メカニカルララバイを読んで

8周年のチケ配布でやっとメカニカルララバイを読めたオタクの戯言です。アイナナ世界の住人が書いた映画レビューのような感覚でお読みください。

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カチカチと歯車の音がなり、蒸気が吹き出でる。建物から建物が生え、密集して連なっている。
お世辞にも綺麗とは言い難い街並みだが、どこか心躍る。
メカニカルララバイの舞台になっているのは、そんな都市だ。
街の真ん中には大きな時計塔があり、街のどこからでも時計が見えるようになっている。この街の住人たちはみな、この時計塔で時間を知るのだ。

街には人間たちの代わりにロボットドールたちが暮らしている。物語の序盤で目覚めるのは、七瀬陸が演じる最後のロボットドール テラだ。

もうこれだけでワクワクする。
オタクはみんな、自立人形だとか、機械仕掛けだとか、スチームパンクが大好きだ。メカニカルララバイは全部盛りなので、嫌いなわけが無い。
まだメカニカルララバイを感劇していない人達にネタバレをしたくない+語り始めると長くなるので、筆者がここが最高!と思ったポイントを先に語りたいと思う。

最高ポイント① 音楽が最高

メカニカルララバイでは、流れているBGMがとにかく最高だ。不穏で、不気味で、すこし悲しい。その音楽がとにかく世界観に会っている。
何らかの理由で人間が居なくなった世界で生きる、ロボットドールたち。自分の役目を思い出せないテラ。先行きの見えない不安感と、ミステリアスさの演出として、このBGMが最高に合っている。

最高ポイント② 人外感が最高

ロボットドールたちは、人間ではない。目が覚めたばかりのテラは自分のことは思い出せないが、街のことを何となく知っている。ほかの登場人物も、1部の例外はいるが、自分に与えられた「役割」を忠実にこなす。他のことをしたい、だとか、他の場所に行ってみたい、等と考えない。
しかし、他のロボットドールとぶつかりそうになればびっくりするし、苦手な音楽を聞けば泣きそうな顔をする。そんな人間のような一面ももっている。
しかし彼らは人間では無いのだ。
物語の中で、激辛料理を食べるシーンが登場する。「真っ赤な料理」を口に運んだ途端、彼らは「不味い」と言う。「辛い」や「痛い」ではなく、「不味い」なのだ。
恐らく彼らには、味覚がないのだろう。料理のカテゴリーとして「美味しい」か「不味い」しか存在せず、人の真似をして料理を食べる。「甘くて美味しい」「辛くて不味い」ではなく、結果としての「美味しい」「不味い」だけが出力される。
この人外感が、たまらなく愛おしいのだ。

最高ポイント③ キャスティングが最高

とにかくキャスティングがいい。
七瀬陸が演じる最後のロボットドールであるテラは、純朴な青年である。自分の役目を探して足繁く図書館に通い、せっせと本を読む。他のロボットドールとの交流を好み、知らないことに挑戦しようとする。まるで七瀬陸が本当にロボットドールで、テラであるかのような親和性がある。
他の登場人物もそうだ。
アイドリッシュセブン、TRIGGER、Re:vale。誰もが「本当にこんなロボットドールがいたら面白いな」と思うような、彼らの個性がぎゅっと詰まった役柄になっている。
個人的に名演だと感じたのは、二階堂大和が演じるファブラと六弥ナギが演じるジューヌだ。これからメカニカルララバイを感劇される方に合っては、是非、彼らの演技に注目してもらいたい。
あと、八乙女楽はあまりにも八乙女楽で、それはそれで良かった。

ここまでは大きなネタバレには配慮して、これからメカニカルララバイを楽しむ方でも読める内容に終始してきた。
ここからは物語のネタバレを含むため、まだメカニカルララバイの世界を楽しんでいない方はこのページをそっと閉じて欲しい。
そして、メカニカルララバイを楽しんでから、覚えていたらこのページに戻ってきて、私とメカニカルララバイについて語り合って欲しい。

ーーーここからは物語のクライマックスまでのネタバレを含みますので、改めてご注意ください。ーーー

さて、ここからは役者名を出さずに物語の登場人物の名前のみを記載していこうと思う。ここまで読んで下さっている方々なら、役名だけで誰を指しているのかご理解いただけるだろう。

先述した通り、メカニカルララバイは「人外感」がとても良い作品だった。しかし、彼らロボットドールには「感情」があるのだ。
テラやジューヌと出会ったマーチンは、彼らが普通のロボットドールではない、と「違和感」を覚える。また、テラが頭痛を訴えた時、ジャヌは彼に「興味」を抱く。皆、アプリルの運転は「危険」だと感じているし、メイアの料理は「不味い」と感じる。全て、彼らの「感情」だ。
この「人外感」と「人間臭さ」のバランスが非常に良い。ロボットにプログラミングされたであろう「人間らしさ」が、逆に酷く、人外らしさを醸し出している。この絶妙なバランスが、物語に深みを出しているのだと思う。

物語の中で登場する、個性豊かな12人のロボットドールたち。中でもテラ、シエロ、ジューヌは特別だ。
彼らは自分の「役目」に付いてずっと思い悩んでいる。中でもジューヌは、自分の役目について一番長く、深く悩んでいる。彼は物語の主人公では無い。この物語の主人公はテラであり、時にシエロであり、ある意味ではファブラである。ジューヌはあくまで「この街に住む風変わりなロボットドールのひとり」でしかないのだ。しかし彼には重要な「役目」がある。
このジューヌの、一見して変わり者だが、実はキーマン(キーロボット?)の演技がまた怪演なのだ。大きな出番の少ない彼だが、とても大きな存在感を放っている。また、クライマックスシーンの彼の言動も、切なく、ぐっとくる。

メカニカルララバイは、彼らロボットドールたちが目覚め、生きて、眠りにつくまでの物語だ。そこに至る過程の多くは、テラとシエロの視点で語られる。
しかし、彼らが目覚めるよりはるか昔からたくさんのロボットドールたちが彼らの街で生活し、新たな仲間の目覚めを待っていた。12人のロボットドールたち以外にも、きっと様々なロボットドールが街に住んでいるのだろう。そう考えさせられる余白が、十二分にある。

彼らが眠りについた今、彼らの余白を夢想することで、彼らの努力を労いたいと思う。


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(メタ視点で言うと、本編4部で「陸は六だから、陸はナギの代わりになる」と語っていた全く逆の「ナギが陸の代わりになりうる」シチュエーションだったのがとてもエモくて切なくて良かったです。テラくんが目覚めて良かった…… 本当に……)
(あと身も蓋もない言い方すると、腕がもげても「腕もげたぁ!」って笑ってそうな狂気感がちょっとあってよかったです アプリルくん、絶対近く歩いてたロボットドール跳ね飛ばして身体の一部ぶっ飛ばしたことあるだろ)

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