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派手な登場をしたものの、期待を裏切らないほど砥上は役に立たなかった。

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第1章 4、金の鉤爪、銀の斧②

弾けるような音とともに建物の屋根を巻き添えに魔法陣が吹き飛んだ。

「マジかよ」

 あまりの呆気なさに驚く秋山の視界を斜めに横切り、狗鷲の姿の砥上が降りてきた。が着地に失敗したのか、勢い余ってごろごろと床の上を転がる。

「ばか野郎、何しに来た」

「助けに決まってるじゃん」

 むくりと起き上がり、体を揺らして羽毛を整える。こういった仕草もだいぶ板についてきたようだ。

 空の覇者たる猛禽類ではあるが、地上では雛鳥のように体を揺らして走ってくると、手をついて体を起こす秋山の顔を覗き込んだ。

「まあそうだな」

 あっさりと納得する。確かにこの状況ではそれ以外考えられない。がしかし、鳥になることと暴走すること以外これといった能力を持たない彼が来たからといって、状況が変わる気がしない。むしろ足手纏いが増えたくらいか。

 いや、たった今大事なことをしてくれたじゃないか。
 口の中に溜まった血や埃を吐き捨て、秋山は立ち上がる。

 見ていた限りでは、砥上は魔法陣の結界に取り付いてバタついていただけだった。だが結果的にそれが老魔女の魔法陣結界を見事に消してくれのだ。色々目を瞑りたいが、結果オーライとはこのことである。

 おかげで少しばかり体が軽くなったというものだ。

 外から覗いていたよりも、ずっと元気そうな秋山の様子に砥上は安堵した。
 自分でもよくわからないうちに魔法陣の結界を破ったようだが、こうして駆けつけてきたもののさて、これからどうしたらいいのだろうか。

 屋根が無くなったことで、破壊された障壁の霧が風に流されていく。その中から、銀色の甲冑が陽光を浴びて姿を表した。

 魔法陣の消失は”エルザス”の動きを止めたもののそれはほんのひと時だったようだ。しかもハルバードを右手に持ち、左手には腰に下げていたはずの大剣が構えられていた。

 砥上の派手な登場など無かったかのように、大剣を秋山に振り下ろしてくる。

「で、お前ひとりか」

 逃げながら、秋山は今や明るくなった広いホールのような場所をざっと見まわした。

 まあ、考えなしに飛び込んできたところをみるとひとりに違いないだろうが、だとしたらシェザーが迎えに出したというアイリスはどこに行ったのか。

 方や右手のハルバードはひょいひょいと逃げ回る砥上を蝿のように追いかける。

「他に誰かいたらもちっとマシな登場をしてると思うよ」

 その返答から、流石に自分でもどうかと思っているのが伝わってくる。てっきりアイリスに連れられて正面からのうのうと入ってくるかと思っていた。しかも鳥の姿になっているし。

「それで、この鎧は何? リモコンかい」

 右手と左手、それぞれ別人が操っているかのような動きに砥上は辟易しながら秋山に訊ねた。左肩を負傷しながらも、彼は右手に持った細い杖で何とか大剣を凌いでいる。だがあの杖でいつまで持つだろうか。

 砥上の思考回路では本物の甲冑とオモチャとそう変わらないのだろう。リモコンを引き当てたあたり、あながち外れとはいわないが。

 それでも彼にだって、今のままでは事態が良くなることはないと察しがつく。悪くなるしかないこの状況を脱するには、自分が何とかしなければならないのだ。

 槍の達人らしい甲冑はまるで砥上の思考を読むように、恐ろしいほど移動する方向を合わせて斧付きのそれを突き刺してくる。しかも早い。だが、甲冑を着ている以上どうしても可動域の限界があるはずだ。

 動きを止めるには重そうな体を倒すのが手っ取り早いと背後に回り込んだ砥上を追って、甲冑の腕の付け根から肩、肘が大きく回転した。有り得ない動きに追いつかれ、振り回されたハルバードの戦斧の側面により叩かれる。

「おい!」
 反射的に掛けられた秋山にも応える隙がないほどの予想外の動きだった。

 脚の向きはそのままにぐりんと腰で回った”エルザス”の左手の大剣が、床に転がる砥上を薙ぎ払うように横移動した。それを咄嗟に右脚で受ける。小柄なのにこちらの力が全く効いていない状況で、砥上は秋山を盗み見た。やはり相手をしていた武器がいきなり大剣から長槍に変わり苦戦しているようだ。

 砥上はフロアの木を掴んでいた左脚を外し大剣の先に当てると、思い切り下に力を入れた。梃子の原理で甲冑の手から外れた大剣が一気に回転して外れる。弾かれたそれを追って空中でキャッチしすぐさま甲冑の頭部を目指して降下した。

 大剣と、展開した”エルザス”の盾がぶつかり空間に衝撃が広がった。

「おわっ」
 すぐさま大剣から脚を離した砥上の体が、くるくると縦回転する。衝撃を逃そうとしたのか体が勝手に動いてしまったのだ。そして”エルザス”の方はといえば、大剣を凌いだままの格好で背中から倒れた。

「なにやりやがった……」

 陽の光を跳ね返す”エルザス”の向こう側から、呻き声がして秋山が体を起こす。どうやら彼も今の衝撃により倒されたらいい。

「よくわからないけど俺、勝った、かな」

 頭を抑えながら片膝でしゃがみ込む秋山の目が、倒れた”エルザス”を認めた瞬間変わった。瞳の色がとか顔つきではないがその眼差しが、秋山のそれと違うモノに変化したのだ。

「秋山君?」

 砥上の問いかけを無視し、”エルザス”に片腕を伸ばした姿勢で彼は立ち上がった。足を揃え音もなく、しゃんと伸ばした背筋での動きがまるで別人のようだ。もちろん彼の姿勢がいつも悪いとはいっていない。何か武芸でも嗜んでいたのか、秋山は背中が丸くなりやすい長身の者にしてはいつも真っ直ぐ背骨が立っていた。ただ、いまの秋山の姿勢はそれとも違う。もう少し優雅に見えて、そう、例えば中世の絵の中のドレスを着た婦人を彷彿とさせるのだ。

「”エルザス”」

 不思議な響きを含んだ音で秋山が呼びかけると、倒れた甲冑がネジ巻き式の人形のように身体を起こした。倒れたままのハルバードを掴むこともなく、両膝を床に着く。

 ただの声じゃない。魔力を含んだ声だ。

 これも、彼の魔法なのか。

 目はしっかりと開いているが周囲が眼中に入っていないのか、彼は口の中で不思議な言葉を呟く。

「バドル・フレイル・フラムス・セドゥ・ゴーン(黒き谷の黒炎の主よ)」

 いつもとは違う詠唱の声に、砥上の耳がおかしくなった。

 この声だ。

 彼の口から出るこの声は、誰の声だ。


 秋山は、突然放り込まれた意識の裏側で彼女の姿を見ていた。

 細く引き締められた腰に風船のように盛り上がった絢爛豪華なスカート。名前に封じ込められた1000年も前の亡霊の姿。

「時と数千の星を飛び越え我の声に耳を傾けよ」

 秋山の聞いたことのない呪文だ。それに言葉も現在の魔界で使われているものと違う。違うのに、どうして理解るのか。

「悪いけど、それは止めてくれないかな」

 いきなりの横からの声に彼女は詠唱を止めた。止めざるを得なかった。
 不可解な表情で彼女は声のした方を見た。そしてやはり同じように見ようとした秋山を、彼女は制した。

「お前は駄目だ」

 首も目玉も凍りついたように動かせない。ここは自分の意識の中なのに、自分の思い通りにならないなんて。

「まだ見るのは早いのさね、私の坊や」

 女の目には、ただの光に見えた。白く光る、小さいが眩しいほどの光。見つめていれば心の底から自我が消えてしまうほど聖烈な存在。故に俯き、彼女は光の階だけを目に入れた。

「今回は許してあげるからさ、止めてよ」

「妾の部屋に土足で入るも名乗らぬとは、失礼な輩よ」

 彼女は知っていた。詠唱は止めたのではない。この光に言葉を消されたのだ。

「ごめんよ。私たち・・・には名前が無いんだ。だからみんな好きなように呼んでくれるよ」

 姿形を持たず、そこにある光さえ単なる存在の印でしかないモノ。こんなあやふやなモノに何故妾は、これほど恐怖を抱くのだ?

「だけどここは、君の部屋ではないよね?」
 声からは「やれやれ」といったニュアンスが感じ取れた。
「事情は知ってるよ。けれど君はもう少し彼に敬意を示した方がいい。嫌われないうちになおしておくこと。いいね」

 わかったらおやすみ。

 可愛いオリヴィエッタ。

 小さな光が消えるのと同時に、魔名として秋山を守ってきたオリヴィエッタは元のように封印の底に沈められた。

 口調こそ優しかったが、恐ろしい存在だった。もし肉体を持っていたならば、全力で名主あきやまを遠ざけていただろう。

 あの存在を宿す者の近くにいたならば、名主あきやまは間違いなく喰われてしまう。

 だが、深く強固な封印の檻に入れらた彼女には何も出来ない。次に外に出る機会が来るまで眠り、力を蓄えるしかないのだ。


 その時まで、この名主マスターが持てばいいのだが。

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