見出し画像

"再会"と呼ぶにはあまりにも短い時間。

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第一章 5.砥上家②

 そろそろ陽が沈む時間だったが、夏至が近い空はまだ十分な明るさを保っていた。

 あんな怪しげな連中に遭遇しながら無事やり過ごすことができたのは、幸運だったと錐歌は自分でも思った。
 特に左右雀そうじゃくと呼ばれた小男。奴の視線は本当に不気味だった。強いていうならば人間の視線じゃなく、捕食者のそれだ。

 何故あの場所に彼らが来たのだろうか。現場の結界は生きていた。人間が建物の異常に気づくのはもっとずっと後になるはずだった。

「うわぁ!」

 いきなり吹いてきた風にコントロールが崩され、牧場を守る防風林の梢に突っ込むも、体を捻りなんとか掠めただけに止める。

 もっと深く考えたいけど、いまは飛行翼のコントロールに専念しなくちゃ。

 ゴブリンと人間のミックスである錐歌には自力での飛行能力はない。同じ魔界人と人間のミックスでも飛行能力のある友達が羨ましかった。

 とりあえずは、秋山の様子を見に行くのが先決だ。

 足元に見えてきた天子ヶ岳の麓に降り立つ。
 山の陰となる小田貫湿原には、すでに人気はなくなっていた。すぐ近くにある休暇村の宿泊客は、今頃夕食前の温泉で観光の疲れを癒しているに違いない。蛍が飛び始める前の、束の間の静謐だ。

 初夏の草花の間を縫って、駐車場への道を急ぐ。林の間から出て、目の前に広がる田貫湖の対岸を見るとキャンプ場にたくさんの灯が見える。660mの標高と聞くとそれほど高いように思えないが、6月でも最低気温が-1℃になる日がある。キャンプをするならまだ冬装備が必要だろう。

 物好きもいたものだと呆れつつ、小さな神社の駐車場から車を出した。

 休日の夕方は東京方面へと帰る車で国道も旧国道もちょっとした渋滞になる。139号線には乗らずに414号線を南下し、184号線へとまっすぐ進んだ。田舎道だけあって狭いし対向車とのすれ違いが難儀な時もあるが、秋山のアパートのある南西方向にはほぼ無信号で一直線に移動できる。

 裏道を通った甲斐があり、30分ほどで彼のアパートの駐車場にたどり着くと、古臭い青みがかったシルバーのシトロエンの横にジャングルグリーンのジムニーを並べた。駐車場の垣根の向こう側が彼の部屋のはずだが、首を伸ばして見ても部屋の明かりは見えない。

 寝ているのだろうか。4分の1吸血鬼クウォーター・ヴァンパイアの彼の生活リズムはほぼ人間と同じだが、怪我をしていた。

 表に回ると玄関までに二箇所の検問が出迎えてくれた。作動しないので、どうやら問題ないらしい。

 「守人、私だけど」チャイムを鳴らし、声をかけてみる。「起きてるの」ドアに耳を当て中を伺うと足音がして、ガチャリと鍵が開けられた。

「よう、警備官殿」

 不機嫌な目で、酔ったような足取りの秋山がいた。
「よかった。動けそう」

 まだ少しスミレ色が残る瞳に、ゾクリとする。彼が魔名を持っているのは知っているが、それは書類の上だけだ。魔名を使ったところも見たことがないし、こんな不機嫌な彼に会うのも初めてだ。

 それでもいつものように接することを心がける。

 焦茶に近い深いヴァイオレットの彼の瞳は、本当に優しいのだから。
「あの狗鷲は」
 彼が土間に降りようとしないので、距離を縮めるために中に入った。
「帰ったよ」錐歌のすぐ横から手を伸ばし、彼は再びドアに鍵をかける。息からも部屋の中の空気からも、少しのアルコール臭がする。消毒液のではなく酒類、ビールだ。「あんな奴、いつまでも置いておけるか」

「彼翼人でしょ。越境者のリストには翼人はいないはずだけど」
 入った場所から動かずに、錐歌は部屋の中に目を向けて観察した。

「盗み見るなら入れよ」
「止めとく。すぐ行くし」

 奥のリビングのソファ横のサイドテーブルに、飲み終わった血液パックが見えた。吸血鬼の再生力は超強力だ。滋養源を摂取したのならおそらくハルバードが貫通した傷は癒えているだろう。

「あいつのことはよく知らねぇよ」

 まあ、秋山のアパートも知らないみたいだったのでそうかもしれない。

「で、捜査はどうだったよ。ナンかあったか」
 人間界の警察と同じで、無関係の相手に捜査情報を開かせないのは境界警備官も同じだが、一応聞いてみた。

「多分シェザーの死であんたは責任を取ることはないと思う。先に手を出したのは向こうね。もっと調べれば何か出てくると思うし」
 それでもシェザーを殺した罪という秋山が持つ不安を払拭し、成果としての小さく圧縮されたノートパソコンをチラリと見せてくれた。

「あと、エルザスを捕まえられたのはよかった。行方不明だったのよ、彼女」

 秋山の眉間に皺がよった。どういう意味だろうか。

「お前、なんであの場所の事を知ったんだ」
 シェザーの魔女ヘレナの結界は完璧だった。砥上はアイリスに教えられたが、でなければ誰も見つけられなかったはずだ。あるいは、見つけられたとしても何十年後か後に偶然誰かが立ち入ったという形のはずだ。そして残っているのはおそらく、両目を抉り出された自分の姿。

「依頼があったのよ」
 依頼人との間に守秘義務は交わされていないのかあっさりと、あの場所には境界警備官として訪れたのではないと認めた。

「お池の主か」
 到着した直後の錐歌の呟きを思い出した。

「ちょっと借りがあったの」呟きをきかれてしまった。自分のうっかりミスに錐歌は冷や汗をかいた。相手が秋山でよかった。「域内で気持ちが悪いことが起こってるっていうから、見にいっただけ」

 依頼人とやらが『お池の主』だとは認めず肩を竦めて見せた。話はこれでお終い。ということだ。秋山の国籍は日本皇国であり、シェザーのコミュニティに参加していた大半の魔界人と違って不正に存在しているわけではないが、煩わしさから境界警備隊との関係を持ってこなかったことに今更ながら後悔した。もう少し彼らと仲良くしていたら、砥上の事でもこんな面倒を起こすことはなかったかもしれない。

 しかし、少しの間を開けて彼女は続けた。
「調べてる最中に、嫌な奴が来たの」
 出来れば思い出すのも避けたいのか、彼女は口を歪めた。
「どんな奴なんだ」
「不細工な奴よ」
 すぐに砥上と笑った錐歌の父親の姿が浮かんだ。

「もっと両生類的な」

 自分の父親がアンバランスなモンスター的外見をしているのを十分承知している錐歌が、その想像を訂正する。
「わかったか」
「言わずもがなよ。とにかく、パパとはタイプが違う不細工さだった。確か、ソウジャクって呼ばれてた。あと1人はまんまサイボーグって感じの大男」

 外見を聞く限りではどちらも覚えはない。コミュニティーの情報ページにもそれらしき外見の人間についてはUPされていない。が、ソウジャクという名前には聞き覚えがあった。

「あんたはしばらく静かにしていた方がいいわね。できれば夜の散歩もやめときな」
 新人ではない錐歌を不安にさせるとは、よほど不気味な奴らに違いない。
「狗鷲にも会ったら言っといた方がいい」

 帰るそぶりをみせたので玄関の鍵を開けてやったが、その時秋山は彼女の手が腰のテーザー銃に添えられていることに気づいた。申し訳ない顔を向けながら、彼女が銃から手を離す。

「ごめん。魔名は危険って教育されてたから」

 魔名のような巨大質量の魔界の存在を捕獲する装備は、一つしか持たされていない。なけなしの一つをエルザスに使用している以上、秋山が向かってきたときに抑える手段はテーザー銃しかないのだ。もっとも、本当にそれで魔名を抑えられるかは疑問ではあるが。

「気にすんな。でもよ、この国での警備の装備ももちっと強化しといた方がいいぜ。シェザーみたいな奴はこっそりいるからな」

 確かに彼のいうことには一理ある。日本皇国担当の警備隊の装備にそれほど強力な武器がないのは、魔界との交流がないこの国には必要ないとされているからだ。

 だが、エルザスがいたことでその認識は大きく変わったし、シェザーは他にも無認可で魔界の機材を持ち込んでいた。調べればきっと、彼以外の誰かが何かを持ち込んでいるはずだ。回収したパソコンに何かあればいいのだが。

「報告書に書いておく」
「おう。頼んだぜ」

 うなづくと、彼女は自らの手でドアを開け外に出た。

 最後に彼と会ったのは、いつだっただろうか。男鹿の大学に入学したときだから、およそ8年振りの再会か。その時は境界事務方の管理官として顔を合わせただけでろくに話もしなかったが、久しぶりに友人として言葉を交わし、やはり昔とは違う違和感を感じた。

 もっとも友人として一緒に転げ回っていたのは20年も前のことだが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?