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きんの砂〜1.昔ノ場所(4)

 店の出入り口を正面に見て、亞伽砂は帳場に座った。小上がりに腰掛け足をブラブラさせた子供の頃は天面が首の下あたりだったカウンターの高さが、今ではちょうど文机に丁度いい。天面の下には棚が作られており、手提げ金庫といくつかの帳面と箱があった。昔と変わらぬように見える景色の中で目を引くものがあった。ついさっき花穂が出ていったカウンターの切れ目に置かれた、風呂敷を掛けられた大きな塊。何だろうか。取り出し掛けた思い出の箱から手を離し亞伽砂はその前に移動し、風呂敷を取った。

 パソコンだ。

 モニターにタワー型の本体。埃のセピア色が染みつき時間が止まったような店内で、真っ黒い筐体が強烈な異彩を放つ。今年の年賀状も宛名は筆の手書きだった。現役時代は使っていたとしても、記憶の中では家でも店でも祖父がパソコンを使っていた姿はない。

 「使えたのかな」見ていた花穂も思わず口にする。モニターと本体の間に立て掛けられた入門書とノートを見れば、悪戦苦闘していた姿が目に浮かぶ。いつから使っていたのか、現役時代とはOSもソフトも違うだろうに。こんなに大きなものが置かれていたのに、気がつかなかったなんて。

 歳の割には体が大きく健康な部類にいたであろう祖父は、事故にさえ遭わなければまだここに腰掛けていた人だ。こんな形で訪れることになってしまったが、もっと頻繁に店に顔を出していればよかった。

 風呂敷を元のようにパソコンに被せ、亞伽砂はカウンターの上に無造作に置かれた本の山を手に取る。この本達にどんな価値があるのか、なぜ祖父が古書店を開いたのか誰も知らない。

 やはり、兄弟の中で一番祖父に可愛がられたのは亞伽砂だろう。彼女は覚えていないかもしれないが、遊びに行こうとする花穂に読めもしない本を押し付け、でたらめな話を聞かせようとしたことがよくあった。一緒に遊ぶのに飽きた弟がテレビに夢中になると、彼女はここにきて適当な本を広げ大声で読めるふりをしていた。店には客がいないことが多く、奥の台所が弟の王国ならここは亞伽砂の王国だった。

 店の鍵を彼女に渡したのは正しい選択だと、花穂は密かに祖父の選択に同意している。本当はあの親族達もそう感じているのだ。ただ、大人はすぐにお金を絡ませたがる。土地建物権利書付きの店は立派な不動産だ。それを子供達を差し置いて独身の女の孫に譲るなど。店をお金に換算した場合、祖父の店への思いは一円も反映されない。例え亞伽砂が祖父の意思を汲むことなく他の親族と同じように店を処分したとしても、それが彼女なら許せる。

 本を置き、亞伽砂も店先に出た。

 小さな店だ。壁中に本が埋まっている。真ん中に3列に並んだ書架の間は狭く、大人が背中合わせで立てば、本人の意思とは関係なくお尻合いになれてしまう。古めかしい木枠のガラス戸。鍵はネジ式で、内側から止める。そして白いカーテン。

 祖父の全て。小さな世界。。

 どうしろと言うのだ。こんな商売のイロハも知らぬ小娘に。知らぬうちに、亞伽砂が溜息をついた。

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