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育ちのいい人は、何より時間を大切にする

レストランで案内してくれる人がいる時は、お店の人が椅子を引いてくれます。それが女性側です(中略)この基本を覚えておけば間違えることはなくなります。

ありのままというのは「現在の自分を最も礼儀正しく見せる姿」であると考えてみるとよいのではないでしょうか(中略)様々な経験を通して自分が選んでいる日常の言動こそ「育ち」の主たる要素となります(中略)つまり運命として与えられた環境だけでなく、個人の想像力と培ってきた感覚から本人が選択した言動こそが、本当の「育ち」であると私は考えています(中略)言葉には、どこからしら、その人の本性がにじみ出るものです(中略)わかりやすく伝えることは、お互いの時間を尊重することにもなります(中略)かすかな違和感は「失礼なことである」と自分の中で認識し、客観視することができれば、冷静になれますし、その状況をコミカルに捉えることさえできるのです(中略)「かすかな違和感」というのは、人と接したときに感じるモヤモヤやイライラのことをいいます(中略)頭の中で自問自答が始まったら、それは間違いなく「かすかな」あるいは「明確な違和感」といえます。

「かすかな違和感」というのは、人と接したときに感じるモヤモヤやイライラのこと↓

助けるという行為が5分であれば、標準的です。問題は、深刻な知識不足をそのままにしてカオスに陥っている人々(中間層の90%)の根底にあるカオスの課題は、5分では解決できない問題だということです。相手が5%のドン尻なのか90%のカオスなのかは見た目だけでは判断できません。ですから、相手に失礼にならないように、カオスではない人だと仮定して会話します。会話することで、相手が上位5%なのか、カオスである中間層の90%なのか、どん尻の5%なのかがわかる。

「育ち」とは、その方の佇まいのこと。所作やふるまいを、知っているかいないかだけのこと。さらに言えば、「知ろうとしているか、いないか」だけの差に過ぎないのです(中略)育ちは、今日までの生き方、生き様、美学です(中略)「育ち」は、美しさをも凌ぐ一生の武器(中略)「育ち」を変えれば、人生が変わります(中略)「育ち」は変えられます。変えていいのです。「育ち」は、自分でつくるものなのですから。(中略)「育ち」とは生まれ持った環境であり、自分で変えられないもの、一部の選ばれた人々だけがもつものだと思い込み、この何とも魅力的な「育ち」という佇まいを「自分とは無縁」と、手に入れることを諦めてしまっているのです。でも、もし手に入れられるとしたら?(中略)コートを着せてもらうときは、下から(中略)手は下から出すように。上から袖に入れようとすると「着せてもらうことに慣れていない」印象となってしまいます(中略)香水はウエストより上につけない(※ひざの裏側や足首などに)(中略)ホームパーティーの場合は気持ち遅めの10分程度遅れて行く(中略)上半身をキープし、かかとから着地するように歩きましょう。※引用者加筆.

脚は第二の心臓というのですから、脚で心臓を助けるべき↓

つま先から着地するのはNG(中略)歩くときは、足はかかとから着地するのが基本ですが、つま先からつく方がたくさんいらっしゃいます(中略)この歩き方はスマートさに欠けるだけでなく、つまづきやすくもなります。低めのヒールの靴で歩く際に、足のどの部分から着地しているか、一度試してみましょう(中略)腕はあまり前に大きく振り過ぎず、後ろ側に振ることも意識して歩けば、美しくエレガントなウォーキングとなります(中略)歩幅は狭いほうが女性らしいと思っている方もいますが、実際は気持ちを広めにとったほうがエレガントに美しく歩けます。普段の1・2倍くらいの歩幅を意識して歩いてみましょう。ゆったりと優雅なウォーキングになるうえ、少ない歩数で速く進むことに驚かれると思います。また気をつけたいのは、歩き出しの姿勢。横から見て耳、肩、くるぶしが一直線になることがポイントです。上半身はそのままキープし、かかとから着地して歩きましょう。もちろん、和服をお召しになった際は別。逆に、普段より狭い歩幅にし、さらに内股ぎみで歩くことを意識して。装いによってサッと切り替えられる女性は粋ですね(中略)お参りの際は、参道の中央は神様が通る場所なので避け、端を歩きます。なお、勘違いされている方もいらっしゃるのですが、お賽銭を投げ入れる行為は大変失礼なこと。お賽銭箱のふちまで丁寧に運んで入れましょう(中略)育ちのいい人は、何より時間を大切にする(中略)失っているものにも目を向けてみませんか。多くの場合、それは「時間」。たとえば、「少しぜいたくかな」と思っても適当なタイミングにタクシーで移動したり、たまに家事代行を頼んだり、カフェでゆっくり過ごすことで時間だけでなく心と体の余裕ができます。それは周りの方への気遣いや優しさにもつながっていくはずです(中略)言いにくいことを上手に伝えられる。これらのことができていますか?「育ちがいい人」は、品だけでなく知性を併せ持っているもの。言葉遣いのバリエーションは、大人になるほど必要ですし、あなたの頼もしい武器にもなるのです。

日本人は、着物(和服)を日本古来のもののように思っているが、本当は、呉服であり中国から来たものだ(中略)台湾人(※福建人)は元々「閩(びん)南人」(中略)福建人のことを閩(びん)族という。古代中国では、越の国と言った。「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」という四字熟語がある。あの中の「越の人」だ(※呉の人々が日本の各地に移り住み呉服町を作った)(中略)ベトナム国は、越南(中略)つまり、越(福建省)の国の南側にある国という意味だ。ベトナム人はもともと越(今の福建省)の国からきた人間たち ※引用者加筆.

和服の世界には、「天皇家のやることがすべて正しい」というルールがある。例えばの話だが、仮に天皇家の人がそれまで正しいとされてきた和服の着方と違う着方をされた場合、その瞬間に、その着方が正しい着方になるということだ。つまり、和服の世界には「これが絶対に正しい」というアプリオリ性がない。天皇家ファーストであり、天皇家の方々が着た着方が正しいのだ(中略)「歴史上、すべての天皇は父系を辿れば最終的には初代の神武天皇に行き着き、天照大神に行きつく」、だから「民間人の父親を持つ人が天皇になってはダメだ」という理論になる(ただし、天照大神は女性である)。この論理は、いま見てきた「儒教」の論理とまったく同じである。「父系の血縁集団」だけが重要で、それ以外は無価値であるということだ。これでは、北朝鮮の金正恩委員長が必死にしがみつく儒教の論理と何ら変わらないではないか。金正恩委員長が、自らの脆弱な権力基盤を維持するために、儒教の論理にしがみつくのは理解できる。しかし、すでに長い間、日本のシャーマンの長として継続してきた天皇家が、いまさら儒教にしがみつく理由は見当たらない(中略)日本のシャーマンにとって重要なことは、シャーマンの後継者としての儀式を経ているかどうかであり、「Y染色体」が継承されているかどうかではない。


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