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出版人の一人としていま「批評」本を売り出すことの意味を考えてみた話

今日は少し「出版業者」として考えていることを書いてみたい。

今日、三宅香帆さんの新著『娘が母を殺すには?』がPLANETSから、つまり僕のところから発売になった。


三宅さんは、前著の『なぜ働いていると本が読めないのか』が10万部超のベストセラーになっている。版元としては、新刊を出す著者の直前の(それも分野の全く違う)本がベストセラー化するというのはほとんど棚からぼた餅のような展開で、ああ、やっぱり僕の日頃の行いが神にフェアに評価されたのだな……と思うのだけど、その一方でこうも思うのだ。

「働いていると本が読めない」という焦燥を抱えた人がこれだけいるのなら、もっと普段から(全般的に)本が売れてもいいのではないか」と。

結論から述べてしまえば、いま人類が抱えている欲望は「本を読むこと」ではなく、かつて本というものが少なくともその一部を支えていて、そして今は「本」という記号が象徴している「何か」のことに他ならない。それはまあ、ものすごく卑しい表現をしてしまえば「知的な生活」というものかもしれない。

誰もが本当は気づいているはずだ。「働いていると本が読めない」のではない。いや実際に働いていると忙しくて仕事の資料以外、あまり読めないのだけどそれは現象面でしかない。僕たちは知的なものに憧れて、この種の教養論を思わず手に取るのだけれど、では、明日から心を入れかえて『知恵の七柱』を毎朝1時間開いて最後まで読み通そうとはまず、しないのだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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