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カエル男とサイボーグ男

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第1章 5.砥上家②

 これまで記録した分と、自分がここに来るまでの残りの記録のダウンロード設定を済ませると、錐歌はさらなる手がかりを求め部屋を見て回ることにした。場の記憶の密度がかなり濃いので、ダウンロードの時間はかかるだろう。

 どちらにしろ回収を頼まなければならないシェザーの遺体に顔を顰めながら、壁に描かれた巨大な絵画へと向かう。来場者の目を錯覚させる画面のカーテンに隠れるように本物のカーテンがかかっている。覗くと、スタッフルームへの入り口があった。

 鍵は空いていた。

 腰のホルスターから無線テーザー銃を抜き取り構えながら、窓のない小部屋に踏み込んだ。これは標的に当たると電撃発生部位が自動で起動し、電気的刺激で動けなくする。人間界のテーザー銃のように電撃用の線もないし火薬式の拳銃のように音はしない。役人の彼女が人間を殺すことは禁じられているので無駄な殺生もしない(もちろん、役人でなくても殺人は許されないが)。

 魔法陣の構成から抜けていることによってまだ屋根がある小部屋の中には、移動式照明が数台置かれていた。おかげで懐中電灯を持つ手間が省けた。これらの電源は魔界性の電気を含んだ鉱石電池で、コンセントもバッテリーもいらない。反対に電源としても利用できるほどの電力がある。

「こんなものまで持ち込んでいたなんて」

 胸につけたカメラの電源が入っていることを再度確かめる。死んだとはいえ明らかにシェザーのしたことは犯罪だ。秋山が被害者で、シェザーを犯罪者として裁く証拠となるはずだ。それに、魔界のテクノロジーを人間界に持ち込むのももちろんご法度だ。

 見たところ、シェザーはこの部屋に住んでいたわけではなさそうだ。だが今日までの数日間を過ごしたのは確からしい。テーブルの上にはインスタント食品や菓子パンなどのゴミが散らかり、飲料水のペットボトルが転がっている。ベッドはなく、置き忘れたようなソファがあった。そして部屋の中央には、小さな魔法陣が敷かれオブジェが据えられていた。

 これは、魔女ヘレナだ。

 水晶のように結晶化した魔法の中で事切れている。結晶にはクラックが入り、表情はよく見えない。触れようとしてあげた手を、錐歌は止めた。計測値からはすでに魔力は認められない。だが触れるのが怖かった。

魔力のない彼女にとって、これは「触れてはならぬ物」だと、心がささやいた。

 気を取り直し、ソファの近くのテーブルの上にあるパソコンを見た。電源は入っていないが携帯用プリンタが置かれ、打ち出された紙が数枚散らかっていた。

 ノイズだか掠れだかが酷い独特の粗い画像。こういった画像は研修で見たことがある。脳の記憶から再生したものだ。方法はあまり思い出したくない。

 「これも持っていった方が良さそうね」

 パソコンを手に取り圧縮袋の中に入れた。口を閉じると、15インチのパソコンはわずか葉書サイズほどにまで縮まる。拾ったプリントアウトした紙と一緒にベルトから下がるポーチに放り込んだところで、建物の外に張ったセンサーが何者かに反応した。現場保存用の結界は張られていて、そう簡単にこの場所に来ようとする人間はいないはずだ。

 彼女はやむを得ず作業を一旦中断することにし、端末の回収を急ごうとスタッフルームを出た。

 「ふぅーむ、これはどういうことだ」

 訪れた人間は二人だった。二人の男。ひとりは雲を突くような大男でロボットみたいな厳つい顔。ハリウッド映画のサイボーグがピッタリだ。父親に話したら喜ぶだろう。もう一人はおそらく一度見たら忘れられない、カエルの口に目鼻をつけたような顔の小男。そして外と建物の中にも数人の人間が入り込んでいる。彼らの部下だろうか。

 小隊分の人数をひとりで相手をするのは流石に無理だ。

 カーテンの陰で装備の遮蔽機能を起動し、注意深く壁際の移動を開始した。

「だから魔界の小僧なんぞ当てにするなといったんだ」

 破れたステンドグラスに目をやり、消えかけた魔法陣にそってシェザーの残骸まで歩くカエル男に厳つい顔の男が声をかけた。小僧というのはおそらくシェザー。なら彼らは商売相手か。人間相手にシェザーが真っ当な商売だけをしているとは思っていない。例え魔界を認めていない国であっても。

 にやけた顔で若そうに見えるが、シェザーは200歳をゆうに超えているのよ、カエルさん。

 そう錐歌は囁きたかった。

 外見で判断する人間は、魔界人も自分達と同じように歳をとっていくと思っている。同じように感じ、考え、見る。それから逸脱した魔界人を、彼らは悪魔としばし呼んだ。外見も年齢も違うとしても、それ以外は何一つ変わらないというのに。

 つまり単純で軽薄で時々優しい存在。この世に在る全てのものはそれに尽きると、彼女は思っていた。魔界人でも人間でも動物でも、命ある全ての生が泣き、笑い、踊る。そして騙しあうのだ。自分という存在を確立し、そこに居た証を残すために。

 カエル男は中央に立ち屋根を失った部屋を見渡し、大男は転がるシェザーの手をつまらなさそうにつま先で弄んでいる。シェザーはどうしようも無い最低の商人だったが、だからといってその亡き骸の一部を弄ぶのは、同じ魔界人としていい気がしなかった。

「フェルメールか」

「何?」

 カエル男の呟きに大男が反応した。

「『窓辺で手紙を読む女』。フェルメールだ」

 あごをしゃくり、カエル男は壁に描かれた巨大絵画を示した。

「絵画を見る趣味くらい持っていた方がいいぞ」そして一点を見つめながら続ける。「あのカーテンの向こうを見てこい」大男は怪訝そうに首を傾げ、体を揺らしながら壁に向かった。

 移動しながらも録音を続ける錐歌は緊張した。あの部屋が見つかったのだ。パソコンがない事に気づくだろうか。

 トリックアートとして描かれた、立体的な絵画の中に踏み入りながら、大男がカーテンの影に描くれた扉に気づいた。

「左右雀、部屋があるぞ」

 2人の動きを観察していた錐歌の耳の後ろあたりがぞわぞわと警鐘を鳴らした。

「それに、近くに誰かいるみたいだ」

 左右雀と呼ばれたカエル男が改めて部屋を見回す。

「先程から妙な気配はしてるんだ」

 限界だった。ぞわぞわな感覚が背中全体に広がり、錐歌は背後にしていた壁に向き直ると手足をかけた。両手足に履いた特殊グローブとシューズでヤモリのように素早く壁を登って行く。

 部屋を横切り壁に近づく左右雀の視線を背中に感じる。

「やめろ。どうせ逃げられる」

 だがはっきりと目標を捉えている訳ではないらしく、大男の言葉に足を止めた。それでも錐歌は夢中で手足を動かし、屋根の吹っ飛んだ壁の上まで達するやいなやジャンプした。同時に背中の飛行翼を開く。

「ちっ」

 急に獲物の気配が消えたので、左右雀はは面白くないとばかりに唾を吐いた。

「どうせ野良だ」

「俺に偉そうにするな」

 大男が待つ隠し部屋の方へと左右雀は歩いて行った。

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