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他でもない秋山のピンチだというのに、自分は何もできないのだろうか?

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第1章 4.金の鉤爪、銀の斧①

 その施設に関しての認識はあった。ただ、砥上は訪れたことはなかった。

 甲州との洲境近くに作られたトリックアートを集めた美術館。開館当時は話題になったが、一帯の観光地化も進まず、交通量も少ない場所であったことから集客も悪くすぐに閉鎖してしまった。その後建物は再利用もされずにかれこれ10年ほど放置されているだろうか。

 駐車場を挟んだ雑木林の中でも比較的大きな木の枝から、砥上は建物を見た。

 今までどんな生活をして来たのか秋山は用心深く、例え姿を消すメダルを身につけていたとしても不用心に広い場所に出ないようにと、砥上にも口を酸っぱくして言い聞かせていた。その教えを守りこうして身を隠しているのだが、建物に意識を集中した時、彼には建物を包む複雑な方程式のバリアが見えた。


 魔法だ。


 間近で秋山が魔法陣を出現させるのを見ていたからすぐにわかったし、あの秋山が手に負えないほど「ヤバいもの」であるのだろうと察しもした。その証拠に意識を集中すると同時に聞こえてきた中の会話は不明瞭だが、どう想像力を働かせても楽しんでいるようには聞こえない。

 中の様子はわからないがとにかくまだ秋山は生きていて、どうやら建物を囲む魔法の力で外に出ることができないらしい。

 推測でしかないが確かだろう。
 そしていま考えることは2つ。
 ここで俺は何が出来るのか。
 何からやればいいのか。

 車のフロントガラスに残されたアイリスの地図でこの場所はすぐにわかったものの、砥上は真っ直ぐに来ることはなかった。家で父親に告げた予定通り一度市立体育館のジムに立ち寄り、そこから鳥の姿となって来たのだ。

 この姿の方がメダルの力が働いて誰の目にも見えないし、翼がある分人間の姿よりも動きやすい。

 だが、結局はそれだけだった。
 どんなに動きやすくても、自分には秋山のような魔法を使う力やそれに関する知識もない。

 ただこうして遠くから見ているしかないのか。 これでは本当に、ただの高みの見物じゃないか。

 イライラと枝の上を行ったり来たり。
 先ほどから秋山と相手との会話が途切れている。
 相手はシェザーだ。
 魔界人の集会で、過去に自己認識不明の魔界人と人間の混血を視てきたという老女の後ろに立っていた男。

 オリヴィエッタが誰の名か知っているか。

 そう秋山が問うたあと会話は途切れた。しばらくの間かすかな囁きも聞こえたが内容まではわからない。

 もっと近くに寄れる場所を求めて砥上は別の枝に移動した。

 建物はいくつかの箱を組み合わせた不規則な形をしていた。窓が少なく、高くても3階くらいか。低層棟のカフェや細い窓以外は直接中を見ることができないようになっている。それに地面に近い場所は全て魔法陣の中に入っていた。だが幸というべきか、施設が不規則な形をしているせいで高い場所の角などは魔法陣から飛び出していた。

 場所を転々とし建物を半周ほどした頃、砥上は一番大きい箱の上部に付いたステンドグラスに気がついた。建物の角に近く、何に使うのか近くには地面から伸びた外階段もある。登り切った非常灯の付いた入口には小さいながらも屋根があり、都合のいいことに魔法陣から飛び出していた。

 あの屋根に乗ればステンドグラスのすぐ下に行けるが、おそらく建物を覆っている魔法陣は侵入者避けだ。屋根に乗ったところで魔法の罠か何かが作動するに違いない。そうして自分まで捕まってしまえば目も当てられないし、顔を合わせた時に秋山の怒りようが目に浮かぶ。

 だけど他に、策があるだろうか。
 もし無茶を承知であの窓から中に入り込んだら、何が起きる?
 その場で少し考え込んでみる。

 仕事以外でこういった予想を立てるのは苦手だが少し、自分の身に宿る力について考えてみる。

 まず第一にこの力は魔力によるものではない。
 第二に、秋山によるとこの力は魔力を弱らせるらしい。
 第三は、自分では全く実感がないがこの力を”信じていい”らしい。

「断言できるの、いっこだけじゃん」
 しかもみんな秋山に言われたことで、自分では何一つ実感が持てない希望だ。
 そもそも魔力について概念も何も知らないし、魔力を弱らせるにしても何らかの力を持っているにしても自分で制御できたためしがない。だから、「この力は魔力じゃない」しか自分にはわからない。

 それでも、自分を信じて飛び込んでみるしかないのか。

 相手は秋山なのだ。
 行くしかないだろう。

 自分でも解らぬ感情がぞくぞくと羽先より走り、身体中の羽毛が文字通り総毛立つ。覚悟を決めるように目的の場所にぴたりと視線を合わせたと同時に、建物を包んでいた魔法陣が消えた。

 まるでガラスの鳥籠が壊れるかのように、透明で複雑な模様が明滅して砕け散る。

「うそ、もしかしていまの俺?」

 何故なにハテナ? と首をくるくる捻ってみるが、ただ単に見つめただけで複雑な魔法陣が砕けるわけがない。

 きっと中で何かあったのだ。運がいい。

 異物が消えた空間がギシギシと音を立て元に戻ろうとする。おかげで中の音が聞こえないが、これは千載一遇の好機ではないか?だったら迷っている暇などない。

 相手が魔法使いであろうがなかろうが、中に入ってしまえばなんとかなる。

 自分と秋山がいれば。

 そう思った時にはもう枝から足が離れ、屋根の上に止まっていた。
 鳥の足でつま先立ちになり首を伸ばして覗くと、秋山は細身の銀の甲冑と対峙していた。相手は小柄で、中世のヨーロッパを題材にした映画でしか見たことのないような武器を持っていた。どうやら鎗(?)の使い手らしく、苦戦しながらも秋山はなんとか相手をしていた。しかしやはり魔法が使えないせいだろうか、状況は芳しくない。そしてとうとう体当たりされた秋山は、床に倒れ動かなくなった。

 柄の長い斧とも槍ともつかぬ武器を再び手にした甲冑が、倒れて動かない秋山に迫る。

 何やってんだよ、起きろ。起きてくれ。
 心の中で叫ぶが聞こえるはずもない。


 何やってんだよ、俺は。
 せっかくここまで来たのに、見ているだけか。

 羽ばたくと、砥上はステンドグラスの正面に回り思い切り体を窓にぶつけた。

 ステンドグラスは普通のガラスよりも厚い。すんなり入れるかどうかは賭けだったが体をぶつけた瞬間、拍子抜けするほどはあっさりと割れた。トリックアートを集めた美術館に相応しく、ステンドグラスはフェイクで、絵が印刷されたただのガラスだったのだ。
 つけた勢いが止まらず、支えるものがない体が弧を描いて広い空間に落下した。


 照明もなく窓からの暗い光だけの空間に、外で建物を包んでいたのと似たような魔法陣が浮かび上がる。外の魔法陣は何らかの理由で消滅したが、こちらはまだ生きているのだ。部屋の床部分全てを使って描かれた魔法陣は巨大で、もちろん上方も比例して大きかった。おかげで回避が間に合わず、砥上の体が触れた。

 稲妻に似た光と衝撃が鳥の姿の砥上を包む。衝撃に痛みはないが、魔法陣に込められた魔力が体の自由を奪おうと纏わりつき手を伸ばしてくる。その足元に、自分を見上げる秋山の姿があった。

 背中に羽なんか生やして、メガネも無くした表情は若干顔つきが違うが、間違いない。
 自分のことを不思議な生き物でも見るように見上げる彼は、左肩を負傷していた。半袖から出た腕は赤く染まり、生臭い血の匂いが籠る空気に充満している。

 そして彼の前に、魔法陣の光を返す銀色の戦斧を掲げる甲冑が立っていた。

「こんにゃろー!」

 どうにかしなければという思いに集まる体中の力にザワザワと羽毛が震え、やがて自分で理解する間もなく一気に力を放出した。

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