特定の人間関係(共同体)に「執着しすぎ」ているときのサインと、その対処法についての話
少し前に「マシュマロ」という匿名質問サービスを経由して、人生相談のような質問が来た。
(このアドレスから質問できるので、気になる人は送ってください。)
最初はTwitter(X)上で回答しようと思ったのだけど、長くなったのでこちらに書こうと思う。
……なんというか、同情を禁じえない。世界は自分が優位に振る舞える場を手放したくなくて職場の飲み会や業界のイベントをしたくてたまらない「さびしいおじさん(おばさん)」にあふれている。しかしこういった「管理職(オーナー)だけが楽しい飲みニケーション」や「パパだけが楽しい家族の観光旅行」ほど醜悪なものはないと僕は思う。
しかしその上で僕はこう思う。この質問者は本当の問題を間違えている。僕の回答はシンプルだ。「放っておけばいい」のだ。なんだったら、「解散」してもいいと思う。その理由もまたシンプルで、質問文を読む限りその「厄介な30代OB」と同じくらい、この質問者がサークルに「執着」しているように思えるからだ。
では、その理由を詳しく書いていこうと思う。
そもそもサークルのような生存に不可欠ではない共同体をアイデンティティの置き場にするのは、僕は副作用が大きすぎるように思う。
サークルは「あったら楽しい」が「なくてもいい」ものだ。そしてこのタイプの共同体は、「この人間関係で認められたい」と考える人が発生して、彼/彼女の影響力がある程度強くなると変質してしまう。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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