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運河の行く末(掌編小説)

 船着き場から伯父の家のほうに向かっては、黒い海水を湛えた水路が伸びていた。大人たちはそれを「運河(うんが)」と呼んでいたが、そんな単語を知らない少年は、「うんがわ」だと思っていた。

 確かにそれは川のように両岸があって、小さな船がところどころに舫われていた。目を凝らすと魚がいるのも見えた。ときには何匹も群れになって、水面に口を出していた。

 「うんがわ」は伯父の家へと曲がる路地の先にも続いていた。水の色と岸の泥の色がほとんど見分けがつかなかった。泥からは何かが焦げたみたいな匂いがしていた。

 少年は「うんがわ」がどこまで続いているのか知りたかったが、「うんがわ」沿いの道は、路地のほうへ折れ曲がるところで途絶えており、その先には鉄条網が連なっていた。

 向こうは工場なんだよ、と少年を自転車の荷台に乗せた伯父は言った。入ったら怒られてしまう、と続けた。

 鉄条網の向こうは草原のようであった。それがどこまでも続いているように少年の目には見えた。草原の向こうには、赤い土が盛られた築山が二つか三つぐらいあった。工場が使う材料を船で運んできてそこに積んであるのだと大人たちは言った。

 その先はなぜか外国のように遠く思えた。鉄条網のところにある看板の一つは外国語で書かれていたからだ。積雲が、彼方に連なっていた。

 幼年時代の遠景を思い出すとき、いつもこの「うんがわ」のことが脳裏に浮かぶ。実際は川でも運河でもなく、昔の掘削のあとに過ぎなかったようなのだが。

 今ではその「うんがわ」も埋め立てられ、大人たちの半分くらいも鬼籍に入ってしまった。当時の写真を残している資料もほとんど存在していないだろう。

                               (了)

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