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源氏物語

今回は源氏物語について紹介します。

源氏物語は平安時代中期に成立した物語で、文献初出は1008年です。作者の紫式部の誕生年は定かではありませんが973年生まれ等の説があるようです。平安時代は794年から1192年から始まる鎌倉時代の前までのおよそ400年間ですので平安時代の真ん中、平安時代になっておよそ200年後の人ということになります。紫式部は一条天皇の中宮(妃)である障子のお世話係として仕えた人物です。


源氏物語は54帖からなる長編の物語です。第1帖桐壺(きりつぼ)、第2帖帚木(ははきぎ)、第3帖空蝉(うつせみ)から始まって、第54帖夢浮橋(ゆめのうきはし)までの長い話になっています。

源氏物語はよく恋愛ものという説明がされますが、自分は平安貴族の出世物語だという見方があると思います。光源氏(ひかるげんじ)は桐壺帝(きりつぼてい)と桐壺更衣(きりつぼのこうい)の息子です。女御(にょうご)、更衣(こうい)、御息所(みやすどころ)等は女性の身分の名称です。光源氏(ひかるげんじ)の知り合った女性として空蝉(うつせみ)や紫(むらさき)、葵(あおい)等が登場します。また、男性の知り合いである頭中将(とうのちゅうじょう)も重要な登場人物です。途中、光源氏(ひかるげんじ)は都を追われて須磨(すま)や明石(あかし)にも行きますが、また都に戻ってきます。源氏物語の終わりの方はもう光源氏(ひかるげんじ)は出てこず、薫(かおる)や匂宮(におうのみや)、浮舟(うきふね)といった人物が登場します。第45帖橋姫(はしひめ)から第54帖夢浮橋(ゆめのうきはし)までの10帖は宇治十帖と呼ばれています。

第1帖桐壺の冒頭の部分です。
“いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれ」と、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。
父の大納言は亡くなりて、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。”

こちらは第5帖若紫の1部です。
“人なくて、つれづれなれば、夕暮のいたう霞みたるに紛れて、かの小柴垣のほどに立ち出でたまふ。人びとは帰したまひて、惟光朝臣と覗きたまへば、ただこの西面にしも、仏据ゑたてまつりて行ふ、尼なりけり。簾すこし上げて、花たてまつるめり。中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。四十余ばかりにて、いと白うあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなと、あはれに見たまふ。
清げなる大人二人ばかり、さては童女ぞ出で入り遊ぶ。中に十ばかりやあらむと見えて、白き衣、山吹などの萎えたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひさき見えて、うつくしげなる容貌なり。髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。”

第45帖橋姫の1部です。
“そのころ、世に数まへられたまはぬ古宮おはしけり。母方なども、やむごとなくものしたまひて、筋異なるべきおぼえなどおはしけるを、時移りて、世の中にはしたなめられたまひける紛れに、なかなかいと名残なく、御後見などももの恨めしき心々にて、かたがたにつけて、世を背き去りつつ、公私に拠り所なく、さし放たれたまへるやうなり。
北の方も、昔の大臣の御女なりける、あはれに心細く、親たちの思しおきてたりしさまなど思ひ出でたまふに、たとしへなきこと多かれど、古き御契りの二つなきばかりを、憂き世の慰めにて、かたみにまたなく頼み交はしたまへり。
年ごろ経るに、御子ものしたまはで心もとなかりければ、さうざうしくつれづれなる慰めに、「いかで、をかしからむ稚児もがな」と、宮ぞ時々思しのたまひけるに、めづらしく、女君のいとうつくしげなる、生まれたまへり。
これを限りなくあはれと思ひかしづききこえたまふに、さし続きけしきばみたまひて、「このたびは男にても」など思したるに、同じさまにて、平らかにはしたまひながら、いといたくわづらひて亡せたまひぬ。宮、あさましう思し惑ふ。”

今回は源氏物語について紹介しました。

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