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「うまく言えねぇが、そういうんじゃないんだよ。お前の存在力は」唯一正体を知る4/1吸血鬼は、ただ「安心しろ」といった。

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第一章 鵺の夜③

 雨は降り続いていた。
 小雨だが雨に変わりはない。

 会社の駐車場の定位置に車を止めた後、砥上は途中のコンビニで買ったチョコレート味のプロテインバーの封を切った。

 今朝は音楽を聞く気にもならない。

 閉ざされた無音の空間でじっとしているのは、心地よかった。レース仕様のレカロシートは身体にフィットして、包まれるような安心感がある。

 音の無い中でもそもそと口を動かしながら、フロントガラスに形成される水滴をただ見つめる。

 あの夢と同じような見ているだけの世界。
 干渉することもできず、何も変えることが出来ない。
 ではもし干渉できたなら、どうにかしたのだろうか。

 頭を過るのはあの夜の出来事。
 旧びたゲームセンターで目覚めた、この身に宿る力。
 風を操り、襲いかかる魔界人を一瞬にして吹き飛ばした力。
 あの夜以降、出現しない力。

 いや、もしかしたら寝ている間に発現しているのかも知れない。夢を見た後に散らばる羽根や筋肉の強張り、大量の寝汗などの異変を考えたら、ただ夢を見ているだけと思う方がおかしい。
 だから、どうしても認めたくなくて自分に言い聞かせているんだ。

 自分では制御ができなかったのだと。

 我に返った時の惨状は今でも覚えている。
 思い返すたび自分の力が恐ろしくなった。

「魔力とは似て非なる力」。
 魔界人の集会に連れて行ってくれた彼はいった。
 魔界人でも分からない力なら、何だっていうのだろうか。

 少しだけ開けていた窓から業務開始の予鈴が聞こえてきた。
「やっべ」少々のんびりし過ぎたようだ。
 ゴミを入れたレジ袋を片手に愛車の2ドアスポーツクーペから飛び出すと、砥上逍遥は従業員用の玄関へと小走りに向った。


「ふぅ~、まいったなぁ~」
 ほぼ同時に玄関に飛び込んで来た人影がぼやいた。

「秋山君」
「おう、お前か。止まねぇな、雨」
 そう言って笑う。

 いつも笑顔を絶やさない口元から大きめの八重歯が覗く。交代勤務の彼、秋山守人と顔を合わすのは3日ぶりだ。
「朝からいるってことはB勤でしょ、昼休み、時間いいかな」
 更衣室に向かう途中まで肩を並べて進み、各々のロッカーの方へと別れる際に聞いてみた。製造現場のB勤の昼食時間は、デスクワーカーである砥上が所属する設計部と同じはずだ。

「構わないぜ」
 即答した後何も聞かず、会うタイミングも場所も決めぬまま「んじゃな」と、片手を挙げて自分のロッカーのある方へ早足で去っていってしまった。

 仕方ない。始業時間が迫っているので急いでいるのだ。
 そう、急ぐのだ!
「やっべ」
 人も疎らになった更衣室を砥上も小走りで移動した。


 雨は午前中のうちに止んでいた。
 それでも6月の空はまだ降りたそうに、雨雲が重く垂れ下がっていた。

「夢? まだ見てんのか、あの夢」
 駐車場の腰高のアルミ製外壁に背を預けながら、秋山は取り出したタバコの先をこちらに向けた。火を分けろというのだ。

「しかも現実感が半端なくて」咥えタバコでポケットから取り出したライターを放り投げる。

「頻度も増してる。ここんとこ毎日だよ。今日もそれで起きたらさ、汗びっしょりだったんだ」

 今朝の母親とのやりとりを思い出し、苦い感情に顔を歪める。多分罪悪感というやつだ。

 2人がいるのは会社の社屋の横に立つ立体駐車場。その2階に止められた秋山の車の後ろで落ち合うのが、会社内で会う時の常となっていた。

 古いシルバーのシトロエン。ハッチバックの後部座席は取り外され、大きなロールバーが収まっている。

「相変わらずその夢の心当たりも理由も無し、か。で?」
 先を促した。

 彼が2ヶ月ほど前から同じ夢を見ていることは知っていた。しかし最初の方こそ夢からの覚醒時に部屋が荒れていたり、短時間の高熱やしばらく身体が動かなくなったりと問題がおきては自分のところに電話をしてきたものの、最近はそんなこともなく安定していたと思っていたのだが。

 「『鵺』だよ。今日の被害者は、同じ市内だった。リアルさを実感して起きると、必ず誰かが死んでるんだ」
 また自分が、無意識のうちに部屋を飛び出して何かしていると思っているのだ

 秋山に連れられて行った魔界人の集会で起きたような、無意識による力の暴走を彼は恐れている。

 「偶然だろ。鵺の事件は毎日どこかでおきている。この国中でだ」起きた時に自室にいたなら何が問題なのか。いくら彼が魔界人が束になっても敵わないほどの力を持っていても、一晩中全国で起きている「鵺の事件」のすべてに関われるわけがない。

「でも魔界人が簡単に襲われるかな」
 眼鏡の奥で秋山は目を細めた。鵺の鳴き声(と呼ばれている不気味な動物の鳴き声)の夜におきる無惨な猟奇殺人事件が最初に囁かれたのは、インターネットの世界だった。玉都で頻発していると噂されていた事件は最初こそネットを騒がすだけの都市伝説だったが、やがて噂通りの鳴き声が地方に広がると共に発見される死体も増え、いつの間にか毎日ニュースで流れる様になった。

 この辺りで被害者が出る様になったのはつい最近だ。
「ニュース見なかったの? 俺、あの人と会ってるよ。あの場所で」

 知り合いというほど親しくはないが、面識がある。それも普通の人間ではない者同士が。これは偶然だろうか。

「明けの朝はぇんだよ。それに魔界人でも力のねぇ奴はいる」ニュースを見ていないらしく被害者の見当もつかないようだが、明らかに関わりたくないといった態度だ。そして砥上にも関わるなといいたげだ。

「いつもの、終わったばっかなんだ」

 ダイニングテーブルの向こうのテレビ画面が、忘れられない。名前は知らなくても、被害者として映し出された写真には見覚えがあった。

 仄暗い中で音楽に合わせて光が踊る旧いゲームセンター内で見た彼女の姿は、人間というには奇抜すぎて、こんな地方の片田舎では悪目立ちしてしまうほどだった。だが今朝のニュースで流れた写真では、どこにでもいるただの女性だった。悪目立ちどころか少し話しただけでは印象にすら残らない人間。嘘みたいな話だが、魔界と呼ばれるこの世界の裏側から来た人達はそうして、普通の人間に混じって暮らしているのだ。この目の前にいる秋山だって。

「じゃあ、お腹空いてるんじゃない」

 東北から流れるようにこの街にやってきた秋山が製造会社の3交替勤務についているのは、賃金がいいだけではない。ひと月の中で体質的に昼夜が逆転する期間がある彼にとって、活動しやすい夜中にも効率的に働けるちょうどいい勤務形態なのだ。

「肉は喰わねぇよ。知ってるだろ」
 妙な突っ掛かりに秋山はイラついてきた。

 満月を挟んだ数日間、秋山の体質は夜型の生活に変化する。それを過ぎた後は徐々に昼型に戻るが、そう劇的に変わるわけじゃない。この時期の彼はまだ血の匂いに貪欲のはずだ。20キロ圏内なら真夜中の帰宅途中だろうと血の匂いを嗅ぎつけるだろう。事件が起きたのは会社のあるこの富士宮市の隣。ここから現場までの距離なら15キロ以内か。カードをスキャンさせて社屋から出た途端気づくはずだ

「昨日はC勤だったよね」
 三交代勤務は夜中から入るA勤、朝から入るB勤、夕方から入るC勤のシフトをグループ内で調整して勤務を繰り返す。昨日C勤だった秋山は本来なら夜中からのA勤か連続勤務回避で休暇となるはずだが、休暇を月曜日にずらしてB勤で出社してきた。背がひょろりと高く線が細く見えるが、彼はある意味タフだ。その気になれば一週間だって寝ないでいられる。

「満月期も終わったし」
 口からタバコを外し続ける。もちろん、彼がタフでいるためには条件がある。

「何がいいたい」秋山の言葉なんて無視して続ける。彼がタフでいるために必要なのは血だ。それも人間の血が。サイクル的にはまだ吸血鬼としての活動時期ではないだろうか。「誰かと一緒なら狩りだって」

「俺じゃない」
 腹立たしいとばかりに秋山も咥えていたタバコを掴んだ。振り切った手の勢いは衰えることなく拳が腰高塀に激突する。静かな駐車場に薄いアルミ板の鈍い音が響いた。

「ちっ」
 拳が離れた後は、微かに凹んでいた。

「ごめん、冗談だよ。なんともない?」
 予想外の大きな音に、砥上の声は少し震えていた。普段から笑顔を絶やさない秋山の豹変ぶりに驚いたのか、それともただ単に音に驚いただけなのか。

「ああ、これくらいじゃな」
 ぶつかった方の手を上げて軽く開いたり握ったりをしてみせてから、秋山は取り出した吸い殻入れに火の消えたタバコを放り込んだ。

「タチの悪い冗談を。俺は誰とも連まねぇ」

 それは知ってる。人と顔を合わせれば笑顔で人当たりが良さそうに見えるが、基本秋山は1人のことが多い。社内で同じ年代のグループが声をかけてきてもそこに長居することはなく、いつの間にかいなくなっている。きっと同じ魔界人の中にいてもそうなのだろう。砥上を連れて行った集会でも、そこにいた魔界人達とは仲間というより、単なる顔見知りのような距離感があった。時々情報を収集するのに利用しているサロンのようなイメージだ。それに魔界人は人間の血肉を食べてることはあっても、同じ魔界人のそれは好んで摂取しないという。

「逆にりゃお前かと思ったぜ」
 何故ならば、魔界人は美味しくない(らしい)からだ。
「肉は好きだけど、生はちょっと」苦笑いするその表情を見て、秋山はすぐに後悔した。これこそタチの悪い冗談だ。そんなつもりもないのに、わざと自分を怒らせた砥上の心情を察した。何か喋っていないと不安に違いない。

 砥上逍遥は、鳥男だ。しかも本人がこの事実を知ったのはついこの間。そして魔界人の集まる場所で風を操る力を暴走させたにもかかわらず本人は覚えていない。無意識のうちに本人でさえ知らぬ凶暴な力を使い人(魔界人だが)を傷つけたのだ。そんな、何者かも判らぬ自分自身に恐れを抱き、疑問を抱くのは当然だ。

「少なくとも最近の、この辺りで起きている事件と夢を見る日が重なってる気がするんだ」似たような、というか内容的にほぼ全く同じ事件は全国的に起きている。それ故組織的な犯罪ではないかと一部の報道では言われているが、逆に魔界人のように知られざる異能者が個々に動いているとも考えられないだろうか。そしてもしその中にあの無意識に暴力を振るう自分がいたら。

「だから、重なってる気がするだけだっつんだよ。そんなに自分が信じられねぇのかよ。つか、俺が何でも知ってると思ってるよな」

「大丈夫」という台詞を聞きたいわけではないのだろう。ただ、人間以外の砥上の姿を知っているのは、今のところ秋山しかいない。それ故彼ならば自分の知らない事を他にも知っていると思っているのだ。

 

「秋山君は俺のこと、何か見ててくれるからさ」
 不安な気持ちが、遠い地面を見つめる砥上の背中から匂い立っていた。

 秋山守人は、吸血鬼である。正確にいうと人間と、人間と吸血鬼のハーフを両親に持つクウォーターだ。もっとも秋山は吸血鬼よりも人間に近いので食生活も人そのものだが、やはり血液を欲し満月の前後は完全な夜行性となる。ちなみに彼の説明によれば吸血鬼が陽の光に弱いというのは誤った情報で、苦手であることは確かだが陽光の下を歩いても問題はないらしい。

「あんまり俺のこと信用してっと、後悔するぞ」濁りのない砥上からの信頼感に思わず忠告心が疼く。

「ふ、なにそれ」
 だが砥上の方はまともに受け取らない。

 本人の話では、砥上の両親は生粋の人間らしい。確かに彼の放つ匂いは人間のそれだ。だがしかし吸血鬼の能力が表面に出ている活動期に会う彼の体臭からは、人とは明らかに違う存在力の香りがする。故に最初は半人半魔かと思っていた。

 信じられないかも知れないが、魔界人との間に生まれた合いの子でありながら、本人がその事実を知らない半人半魔は意外と多い。そのような存在は大抵生まれ育った環境に準じた存在力を持つため、人間らしく生活し魔界人の力が発現しないまま一生を終える者が多い。だがそれにしては砥上の匂いは異質であり、強いのだ。魔界人の多くは地上にいる間は月の満ち欠けによって能力や活動量に差が出るが、こんな香りの存在がこれまでどの魔界人の目にも留まらず人間として生活してきたとは。しかも本人が全く気づいていないときている。

 この世界では「人間以外」であることを知られることほどリスキーなことはない。今の彼は見る者によってはどうぞ注目してくださいといわんばかりだ。だから秋山はその事実と己の身を守る方法について教えようと思い、「誰とも連まない」ポリシーを変えてでも近づいた。

 だいいちこんな目立つ輩がいては、せっかくいい働き口を見つけたのにいつ他の魔界人に絡まれるか気が気じゃないじゃないか。

「安心しろ、あれはお前じゃねぇ」
 それが、こんなことになろうとは。

「その根拠は」疑うというよりも拗ねているように、腰高塀に体を預け外を見ていた砥上は下から顔を覗き込んだ。

「上手く言えねぇけどよ、そいうんじゃないんだよ。お前の存在力は」

 ひどく感覚的なものになるが、砥上逍遥という存在力は強い『正』の性質を放っている。もし最初に会った時からそうであったなら、秋山は彼を魔界人の集会などには連れていかなかった。それどころか、言葉を交わす事も全力で避けただろう。魔界人の存在力は人間界では『負』の性質となる。そんな負の存在力を持つ秋山にとって彼は眩しすぎるのだ。なのに彼が唯一自分の特異な姿や悪夢について相談できるのが秋山だけとは皮肉としかいいようがない。

  一人でいることを常とする自分がとんだ失態をおかしたものだと悔やみもするが、本音をいえば砥上の正体が何なのか興味がないわけではない。

「気になるならよ、行くか。犯人を探しによ」
 いつもの、いたずらっぽい目をしてきた。
「今日? 出てくるかな」

 砥上の態度が、少し臆病なものになった。気が進まないように見えるのは鵺を探しに行くのが怖いからではない。探しに行くために鳥へと変態するのに抵抗があるのだ。

 これまで何度か秋山とともに夜空を飛んだが、人間からの変身の過程で意識を失いかけたことがある。

 その度に必死になって戻ってきた。

 自分で自分の身を怪しむ不安から解消されたいのはやまやまだが、いつか人間の姿に戻れなくなるのではないかという不安の方が大きかった。

「そりゃ相手の都合だな」と鼻をならす。二人で歩いて探すという手もあるが、妖怪か殺人鬼といった危ない物が歩き回っている真夜中に男二人で歩き回わっていれば、怪しいですと吹いて回っているようなものだ。

「また無責任な」

 だが確かに歩くよりも空から探した方が効率がいい。吸血鬼の力を使う時は普段は隠れている秋山の魔力も顔を出して、そういった存在に対してのアンテナが効く。そして砥上も、鳥の姿になった時の方が視力や聴力といった五感が鋭敏になるのだ。

「おう。けどな、この世界は待っちゃくれねぇもんなんだよ。何かを知りたけりゃ、動くしかねぇんだ」

 まあ一理あるとうなずくしかない。あの夢を見るたびに母親と喧嘩をするわけにも行かないし、この先友人として秋山と付き合って行くのなら、もっと自分のことを知るために力は積極的に使って行った方がいいとは思う。

 少なくとも制御出来るようになれば、もう不安にならずすむに違いない。

「そうだね。じゃあ、いつもの時間に」

 そろそろ時間が終わりかと秋山が時計に目を落とすと同時に、昼休みの終わりを告げるチャイムがなった。

「お前が来るまで待ってるからな」

 いい捨てて彼は戻って行った。

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