妻カミーユを失った後の一八八〇年代、モネはとりつかれたように旅をする(中略)この時期、モネは旅先で文豪モーパッサンと知り合い、親交を結ぶが、そのモーパッサンは、当時のモネをこう描写している。「実際、彼は画家というより狩人であった」(中略)一八七四年、ついに独自の展覧会を開く。だが、この展覧会は若い画家たちに苦い果実をもたらすだけの結果に終わってしまった。悪評粉々。批評家は出品されたモネの作品『印象・日の出』をもじって、このグループを「印象派」と命名した(中略)モネは仲間の一人にあてて、こう書き送っている。「自分の眼が捉え、理解したことを描くしかないのだ。自然を見ていると、すべてを描けるような、何でもできるような気がする。