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キリスト者として、聖書をピダハン語に訳してピダハンの人々に教えを伝えられるようにする

あなたが今日救う、溺れかけている子が、将来、あなたの部族を率いて戦うかもしれない。

ひとつ手はじめに興味をそそる疑問を取りあげる。ハーバード大学の教養ある学生が手を焼く論理問題を、アマゾンの奥地のジャングルに住む無教育の部族員がやすやすと解いてしまうのはなぜだろう。

森林浴で森の香りを吸い込むと、樹木が虫やストレスから身を守るために放出している「フィトンチッド」という物質を吸収することができる。このフィトンチッドは、ナチュラルキラー免疫細胞を増やし、コルチゾール値を低下させるなど、私たち人間にも有効であることが、最近の研究でわかってきた(中略)自然のなかでのウォーキングは、都市部で行うものとは違い、ストレスのコントロールや、反すうの抑制、感情の調整などに役立つ

南米のジャングルに入ると、約13万ヘルツの高周波音(中略)オルゴールが奏でる音には3万ヘルツ以上の高周波の成分が

健康なひとはほぼすべての音が聞こえているつもりでいる。

高い周波数同士が重なると干渉がおきて低い周波数のうねりができる。だから2万2千ヘルツでカットするのはかなりの情報量を削っている(中略)アナログのほうが遥かに情報量が多い

世界で五番目に大きいブラジルの国土で、人口の集中する南部や海岸部から遠く離れた熱帯雨林に住む人々の生活が、アメリカ人や日本人と大きく違っているであろうことは想像に難くない。だが本書に綴られているピダハンの人々の暮らしや世界観は、表層的に、これこれのものがあるとかないとかといった物差しだけで計れるとは到底思えない。たとえば、ピダハンの人々が暗くなっても寝静まることはなく、時には夜中に狩や釣りに行くとしたら、人間には体内時計があって、朝太陽の光を浴びることでリセットされる、という話はいったいどういうことになるのだろう。わたしたちが当たり前のこととして切り取っている世界は、どのくらい普遍的に通用するものなのだろうか(中略)本書をひもといていけばわかるように、著者はもともと言語研究のためというよりは、キリスト者として、聖書をピダハン語に訳してピダハンの人々に教えを伝えられるようにするべくピダハン語を研究するために、ピダハンの村に赴いている(中略)一度に数週間から長い時で一年近く(中略)妻ケレンと幼い三人の子どもたちとともに、二〇年以上にわたって何度もピダハンの村を訪れてはピダハンの人々と生活(中略)ただ皮肉にも、ピダハン語とその文化への理解が深まるにつれて著者の信仰は薄れていき、ついにはキリスト教とも家族とも決別することになる───訳者あとがき

ピダハンは、互いに助け合うという規範をもっていて、それが文化的には比較的珍しいほどに強い規則となっているということだ。それでいてピダハンは、自分や家族の生存に関しては独自の道を行きたがる。まず自分自身、そして身内の生存が優先だ(中略)(※初めて一緒に街にやって来たピダハンの二人は)女性についてあれこれ質問してきた。それから、少しでも都会風に見られるように、靴と長ズボン、襟のあるシャツを買ってもらえないかと言ってきた(中略)素足に上半身裸で歩いている先住民の男たちを、通行人たちはまじまじと見つめた。ピダハンたちも見つめ返す(中略)(※ピダハンの二人は)清潔で色とりどりの服装をしたいい匂いのブラジル人女性をすこぶる魅力的と思ったようだ。彼女たち、おれたちとセックスしてくれるかな、と知りたがった(中略)店員の助けを借りて、男たちにぴったりのズボンと靴、シャツを求めることができた(中略)筋肉質でしまった体格と浅黒い肌が西洋式の衣類でひときわ格好よく見えた(中略)もっとも、ピダハンは街なかでもジャングルと同じように、どうしても一列縦隊で歩きたがって、それがどうにも滑稽だった(中略)ふたりが追いつくようにわたしが足を緩めると、ふたりも速度を落とす。さらに緩める。ふたりも緩める、その繰り返しだ(中略)どうしてもわたしと並んで歩こうとしない。頼んでみてもだめだった(中略)わたしは縦に並んだ自分たちの歩き方に思わず笑みをもらしながら、ポルト・べリョ一番の目抜き通りを渡るため、信号が変わるのを待った。※引用者加筆.

わたしは決してひよっこではなかった。ムーディ聖書研究所を主席で卒業し、シカゴのストリートでの説話もこなしたし、救済活動でも話をした。個別訪問もやり、無神論者や不可知論者とも論争した。信仰弁護論や個人伝道の訓練も積んでいた。しかし同時にわたしは、科学者としての訓練も積んでいた(中略)過去三〇年余りで、アマゾンに居住する二〇以上の集団を調査したが、これほど幸せそうな様子を示していたのはピダハンだけだった(中略)ピダハンの語りは豊かで技巧に長け、その文化が自ら課した制限のなかで、言いたいことをひとつも漏らさずに表現することができている(中略)ピダハンは類を見ないほど幸せで充足した人々だ。わたしが知り合ったどんなキリスト教徒よりも、ほかのどんな宗教を標榜する人々よりも、幸福で、自分たちの環境に順応しきった人々である(中略)見方が正しいとすれば、ピダハンこそ洗練された人々だ(中略)わたしが自分の人生と、たいした根拠もなく抱き続けていた信念とを振り返ってみたときに、途方もなく役に立ち、また得心させてくれるものだった。いまこうしてわたしがあるのは、神の不在をなんら動揺することなく受け入れられていることも含めて、少なくとも部分的にはピダハンのおかげだといって間違いない(中略)ピダハンは断固として有用な実用性に踏みとどまる人々だ(中略)ピダハンとプラグマティズムは、知識の価値はそれが真実であるかどうかでなく、有用であるかどうかにかかっているという点で共通している。行動するために何を知る必要があるか知りたいと考えるのだ(中略)わたしがようやく事態を受け入れ、自分が「脱信仰」したことを人に知られてもいいという心境になれるまでには、信仰に迷いが生じてから二〇年が経っていた(中略)結局、わたしが信仰を失い世界観が揺らいでしまったことで、わたしの家族は崩壊する羽目になった(中略)わたしが大切にしてきた教義も信仰も、彼らの文化の文脈では的外れもいいところだった。ピダハンからすればたんなる迷信であり、それがわたしの目にもまた、日増しに迷信に思えるようになっていた(中略)そんなわけで一九八〇年代の終わりごろ、わたしは少なくとも自分自身に対しては、もはや聖書の言葉も奇跡も、いっさい信じていないと認めるにいたっていた。わたしは隠れ無神論者だった(中略)ピダハン語には数学的な入れ子構造としてのリカージョンは存在しないとするわたしの説が知られるようになると、奇妙なことが起こった。チョムスキーの信奉者たちの間で、リカージョンの定義が変わったのだ。哲学者のリッチモンド・トマソンが心変わりをする人々に対してよく言っていた、「初めに成功しなければ、成功の定義を変えればいい」を地でいく出来事だった。


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