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かけらの森(短編小説)

 その頃僕が住んでいた国立(くにたち)の街には、あちこちに空地があった。空地といっても、土管や資材が置かれているようなところではない、クヌギのような落葉樹が生えている、小さな森のようなところだ。街はそのほとんどが宅地化されていたのだけれど、ところどころにまだ売れていない土地が残っていたのだった。
 僕のアパートはそんな空地の隣にあった。数えたことがあるわけではないけれど、その五十坪ほどの空地には十数本ほどのクヌギの木が生えていた。木の密度としては決して低くない。そのために、空地には子供たちがキャッチボールをやるようなスペースもなかったし、道路より少し高くなっていることもあって、自転車やバイクが侵入してくるようなこともなかった。ただ、近道をするために歩いて通り抜ける人はけっこういたので、けもの道のような通り道はできていた。道になっているところは、褐色の土の色がむき出しになっていた。関東ローム層とかいうやつだろう。
 空地にはときどき空き缶のようなゴミが捨てられることがあったか、誰が掃除するのか、いつのまにか消えていた。木枯らしが吹く頃にたまる落ち葉も、誰かが肥料か何かにするのか、いつのまにか片付けられていた。空地を通る人は少なくなかったけれど、そこに佇んでくつろぐような人はいなかった。犬の散歩で通りがかる人が、犬が用を足している間傍らで待っているようなことぐらいだった。
 いまでもあそこを空地と呼ぶことには僕には少し抵抗がある。決してだだっ広い空間ではなかったし、車の駐車場になったり、汚い水たまりができるような土地でもなかったからだ。でも、木立ちというのとはちょっと違っていた。それはなんとなく木が植えられたようなところというような意味に僕には聞こえる。あの空地の木はそういう感じではなかった。木立ちというのは、僕にとっては、公園によくあるような管理された木々という感じだ。
 あの空地の木々はそういうものとも違っていた。森の一部という感じだったのだ。僕は図書館の郷土資料のところで調べたのだが、開発がされる前のこの街の大半は、いわゆる武蔵野の雑木林が一面に広がっていたのだった。つまり宅地として売れ残った部分だけ、雑木林が残っているということになる。
 だから雑木林と呼んでもよかったのだけれど、なんだかそれにも僕は抵抗があった。あそこはやはり、小さな森のような空地なのだ。誰かが毎朝通り抜け、犬の散歩が行われ、猫が好きなように行き来して、オナガみたいな鳥たちが舞うところだったのだ。
 僕はその空地が好きだった。アパートを決めたのも、隣に木の生えている空地があったことが大きかった。少なくとも、国鉄線や私鉄線、国道や幹線道路があるよりずっといい。静かだし、夏は日陰を作ってくれるし、冬は葉を落として太陽の光を窓辺に導いてくれる。
 そんなわけで、僕は空地の傍らのアパートに暮らすようになった。ちょうど新緑の頃に以前の別のアパートから引っ越した。この街で知り合った友達が二人ほど手伝ってくれた。
  一人がライトバンを持っていて、たいがいの荷物はそれに収まった。前のアパートとは一キロほどしか離れていなかったので、冷蔵庫や机は二人で抱えて歩いて運んだ。
 引っ越しが終わると、われわれは二階の部屋の窓を開けて煙草を吸った。引っ越しそばのかわりに、カップそばに湯を入れて食べた。
「ここならまあ日当たりもいいからいいな。布団も干せるんじゃないかな」とKが言った。
「きっと朝はうるさいくらい鳥が鳴くぜ。今だって、ほら、そこにヒヨドリが来てる」とMが言った。二人とも生まれはこの街で、落葉樹や雑木林の世界を見慣れていた。東海地方の暖地で少年時代を送ったきた自分と異なり、クヌギやケヤキにも特別な思いはない。私は自分が生まれたところには、こういう木立ちがないのだということを二人に説明したが、あまりピンと来ていないようではあった。
 二人が帰ると、部屋はしんと静まりかえった。テレビを持っていなかった僕は、FMラジオをつけて夕刻の時間を過ごした。窓からは新緑の匂いが部屋に入ってきた。

 風が吹くと空地のクヌギが木の葉ずれの音を出した。風が吹く雨の夜には、それがもっと複雑な音になった。僕はそれを愉しんだ。ときには足早に人が空地を駆け抜ける音が聞こえることがあった。何か理由があって急いでいるのだろうかと僕は想像した。
 空地の隣に引っ越してきて一カ月ほど経った頃、僕には恋人ができた。大学の語学のクラスの同級生だった。どちらかが告白してどちらかが答えたとか、何か劇的な邂逅があったとかいうようなことではなかった。僕らはたまたま横断歩道のある信号で向かい合って互いの姿を認め合ったというような仕方で、出会った。
 大学が夏の休みに入る少し前、大学のある街の学生街の古書店にいたときに、僕は彼女が入ってくる姿を目にした。女の子で古書店に通う学生は多くない。
「何か探しものでもあるの?」と僕は訊いた。彼女はすぐに首を横に振った。
「いつもこのあたりはまっすぐ通り過ぎちゃうんだけど、たまには古本屋さんを覗いてみようと思ったの」
「僕はときどきこの通りの古書店のハシゴをするんだ」
 そして僕は、良かったら外に行ってコーヒーでも飲まないか、と声をかけた。その日は二人とも授業が終わっていて、時間はあった。彼女は中央線の三鷹に家族と住んでいたから、国立(くにたち)に住んでいる僕とは帰る方角も同じだった。
 高田の馬場近くの喫茶店で僕らは話をした。彼女は品の良いブラウスを着て、少し大きめのショルダーバッグを持っていた。僕がコーヒーを頼むと、彼女はミルクティーを頼んだ。彼女の名前はオオサコ・リサコだった。
「シマダ君はどうして国立(くにたち)に住んでるの? クラスの男の子たちは西武新宿線沿いとか、中央線でも荻窪ぐらいとか、もっと大学に近いところに住んでいるじゃない」
「田舎者だから、都会が怖いんだ」と僕は言った。半分くらいは本当だったが、彼女は笑った。
「静岡の田舎者だから、家や屋根やビルがどこまでも連なっているところはダメなんだ。中央線だと乗り換えが一回で済むからこの沿線にしようと思って試しに一度乗ってみたんだよ。そうしたら、三鷹より先なら緑や空地も案外多いし、自分にも住めると思ったんだ」
「私の家は三鷹だから、ぎりぎりね。もっとも三鷹って言っても南口から一五分ほどバスに乗るんだけどね」
「三鷹は映画を見に降りたことがあるよ。キューブリックの映画だったな、確か」
「三鷹オスカーって名画座があるでしょう。私も行ったことあるわよ」
 それからしばらく僕らは映画の話題で盛り上がった。彼女はルキノ・ヴィスコンティの映画や「舞踏会の手帖」のようなクラシックな作品が好きで、僕はイングマール・ベルイマンの暗い作品やアメリカン・ニューシネマが好みだった。
 夕方になるまで僕らはその店で話し込み、次の日曜に映画を一緒に見に行こうと約束した。毎日のように「ぴあ」を持って歩いていたのだ。そして帰り道は高田馬場から揃って地下鉄東西線の三鷹行きに乗った。ラッシュ・アワーが始まっていて、僕らは混んだ車内から人の頭や肩越しに外の風景を眺めていた。荻窪の商店街はすでに明かりが灯り、雑踏の風景が後ろに流れた。
「こういう賑やかなところには住めないんだ。息がつまってしまう」
「自然主義者なのね」
「映画も田舎の風景が出てくるのが好きなんだ」
「エルマンノ・オルミもきっとそういう映画じゃないかと思うわ」
 三鷹に着くと、僕らは階段を上がり、改札に向かうリサコと中央線快速に乗り換える僕はそこで別れた。中央線快速はさらに混んでいた。三鷹から先、武蔵境、東小金井、武蔵小金井、国分寺、西国分寺、そして国立と僕が眺め続ける車窓にリサコの顔が重なった。彼女は今頃、バスに揺られているだろう。バスを降りてしばらく歩いたら、家族のいる自分の家に辿り着くだろう。そこまでの間のどこかに、傍らに雑木林のような木立ちがあるのかもしれない。
 その夜、僕は外の定食屋に寄るのをやめて、久しぶりに夕食を自分で作った。イワシをフライパンで焼いて、大根おろしをすり、豆腐とネギの味噌汁を作った。イワシを焼いた煙が換気扇だけではなかなか出て行かないので、窓を大きく開けた。クヌギの木立ちからは涼しげな空気と土の匂いが漂ってきた。

 日曜は昼過ぎにリサコと三鷹駅で待ち合わせて吉祥寺に移動し、エルマンノ・オルミ監督の『木靴の木』を見た。彼女はボタンダウンのシャツとチェックのスカートで上下をまとめて、小ぶりなバッグを手にしていた。
 映画を見終わったあと、僕らは電車で国立まで行き、僕の行きつけのカフェでインド・カリーの食事をした。紅茶に力を入れている店だったことはリサコの気に入った。
 彼女は『木靴の木』の少年がいじらしかったと言い、僕は若い農夫と妻が新婚旅行に出る船旅の場面が良かったと言った。一番好きなシーンは違っていても、映画が気に入ったことは間違いがなかった。僕らはとても良い日曜を過ごした気分になった。
「少し散歩してみない? 今日は風も気持ちいいし」と僕は提案した。いいわよ、と彼女は言った。僕らはカフェを出て、一橋大学のキャンパスの外周に沿った道を歩いた。光は夏のそれに近付いていた。木漏れ日が舗道の上で揺れた。
 実は、この先をちょっと行ったところに住んでいるんだと僕は言った。そして彼女がどう言うか待った。
「そうじゃないかと思ったの」とリサコは言った。
「寄ってもいいかい」と僕はかなり緊張しながら訊いた。
「いいわよ」と彼女は言った。「男の人の部屋を訪ねるのは初めてだけど」
 僕らは一橋大学のキャンパスに沿う道を辿り、やがてそこから離れてほどなくアパートの前に来た。ここの二階だよ、と僕は言った。
 そのとき、リサコは僕の手をはじめて握った。そしてアパートとその周りの梢を見上げて言った。
「木があるわ。隣に。たくさん」

「もうすぐ新緑の季節も終わりだね」と僕は部屋の窓を開けて言った。僕の部屋は六畳で、米軍ハウスのように床は板張りだった。ベッドを置くような広さはなかったので、寝る時には押し入れから折り畳みのマットと布団を出して寝ていた。僕は来客用の折り畳み椅子に座り、リサコには机で使っている椅子をすすめた。そっちのほうが座り心地が良かったからだ。
「なんだか森の中にいるみたいだわ」と彼女は窓の外を眺めながら言った。「ここだけ、木の匂いがしている」
「鳥もよく来るよ。僕は詳しくないからよく知らないけど、ヒヨドリとかオナガとかメジロとかがよく来るんだって友達が言っていたな」
「友達って、クラスの誰か?」
「そうじゃないよ。さっきのカフェで知り合った連中で、大学も多摩美とか武蔵美とか学芸大とかだよ」
「シマダ君は国立に友達が多いのね。羨ましいな。国立って文教地区だから駅前もすっきりしているし、大学通りも外国みたいで垢抜けてるし、ちょっとした憧れなのよ」
「三鷹には素敵な名画座がある」
 リサコは笑ってくれた。
「君の家のあたりには雑木林がある?」
「昔はあったわ。この木立ちよりももう少し広い林があって、子供の頃はよくそこで遊んだりしたの。兄と、兄の遊び仲間と一緒になって走り回ってたわ。でもしばらく前に木は伐採されて、建売住宅になっちゃったの」
「それでも子供時代には雑木林の思い出がある。羨ましいな」
「どうして?」
「僕の暮らしていた街には落葉樹はほとんどなかった。木立ちなんてものもね。神社の鎮守の森ぐらいなんだけど、あれは常緑樹で紅葉しないんだ。だから季節感があまりない。二年前に東京に来て、こんなに緑が多かったのかと驚いたくらいさ」
「そうなの? でも私はシマダ君の故郷を見てみたい気がするな」
「僕は三鷹の君の家のあたりを見てみたい」
 リサコはまた笑った。
「お茶でも淹れようか。沸かしてカルキを飛ばしておいた水があるんだ。国立の水は美味しいほうだと言うんだけどね」
 僕がそう言うと彼女は席を立って僕の部屋の小さな台所に行き、「私が淹れてあげる。これでも緑茶と紅茶にはけっこううるさいのよ。ちょっと待ってて」と言った。

「ろくな湯のみがなくてごめん。いつも一人で使うか、男友達と使うかだったから」
「そんなこと気にしないけど、こういう湯のみを何て言うか知ってる?」
 僕は首を横に振った。
「商工会議所」とリサコは言った。
「ははは」と僕は笑った。「確かにね」
「うちの母がそういう冗談が好きなの」
 お茶を飲むのにちょうどいいテーブルがなかったので、僕は来客用の椅子を畳んで座布団を出した。お茶と急須は盆の上に置いた。
 僕らは窓辺のそばでお茶を飲んだ。確かにお茶は僕が淹れたものよりずっと美味しくはいっていた。
「美味しい。そう言うとなんだけど、東京の水でもこれだけ美味しくなるんだ。ちょっと驚いたな」
「これ、良いお茶ね。色と形でだいたい分かるの。水も一度沸かしたものだから匂いが大分取れているしね」とリサコは言った。
「私、思うんだけど、お茶って木みたいなものでしょう? 木の葉を煎じて飲んでるわけよね。だから森みたいな味がするような気がするの」
 そうかもしれない、と僕は言った。
 五月の夕暮れの空気が窓辺から入って来て、僕らの間を通り抜けた。リサコは何も言わずにまた僕の手をとった。
 そうして僕らはおずおずと最初のキスを交わした。

 リサコの家は三鷹で両親と兄の四人暮らしだった。父親は中堅の保険会社に勤めていて、母親は公立の研究機関の事務職をパートタイマーで担当していた。兄はリサコと双子で、つまりは同い年で、国立大学の理系の学生だった。僕の父親が造船工で、母親が製缶工場に準社員で勤めていて、妹が県立大の1年生だということと、ある意味好対照だった。
 僕にはリサコのように近所の雑木林で遊んだというような記憶がなかった。雑木林なんてものは、僕の住んでいた地方都市の辺縁にはどこにもなかったのだ。僕が少年時代を送ったのは、砂洲の乾いた砂地の風景の上だった。
 それに比べると、東京西部の国立や三鷹といった土地には、何か懐かしい湿り気があった。地面を形づくっていたのは、砂ではなく土だったし、あちこちに森のかけらのような木立ちが残っていた。そして女の子は僕の郷里の女子高校生や大学生とは違った喋り方をした。リサコもその一人だった。
 僕はリサコと話をしていると、ずっと前からこういう話し方をするような女の子と知り合いだったような気になることができた。実際には、彼女が初めてだったのにも関わらず。リサコはリサコで、シマダ君はもともと東京にいた人みたいな喋り方をするね、と言ってくれた。リサコの前では静岡の方言が出なかったせいもあるだろうし、僕も東京の話し方で話すことに苦はなかった。
 リサコといるのはだからすごく楽だった。無理をする必要はなかったし、その一方で、田舎にいたときの自分とは違う自分になることができた。僕にとってはそのほうが自然だったのだ。
 リサコは僕にとって最初の恋人というわけではなかったけれど、最初の恋人といっていいくらいの思い入れが僕にはあった。彼女と話したことはそれまで誰とも話したことのなかったようなことだったし、それは彼女も同じだと言ってくれた。
 僕は生まれも育ちも僕とはまったく違うリサコの中に、僕と同じようなものを見いだしては不思議な思いにかられた。映画の中に忍び込んでいる異国の光やオーラのようなもの、人間の中にある説明がほとんど不可能な希求などを僕らは語り合った。映画はそういうものを隠し持った宝庫だった。
 僕らは授業の時間が空いているときはできるだけ合わせて名画座に通うようになった。主に金曜日の午後がそういう時間帯になった。今でも彼女と見た映画のタイトルをいくつも思い出すことができる。アンジェイ・ワイダ監督の映画とか、アンドレイ・タルコフスキー監督の映画とかだ。

 アパートの隣の木立ちが夏の緑にすっかり染まった頃、僕はリサコと初めて体を重ねた。金曜日の夜で、その日は映画を見なかった。アパートの近くの定食屋で食事をしてから、僕らは僕の部屋に来て、抱き合った。そうなるのが当たり前のように思っていたら、やはりそういう風になった。それは故郷の街で童貞を捨てたときとはまったく違う体験だった。唐突にその体験をしたのではなくて、そうなるだろうという確信をしばらくの間心の中に抱えていてから、そうなったのだった。
 アパートの窓のいちばん上は素通しのガラスになっていて、そこからクヌギの梢が見えた。僕らはシーツをかけたマットレスの上に並んで寝て、その部分的な風景を見ていた。
 彼女は自分が幼かった頃の話をしてくれた。
 うちの近くの木立ちにはね、ちょっとした池みたいなものがあったの。そこだけ窪地になっていて、雨が続くとけっこうな大きさになったことを覚えてるわ、と彼女は言った。
「何か生きものがいた? 魚とかザリガニとか」
「カエル」と彼女は言った。「おっきなヒキガエルが一匹棲んでいたの。本当におっきかったのよ、子供だからそう見えたのかもしれないけど、兄はそれを『いぼ太郎』と呼んでいたわ。ヒキガエルなんか誰も捕まえる人がいないから、ずっとそこに『いぼ太郎』は住んでいた。でも卵からオタマジャクシが孵ることもあったから、どこかに恋人がいたのかもしれない。『いぼ太郎』もいつも池の中にいたんじゃなくて、どこかへ行ってしまったかと思っていると、また現れるの。もしかしたら別のヒキガエルだったかもしれないんだけどね」
「森には泉がある」僕は言った。「泉には生きものがいる。そういう風になっているのかもしれないね。僕の田舎にはそういう風景はなかったけど」
「でも池とか川とかはあったでしょう? 海と別に」リサコが訊いた。
 僕は天井を見上げながら答えた。
「前にも話したかもしれないけど、僕の田舎には雑木林のようなものがなかったんだ。地面は砂地か泥が固まったようなものだったからね。湿地があって、そこは昔海だったようなところだと思うんだけれど、そこに沼地があった。葦やガマの草なんかが生えてるようなね。季節感もないんだ。そういう水辺に食用ガエルとかアメリカザリガニが棲んでいたよ。森の中の泉というイメージじゃなかった。僕の田舎は樹木というものが少なかったんだ。だから武蔵野に来てちょっと救われた感じになった」
 しばらく黙っていてから、彼女は口を開いた。
「木はいいわね」
「そう思う。『木靴の木』でなくても、木というものは何か不思議に素晴らしいよ」
「シマダ君の郷里にも少しは木が生えているんでしょう?」
「山にはね。クスノキとかタブノキとか紅葉しない木だけどね。平地に自然に生えているのは海辺のクロマツぐらいのものだよ」
「多摩にはアカマツが生えているわね」
「そこの、一橋大学のキャンパスもそうだ。僕はアカマツはけっこう好きだな」
「ねえ」
「うん」
「私が木を好きな理由はいくつかあるの。訊きたい?」
「もちろん訊きたい」
「ひとつには、木はどこにも行かないからよ。大きくなったり、枯れたりすることはあるけれど、おおむね、ずっとそこにいる」
「そうだね」
「でも人間て、そうじゃない。当たり前だけど、皆毎日動いているし、動かないと生きていられない。もっと長い目で見たって、ずっと同じところにはいられない。自分もそうだし、人もそう。ある日突然、どこかへ行ってしまうの」
「僕はどこへも行かないよ」僕は言った。リサコの手を握って言った。
「私にはわからないの」
「何が?」
「私がどこへ行くかわからないの」
「今決める必要なんてないさ」
「私はね、どこへも行きたくないのに、どこかへ行かなければならないようなことになるかもしれないって、前から思ってた。ねえ、シマダ君」
「うん」
「私がどこへも行かなくてもいいように私をつかまえていてね」
「そうするよ。僕にはそうできると思う」
 そう言うと、リサコは少し安心したような表情になった。
「私が木を好きな理由の二つ目は、木が毎年変わるからよ」
「と言うと?」
「木は毎年違う葉っぱを持つでしょう。春が来れば新緑になるし、夏の間はそれが茂って、秋になれば枯れる。そして冬は丸裸になる。私にはね、木の葉が言葉みたいに思えるの。だって『言の葉』って書くじゃない。木は黙っているようでいて、毎年何かを伝えようとしているように思えてならないの」
「あの窓の外にある葉も何かを伝えようとしているのかな」
「うん、きっと」
「なんて書かれてあるんだろう」
「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」
「誰の作?」
「従二位家隆。『なら』は木のナラをかけているのよ」
 僕は感心して言った。
「本当に木の葉にはそういう思いが記されているのかもしれない。人の言葉と違う言葉でもって木は語っているのかもしれないね」
「そして冬になると木は葉を落として沈黙する。その沈黙がないと次の春の言葉が生まれないのかもしれない。だから私は冬枯れの木立ちも大好きなの。冬がないと、生まれ変わることができないのよ、きっと」
 僕は目をつぶり、冬枯れの林の中をリサコと歩いている風景を想像した。ずっと遠くまで歩いて行けるような気がした。
「私が木が好きな理由の三つ目は、こういうことなの」と彼女は言った。
「心を落ち着けたいときには、丘の斜面に一本だけ立っているような木を思い浮かべるの。
誰かに教えられたようなことじゃなくて、中学生の頃からそうしているの」
「ホイットマンの詩みたいだ」
「そうね。近いかもしれない。でもそんなに立派な木じゃなくていいの。若い木でもいいし、年老いた木でもいい。緑で、葉が茂っていて、風でそれが揺れている。木の周りに生えている草も風になびいている。そして、誰もいない。そこには木と草と空と雲しかない。私はそういう風景を胸の中にしまい込んでいて、ときどき必要なときに思い出してみるの。シマダ君にはそういう風景のようなものはないかしら」
 よくわからないな、と僕は答えたが、あとになって、僕はそのとき彼女に尋ねるべきだったことに思い当たった。心が落ち着かないときというのはどんなときなのか、僕は尋ねるべきだったのだ。

 それからまもなくして真夏が来た。大学は休みに入った。僕は国立に残ってアルバイトでもしても良かったのだが、郷里で塾を経営している伯父から夏休み中の講義を手伝ってほしいと言われていて、休みになると郷里に向かう電車に乗った。
 国立に戻ってきたのは、九月の最初の週が終わる頃だった。大学が始まるまでまだ一週間あまりの時間があった。僕はリサコからの電話を待った。
 けれど一週間経っても十日経っても、リサコからの連絡はなかった。彼女の家の電話番号を僕は知らなかった。もちろん一度ならず訊いたことはあるが、両親がわりとうるさいので、かけない方がいいから、と彼女は教えてくれなかった。
 新学期が始まっても、語学の教室に彼女が現れることはなかった。さすがに僕は心配になって、しばらくしてからリサコとよく話していた同級生の女の子に彼女のことを尋ねてみた。
「オオサコさんは大学に休学届を出したらしいのよ」と彼女は言った。
「え」と僕は驚いて言った。「そんなことは聞いてなかった」
 口ぶりからして、同級生は僕とリサコが付き合っていることを知っていた風だった。「お兄さんが、具合があまり思わしくないらしいの」
「具合って、何か重い病気か何かなのかな」
「ここ(そう言って同級生は自分の胸を指した)を病んでるって、リサコは言っていたわ」
「つまり、心を病んでいるってこと?」僕は訊いた。
「ええ」
「そんな話は聞いたことがなかった」
「聞かせたくなかったのかもしれないわ」と同級生は言った。

 でも、どうして兄が精神を病んでいるからといって彼女が大学を休学しなければならないのだろうと、僕は最初不思議で仕方がなかった。それからすぐに、彼女の兄が彼女と同じ年齢だったことに思い当たった。リサコの兄は双子の兄だった。
 そしてよく言われるように、双子というのは精神のどこかでつながっているのかもしれない。樹木が同じ土壌に根を張っているように、心理学で言う無意識のようなものを介して、心のどこかが結びついているのだ。そうだとすれば、リサコにも何らかの変化が起こっていたのかもしれなかった。
 けれど当時の僕にはそれに対して何かができるとは思えなかったし、彼女に会って話をしたいと思っていても、そうする術がなかった。
 僕は相変わらず大学に通ってはいたが、金曜の午後に名画座へ行くことはなくなってしまった。そのうちに季節は本格的な秋になり、アパートの隣の木々の葉は色づき、やがて冬の到来とともに散っていった。
 僕は二度ほどリサコに手紙を書いたが、どちらにも返事は来なかった。
 
 冬枯れの小さな森を横切って僕は大学に通い、リサコはもうキャンパスには現れなかった。やがて春が来る頃に僕は風の噂で彼女が大学を自主退学したことを訊いた。僕が三鷹の駅で降りることはもうなくなった。
 ずっとあとになって、僕はかつて自分が住んでいた国立のアパートを訪れたことがある。そのとき、隣にあったクヌギの小さな森はもう失われ、二軒ほどの二階建ての住宅が建てられていた。僕が暮らした部屋は日当たりがだいぶ悪くなったように見受けられた。帰り道の電車の中で、僕はリサコが言っていた丘の斜面に立っている木について考えた。
 遠い昔のことを思い出して胸が苦しくなるようなときや、眠れない夜は、僕はその木のことを思い出す。
                               (了)

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