世界で五番目に大きいブラジルの国土で、人口の集中する南部や海岸部から遠く離れた熱帯雨林に住む人々の生活が、アメリカ人や日本人と大きく違っているであろうことは想像に難くない。だが本書に綴られているピダハンの人々の暮らしや世界観は、表層的に、これこれのものがあるとかないとかといった物差しだけで計れるとは到底思えない。たとえば、ピダハンの人々が暗くなっても寝静まることはなく、時には夜中に狩や釣りに行くとしたら、人間には体内時計があって、朝太陽の光を浴びることでリセットされる、という話はいったいどういうことになるのだろう。わたしたちが当たり前のこととして切り取っている世界は、どのくらい普遍的に通用するものなのだろうか(中略)本書をひもといていけばわかるように、著者はもともと言語研究のためというよりは、キリスト者として、聖書をピダハン語に訳してピダハンの人々に教えを伝えられるようにするべくピダハン語を研究するために、ピダハンの村に赴いている(中略)一度に数週間から長い時で一年近く(中略)妻ケレンと幼い三人の子どもたちとともに、二〇年以上にわたって何度もピダハンの村を訪れてはピダハンの人々と生活(中略)ただ皮肉にも、ピダハン語とその文化への理解が深まるにつれて著者の信仰は薄れていき、ついにはキリスト教とも家族とも決別することになる───訳者あとがき