本質は変わっていない。
大学受験もそうだ。独学で合格したとか言えば聞こえはいいが、本質的にはただ暗記をしまくったという、受験英語に始まる受験用の学力の極致である。
幸い記憶力には多少自信はあったから、英単語も英文法も、日本史の歴史上の人物や事件も、ただただ覚えまくった。
どうやって覚えたと思う?自他共に読めもしないような汚い、というかもうただ書き殴るためだけの文字群でそれらを覚えるためノートが精神病患者が使っていたみたく真っ黒になるまで書き続けた。そういうノートが何十冊も生まれた末になんとか合格できただけである。
理数系はそもそも使わなかったし、現代文は元々得意だった。古典は最後まで意味がわからなかったから全く勉強せずに当てずっぽうで答え続けていたのが割と当たる。なんか古典ってさ、漢字である程度メタ読みできるよな、人の学力を図るのに適していないと思うわ。
英語、日本史はそれらの暗記で乗り切った。長文は単語を知っていたから読めただけだ。全部そう、ただそれだけなんだよ今までずっと。良い結果が出ていたなら少しは自分の能力だと思いたくなるものだろうが、どうやってもそれが腹に落ちないしむしろその場しのぎだって思う方が何倍も納得できる。存外嫌な気もしない。

さあ、長々と書いてきたが最初の問いに戻ろう。「僕はあのとき何から逃げたのか」
答えは、「自分の才能から逃げた」のだ。
中学、高校、大学、会社と、その場しのぎの力で誤魔化していく対象はどんどん大きく、社会的なものになっていった。
当然求められる姿や結果はより再現が困難なものになっていく。
僕はさっき、ハリボテで伽藍堂な自己がいつか崩壊することを望んでいたと言ったが、それも180度違った。その場しのぎでやり過ごす自分の才能が、どこかで決定的に通用しなくなるのが怖かったのだ。

思えば最初こそ、おおやった間に合わせてやったぜという才能を発揮する喜びはあったような気がする。
けど、次第に求められるハードルが高まるにつれて、追いつめられるような感覚が強くなって、いつかどこかで何かが決定的に崩壊するのを、空っぽの自己にピリオドが打たれるのを薄らと望むようになっていた。
そうして僕は、自分の才能に向き合うことをやめたのだ。その後も多少は求人を探したり、資格勉強をしてみたが、かつての泥臭いやり口を使う気にはなれなくて、どれもあまり上手くいかなかった。
けど、最初に言ったようにこの2年間は諸々の実りがあった。ようやく重い腰を上げて、よもや思ってもみない好機がその身に訪れようとしたとき、全身全霊を賭すために僕が忘却の彼方から掘り起こしたのはかつて伽藍堂だと投げ捨てたそれだった。
全て自分で考えついた方法で、決して対象を甘く見ず、慎重に、かつ愚直で時折姑息に、やれる限り思いつく限りの全てを注いだ。

そうして結果を手にして、その現実をようやく受け入れられたとき、僕は理解した。
これが僕の才能で、僕自身の象徴なのだと。
今まで逃げてきた、向き合わずに恥じた、いや恐れたそれは、どうしようもなく自身の本質と結びついていて、本気で運命に向き合いたいと思ったとき否応なく戻ってくるものなのだと。

それに気づいたとき、いろんな懸念とか、不安が払拭されて、大きな心境の変化が起きた。一番大きなもので言うと、この才能をもっと活かしたいと思った。
どうしたって離れられないならむしろ、ガンガン利用していこうじゃないか。才能だったのだと分かった今、愛着が湧いたし、もっとそれを使っていきたくなった、これを利用してどこまでいけるのか試してみたくなった。
何しろ、2年の間に得たあれこれは、この才能をより強固なものにしている。昔はそれこそハリボテだったかもしれない。自分自身限界の到来を危惧していたのなら実際のところ限界かそれに近いところに居たのかもしれない。
だが今は違う、積み重なった様々な知識や経験が、本物と見紛うほどの再現を可能にしている。何より僕自身が自分の意志でそれを行使するのだから、遠慮はないしモチベーションが全く違う。

つまるところ、どんな姿や結果が必要になっても、0からそれを用意できるのだ。
相手や自分が望む姿を、まるで鏡に映したかのように作り出し、使いこなしてみせるのだ。これを使って、全力で仕事に取り組んでみたい。
才能を発揮する喜びを味わうのはもちろん、良いマンションにも住みたいし、何より今後も訪れるであろう種々の運命に対し、死力を尽くして向き合いたい。

さっき生きてるって感じがしたと言ったが、生きてるというのは要は個が際立っている感覚からくるものだと思う。自己の内側にあるものが熱くなる感覚。
よくバトル漫画なんかで命のやり取りでしか生を実感しないとかいうのは、個人の生存欲求が著しく高まっていてそれを感じるからじゃないかと思う。
それと同じで、自分自身の才能、持てる全てを使い果たす勢いで運命に向き合うのは、実に自分の人生を生きてるって感覚がビリビリと伝わってくる。
こういうのをずっと積み重ねていけば、いつか全部、ああこれで良かったんだって自分の運命と、それに基づく選択の全てを愛せる気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?