タカハシ・カズ☆コミュニケーションズ

日本語教師(大学教員)。日本語コミュニケーション、クリエイティブシンキングが専門。武士…

タカハシ・カズ☆コミュニケーションズ

日本語教師(大学教員)。日本語コミュニケーション、クリエイティブシンキングが専門。武士道ゃ護身術の講義も。高橋和の助名義著作『こども武士道大切な教えの巻』『こども武士道今日から実践の巻』(講談社刊)。広告代理店、アフタースクール、塾講師等を経て現職。

最近の記事

  • 固定された記事

コミュニケーションをビジネスに!

 noteはじめました。  広告会社で25年ほど。CM制作、コンテンツ開発など。武士道を教育コンテンツに変換した「こども武士道」が各方面で評価いただきキッズデザイン賞受賞。『こども武士道大切な教えの巻』『こども武士道今日から実践の巻』を講談社から上梓。その後、十和田市、盛岡市、杉並区、浦安市、港区、世田谷区の自治体や企業、小学校、学童などでワークショップを展開。 2012年に地元杉並で民間アフタースクールを開業。子どもたちのコミュニケーション能力や発想力、探求心などの涵養に努

    • Facebookは親バカSNS

       子どもの習い事を通して知り合った父親の集まり。こういう場合はいわゆるスポーツ系の習い事という場合が多い。子どもたちが中学・高校と進むに連れ、その習い事から離れてしまうと関係も疎遠になるものですが、時々同窓会というか近況報告で集まることがある。  それが目的なので、いま〇〇くんはどうしてる?まだ×××やってるの?高校どこ受ける? というような話題が中心になる。それが主目的なので、それに異を唱えるほうがどうかしてるのだが、これが、もう、まったくつまらんのです。近況が気になる子は

      • 留学生からのよくある質問(2)

        Q1:「きみには話しておくよ」と「きみに話しておくよ」では何が違いますか? A:「きみには話しておくよ」には、これから上司や先生のような人が話す内容には機密性があるということが伝わります。他の人には話していないけど、きみだけには話すよ、というニュアンスですね。「きみに話しておくよ」。これなら、みんなにも話している共有されるべき情報に過ぎないということです。 Q2:「京都に住んでいましたか?」と「京都に住んでいたんですか?」の質問は何が違うんですか?  A:「京都に住んでいま

        • なぜ小学生男子はあほなことをやるのか?

           学校で、登下校で、家で、あほなことをする男子は後を絶ちません。なんでこんなにあほなことをしてばかりなのか、やはり理由があります。  実は、男子はと書きましたが、男子でもあほなことをしない子、女子でもあほなことをする子、がいます。これは脳に秘密があります。子どもにとってのあほなことは、実はあほではなく、これは子ども的には、仮説⇒実験⇒検証を繰り返している行程なのです。  傘を振り回したらどうなる?  靴を脱ぎながら蹴り上げたらどうなる?  水を二階から一階に垂らしたらどうなる

        • 固定された記事

        コミュニケーションをビジネスに!

          「どこに行きますか」と「どこへ行きますか」

           この違い、皆さんならどう説明されますか? 意味的には同じだから、どっち使ってもいいんじゃない?というお答えでも間違いではないですが、日本語の研究には向いていない方ということになります(笑)。  本来、この2種の言い方には厳密な違いがあったのでしょう。まあ、日本語はだいたいそうです。「お」と「を」、「え」と「ゑ」、厳密な違いがあったから文字が2つあったわけです。それが時代とともに、慣用化や誤用が増えて、明確な違いがなくなった。  「どこに」と聞く場合は明確な目的地を求めていま

          「どこに行きますか」と「どこへ行きますか」

          ヘンなニホンゴは面白いですか?

           国内・国外を問わず街で見かけたヘンなニホンゴを集めている人がいる。旅先で見つけてSNSに上げるくらいなら可愛げがあるが、大学で研究してたり、本を出したり、アカデミックな領域に持ち上げているセンセもいらっしゃるようだ。どうも私は、そういうのが好きになれない。面白くもない。なんか、日本語的弱者をイジメているように映るのだ。なぜそういう誤用が起きてしまったのか、という学術的な見地も理解はできるのだが、どこかで笑っている、笑ってほしいという意図が垣間見えて不快である。  例えば、目

          ヘンなニホンゴは面白いですか?

          悲しいとき~

           値札が、雑に書き換えられているのを見たとき~  悲しいですよね。値上げそのものが、まず悲しい。そしてそれを隠すことなく、あからさまに訂正しているのが、さらに悲しい。値上げは仕方ないですが、それを気づかれないように訂正・修正して欲しいです。それはお客さんに対する礼儀だと思うんです。それを、”値上げですが、なにか?”という感じの雑な訂正。配慮に欠ける。まあ、それ以上に訂正の予算に欠いているんでしょうね。

          なぜ、眠くなる講義をするの?

           大学で働くようになって、他のいろんな先生方の講義を覗くことがある。楽しそうな講義をしている先生は、やはり喋りが上手い。笑いも起こっている。でも、そうじゃない先生も多い。ずーーーーっと先生がワントーンで喋っている講義。熟睡している学生多数。これを、”タメになる私の話を眠っているような学生は知らん”というお考えなら、講義などせずすーーっと研究室でせっせと論文をお書きになっていればよろし。良い研究者イコール良い話者ではないからね。  もう一つ、寒々しいのは、Tシャツとジーンズな

          なぜ、眠くなる講義をするの?

          経験の差は能力の差を凌ぐことができるのか?

           求人欄に必ず出てくるワード、「経験者」。 その後は限定だったり優遇だったり多少の違いはあるが、とにかく未経験者にはどこも狭き門となっている。これ、特に日本では顕著ではないでしょうか。そんなに未経験者が怖いんでしょうか? 裏を返せば”未経験者の実力を測ることが私にはできません”と自分の無能力さをさらけ出しているに等しい。自分では判断できないので、他所で経験のある方ならそちらでスクリーニングされいるでしょうから大丈夫なんでしょう、といった諦め。  確かに、未経験者の実力を測る

          経験の差は能力の差を凌ぐことができるのか?

          留学生からのよくある質問(1)

          質問1.「比べる」と「較べる」はどうやって使い分けますか? 回答:「比べる」は、単純に二つのものを比べます。「較べる」は論述的・学術的な検討において較べます。 質問2.「取得」と「獲得」で得るものに違いはありますか? 回答:「取得」は形になって手に入れることができるもの、免許、パスポート、資格証明などです。「獲得」は、「名人位獲得」や「調整力を獲得」など名誉や才能など目に見えないものが多いです。 質問3.「ここで」と「ここに」の違いはなんですか? 回答:「ここで」というと

          留学生からのよくある質問(1)

          遠足に行かないという”新発想”

           子ども向けの施設(オルタナティブスクール)に居たころ、校外学習、いわゆる遠足があった。参加ですか不参加ですか、は聞いていません。私たちスタッフは全員参加するものと思っていた。しかし、50人中3人が「行かない」の回答。これはカルチャーショックというか、ジェネレーションギャップップというか、とにかく驚いた。私が子どもの頃、「遠足に行かない」というチョイスはなかったと思う。当然、もちろん、全員参加を疑わなかった。ところが、最近の子たちには「遠足に行かない」「修学旅行に行かない」と

          遠足に行かないという”新発想”

          日本語教師養成講座、どこがいいのか?

           国家資格になり海外留学生も増加して、注目を集める日本語教師ですが、教師を始めるには①国家試験を受ける ②認定養成講座を修了して国家試験の応用試験のみ受ける 大きく分けてこの二つです。  国家試験は年に1回のようなので、養成講座を修了して(修了すれば教師として働くことができる)経過措置の期間内に国家試験を受けるのがお勧めです。では、どういう観点で養成講座を選べばいいのか? ①自宅から通いやすいこと ②自分のスケジュールに合わせやすいこと ③講座や実習の内容 ④費用面 など考え

          日本語教師養成講座、どこがいいのか?

          欠席に理由は要らない

           本来は、という話です。  学校や授業などを欠席する場合、くどくど理由を書き連ねる方がいます。 理由なんかどうでもよくて、欠席か出席しかないのです。欠席する理由によって情状が酌量されるのであれば書くべきです。しかし、仕事だろうと、出張だろうと、家庭の都合だろうと、もっと言えば親族の死亡だろうが、出欠を管理する側からすれば、関係ない。知ったこっちゃない。出席は出席、欠席は欠席。それ以上でも以下でもない。病欠で長期離脱するなら理由は書くべきですが、そうじゃない場合は不要。本来は。

          ヤクルトおばさんはモラハラを受けているのではないか?

           ヤクルトおばさん、いや最近は若い方も多いから「ヤクルトレディ」ですかね。自転車の前と後ろと横に大量のヤクルト商品を積んで売り歩いている。よく考えると不思議なビジネスモデルだ。店舗を持たず移動販売で収益を上げている。それ自体、ちょっと時代とズレている気がしなくもないが、もっと違和感があるのは、彼女たちの服装、ユニホームだ。 全身、ヤクルト! どこから見ても、遠くから見ても、ヤクルト! これがモラハラに当たらないのか? 不思議でならない。 だってですよ。あのユニホームで、恐らく

          ヤクルトおばさんはモラハラを受けているのではないか?

          これとそれとあれ

          「ここ」と「そこ」と「あそこ」の違いは、距離の違いですね。運用にあまり悩む方はいないと思います。 では、「これ」「それ」「あれ」はどうでしょう。 モノや場所を指示している場合は容易ですが、具体的に何も指し示していない場合は悩みます。 「これは私の問題です」 「それはどういう意味ですか?」 「あれはどうなったの?」 みたいに使われた場合。 「これ」は「私には見えている(認識されている)案件。相手には見えている場合と見えていない場合とがある) 「それ」は「相手には見えているが、私

          やる気を試す

          とてもやりたいことがある。 家族に言ってみる。家族は大反対。 これで、そうか反対かということで諦めることは大してやりたいことではない。これは言い得て妙である。 自分の昔を振り返っても、やりたい⇒反対、でやめたことはさほど後悔していない。 しかし、どんなに反対されても、これが自分のやりたいことなんだ!と鬼の覚悟ではじめたものはモノになる。 どんなに親に反対されても、自分の道はこれだと突き進んだものは花が開くのである。 これを逆に、お子さんに試してみてください。 お子さんが「