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「自民公明党」「立憲共産党」「国民維新の会」の3択を迫られる時代が来たときに「メディア」はどうあるべきかという話

 さて、今日は先日取り上げた「東京15区問題」の続き、だ。前回は近い将来、僕たちは「る可能性が高く、そしてどれも選べない人たちがカルト保守に騙されていく……というウンザリする展開のシミュレーションとその僕なりの対抗案を考えた。

 そして今日は「メディア」の話だ。
 僕はこの問題に背後にあるのは、確実に国内言論の、55年体制というか戦後的な構造への「回帰」の問題だと考えている。
 おそらくこのままでは日本は90年代の「新保守」的な感性が「改革」の御旗を掲げて、昔ながらの偽善的な「左翼」を冷笑的に攻撃し続ける、といった状況がしばらく続くのだと思う。
 具体的にはこの先日本は逃げ切れそうな(と思い込みたい)自称「勝ち組」が、「日本はまだそこそこ大丈夫」と嘘をついて、「本当に大事な部分では」なるべく社会を「変えないように」訴えていくだろう。もちろん、彼らの喧伝より速く日本はだめになっていくので、弱い立場の人が今以上に犠牲になるのだけれど、その当事者であるSNSや動画ジャーナリズムのコメント欄で発言したがるタイプのコンプレックス層の多くが、自分は「強い」と思い込むために(豚が肉屋を支持するように)この流れに加担するだろう。
 そしてこのグロテスクな状況を大手マスメディアや大学人たちが御簾の向こうから軽蔑し、自分たちはカラオケで目をつぶってバラードを歌う人のように、事実上無内容な美辞麗句(「利他」とか「贈与」といった言葉をマジックワード化して)を並べて、お互いの仕事を同じくらい無内容な言説で褒め合い、相互に権威を強化したままナルシスティックに暮らしていく(が、何も残さない)のだろう。

 要するにここに来てこの国の言論ジャーナリズムは戦後的な「偽善」的な左派と「露悪」的な右派が、思想的にでも政策的にでもなく「キャラ」で棲み分けるという、ひどくつまらないーーというか実質無内容なーーものとして定着してしまう可能性が高い。そして前者は自分を賢いと思いたいコンプレックス層を煽って課金させ、後者は自分を正しいと思いたいナルシストを煽って課金させるのだ。

 では、どうするのか、というのが今回のテーマだ。

 僕の提案は大きく分けて二つある。

 まず、国内の状況を相対化すること、だ。おそらく、ここまで構造が強固になってしまったとき、上記の図式からはみ出る言説が国内市場である程度の規模になるのは当面難しいだろう。だから絶望している……と愚痴を書いても仕方がない。なので、コツコツやっていくしかないのだけれど、とりあえず国内の状況を語るときになるべく「外部」から、世界的に観てそれはどう位置づけられるのか、という観点から考えないとあまり意味のある議論はできないだろう。

 たとえば、「日本維新の会」を語るときに、それが国内の政治改革や第三極の流れだけで考えるのではなく、トランプ現象など現代的なポピュリズムとの関係で考えないと「立憲民主党よりこの点ではマシである/ではない」といった、虚しい水掛け論にしかならない。

 次に大事なのは「マスメディアもSNSも観ない」層にアプローチすること、だ。いや、結局みんな観ているのだけど、「観ているだけ」で「気にしない」、いわんや「意見」を投稿して自分に高値をつけたいなんて考えない(考えるインセンティブを感じない)層を開拓……というか形成することだと思う。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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