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床に描かれた巨大な魔法陣は、彼の魔力を封じ込めるための物だった。

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉


第1章 3.異端の名②


そもそもやめておけばよかったのだ。あいつに手を出すのは。
 俺はそんなに人好きじゃないだろう? 確かに面白い奴だとは思っていたが、自分の正体を知らない半端魔人を初めて見たわけじゃないし、いつもだったら声もかけずに姿を消していたはずだ。それなのに、中途半端な好奇心なんぞに乗ってみるからこうなるんだ。

 アパートに帰るはずの魔法陣を途中でハッキングされるなんて、砥上の血の匂いに酔って警戒心が狂ったか。
 いや違う。タブレットだ。魔界人の情報サイトへアクセスした時間はほんのわずかだったし、保護術をかけたシールもつけてあるからと油断していた。
 それだけじゃない。部屋の法術が有効であると油断し確認しなかったのが最大の間違いだった。あれ程存在力が強い砥上を連れ込んだのだ。本来ならば部屋に敷設した存在を消すシールドの処理能力がいっぺんでパンクしてもいいレベルだ。それを再設定もしないで再び彼を連れていくなんて。
 パン屑の目印を残すようなもんだ。

 泣くに泣けないとはまさにこの事だと、椅子に座らされ後ろ手で手錠をかけられた秋山は自分の足先を見た。
 大きな魔法陣を構成する図式を描く線が、ぼうっと暗い空間に浮かび上がる。誰が描いたのか随分と捻りを入れた術式だ。
 これでは魔力を使えない。
 人間との間に生まれた半端魔人の数少ない良いところは、場面によって人間にも魔界人にもなれるところだが、こんな形でほぼ人間でいるのは本意じゃない。魔力によって視界を補うことはできないが、吸血鬼としてのわずかばかりの特性で暗闇よりも少しばかり明るく見えるのがせめてもの救いだ。
 それにおそらく、どこかに他の光源もある。もう少し目が慣れてくれば、広い視野が見えるようになるだろう。

 そういえば頭が酷く痛むのもいい事じゃない。
 ハッキングをした魔法陣を潜れば、何も知らない秋山は相手が用意した部屋なり牢屋なり檻に入る。つまり労せずして簡単に獲物が手に入るのに、わざわざ意識を失うほど強く殴るとは。

「サドかよ」

 あとこの格好も気に食わない。
 椅子に座らされ、後手に背もたれの向こう側で縛られているのは典型的な尋問スタイルだ。
 いまこの状況通りの尋問を受けるとしたら、思い浮かぶ内容は砥上の事しかない。
 となると、相手は限られてくる。
 差し当たっては一人しかいないが。

「おいシェザー、お前だろ」
 暗闇に投げかけてみる。

 張り上げた声の響き具合からして、この場所はかなり大きな部屋のようだ。どこかの公共施設のホールか、捨てられたホテルの宴会場か。

 首を廻らし、とにかく彼は自分の置かれた場所の把握に努めた。
 移動に使っていた魔法陣はごく近距離のジャンプしか出来ない仕様だ。それは性能の問題であるから、ハッキングしたとしても飛べる距離は変わらない。出来るのはせいぜいが出現場所を変えることくらい。より遠くへ跳ぶとなると一度近くに出現し、再度長距離用の魔法を使う必要があるが、そんな手間をかけるならアパートにでも押し入る方が楽だろう。だがそうしてこなかったということは、幸いにも素性が全て暴かれたわけじゃないことを意味している。
 とはいえそうなるとここは彼の現在の生活圏の中、市内か隣の富士市のとある場所か。

 もう少し周囲を観察しようと重たい頭を上げて上方向を見ると、前方左奥の高い場所に3枚の大きなステンドグラスが見えた。真ん中に幼児を抱いた聖母らしき女性の像があり、左には薔薇、右は百合があしらわれている。聖母、薔薇、百合とくればキリスト教の題材だが、このステンドグラスを使用した教会は魔法陣のジャンプが出来る範囲内にはない。それに教会で使われてるとしたら、教義の象徴となる素材を寄せ集めただけで物語になっていない中途半端な代物だ。教会ならば必ず信徒を導くヒントとなる物語性を込めたステンドグラスが使われている。たった3枚では口頭で物語を膨らましながら語るにしても枚数が少なすぎる。

 ステンドグラスの色を含んだ光は彼の頭上を通り越し、後方の壁を照らしている。鮮やかで、窓の縁取りや色の境界線がはっきりしている。本物のステンドグラスならガラスそのものの厚みがあるおかげで柔らかい光となるはずだ。おそらくあのステンドグラスはただのガラスに印刷かシールを貼ってあるだけの偽物なのだろう。
 その強い光のおかげで周囲の闇がいっそう強調されているが、目が慣れてくれば逆に空間を把握するには十分すぎる光だ。

 6月といえど、今朝は朝日があった。太陽が高い位置ならもっと日差しは強く、差し込む角度も鋭角で、照らすのは壁ではなく床のはず。意外と思ったより時間は経っていないのかもしれない。
 
 だけど、なぜ自分の構築したシールドや魔法陣がこうも簡単に攻略されたのだろうか。そもそもあの場所のことは誰にも話していないし、話す相手もいない。唯一知っている砥上以外は。
 まさか、彼が先に捕まったのだろうか。帰路の魔法陣を潜り切るまで追跡しておくべきだったか。
 とそこまで考えた時、広くて薄暗い空間の向こうから声が聞こえた。

「久しぶりだな、M」
 少し声が変質しているが、シェザーだ。

 砥上が暴走して以来、秋山は以前顔を出していた魔界人の集会に行かなくなった。そればかりでなく、極力魔界人と会わない様注意深く生活してきた。砥上はシェザーの顔を焼いただけでなくあの集会を滅茶苦茶にし、さらにそれが原因で多くの魔界人が地元を管轄とする陰陽寮の捜査部隊に捕まった。魔界人が居ない事になっているこの国では魔界人の存在自体悪であり、見つかれば第三国に強制追放されるか死が待っている。それはこの地でコミュニティーを主催するシェザーにとって十分復讐するに値する理由になる。
 彼に捕まったら、砥上は間違いなく殺されるだろう。

「ようシェザー、思ったより元気そうだな」
 暗闇に声をかける。気配は背後から現れた。感じからして一人のようだ。
 そしてこの臭い。
 そもそも意識を戻した最大の理由が鼻につくこの臭いだ。薬物と甘ったるい香りにアルコールが混ざったような、何とも胸糞の悪くなる臭い。その臭いの塊がズルズルと耳障りな音とともに近づいてくる。
「貴様らのお陰でこの2ヶ月、毎日が楽しみの連続だったよ」
 シェザーの声の変質の理由の一つが、酸素マスクだった。潜もった声の間に「シュー」という機械音が入る。自発呼吸も出来ないほど傷が酷いのだ。人間であれば気管切開で声を出すことは困難だが、人間よりも頑健な身体である魔界人は気管切開せずに人工呼吸ができる術がいくつかある。声帯を傷つけずにすむから、人工呼吸のエア・チューブを装着していても会話ができるのだ。

「そいつは良かった。さあ早くこっちへ来て、俺に顔を見せろよ」
 もともと生粋の魔界の大商人の(道楽)息子である奴の纏う気配は、その性格をまんま世間に向けて叫んでいるように華美で、酔狂で、イカれたものだった。が、どうしたことか、今奴の体を包んでいる気配は半ば腐敗した機械油と腐った肉、それとラテックスの臭いにまみれ重く、錆びたノコギリみたいに神経を逆撫でするほど不快なものになっていた。こんな気配を纏ったやつは、魔力を使わなくたって見ない方がいいと解る。

「お陰で久しぶりに生きる意味を見出せたよ。どうだ、貴様も経験したいだろう」
 空間を斜めに横切るステンドグラスの明かりの中に姿が浮かび上がった。光の帯から外れても、すでに空間に目が慣れた秋山にはシェザーの醜い姿をはっきりと捉えていた。
「よう、元色男。残念だが遠慮しとくぜ」


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