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青森から秋田へのランドナーの旅(5/金木~深浦)

 金木の街から、再び海岸線を目指す。田光沼のほとりをかすめて、車力村に入る。民家の傍らにくすんだ低い木塀があり、夏の終りの名も知らない花が寄り添っている。その風情は、岩手や宮城などの風景とは全然ニュアンスが違う。アンドレイ・タルコフスキーの映画に出てくるような、ユーラシア大陸北部のありふれた田園の風景にむしろ似ているような気がする。極東、という感じだ。

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 その道筋の小さな食料品店でアイスを買ってひと息つき、それからさらに一本西側の広域農道に出る。一二㎞くらいこの道を南下したはずだが、実に強烈な印象だった。民家の類がほとんどない。そのせいか、地図を見ても農道沿いに集落の名前さえ見当たらない。あるのは、おびただしく道の両側に点在する沼ばかりだ。ここは、七里長浜南部の海浜湿地帯を行く道なのだ。
 路盤が安定していないためか、舗装にこまかな亀裂が入り、レンガの上を走っているような状態のところがあった。沼があるような海岸湿地帯だから、フラットかと思ったら、緩やかなアップダウンがある。どうも日本離れした風景なのだ。一度日本海が見えるところまで数㎞ほど寄り道して西進してみようかとも思ったが、あまりに誰も通りかからない道のようなので、止めた。今ではあの広域農道も、もう少し整備されているかもしれないが、周辺はまるっきり、原野に近い感じだった。

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 広域農道から国道一〇一号に折れたあたりが、津軽半島の西の付け根。鯵ヶ沢の駅のそばで昼飯にするが、何を食ったのか記憶がない。憶えているのは、港の外れあたりでコーヒーを飲んだこと。なんだか数日振りに飲んだ感じがした。これでけっこう時間を食うが、まあいいか、あとは三時ぐらいまでに宿を決めればいいか、と開き直る。
 五能線伝いに、海岸線を回ることに決めていた。昼前までの地形とは打って変わり、同じ海岸線でもこっちは山が海まで押し迫っていて、その間を細々と五能線と国道一〇一号が肩を寄せ合いながら走っている。こりゃ、津軽とまた違う寂しさだな、と思う。そんな思いのせいか、ただひたすらにペダルを回す。
 千畳敷という、波打際に壮麗な岩盤が露出している名所も、ちょっと自転車停めて眺めただけで、すぐまた走り出す。地元の人には、自然景観の特異点がやはり耳目に値することなのであろうけど、この海岸線全体がいやというほど北の日本海のオーラで旅人を圧しようとしているのだ。だいたい五能線だって、ほとんど波打際を走っているんじゃないかという感じである。
 そういう景観が極まったようなところが、驫木という、小さな無人駅がぽつねんと海っぱたに貼り付いているところだった。すでに陽はやや傾き、どうしたって茫々とした寂しさが海から送られてくる。目星をつけた旅館に電話してみるが、話中。それほど選択肢もないので、いやはや大丈夫かなと思い始めたが、とりあえず進むしかない。
 しばらく先で久しぶりにスーパーを見かけて立寄ったが、そのあたりでもまだ話中。すでに数回以上かけている。これはおかしいぞ、とよくよく考え、市街局番を外してかけたら、一発でつながった。ひと安心して、宿のだいたいの場所を尋ねる。
 宿は深浦の漁港の外れの方だった。行き過ぎて気が付いて戻った。少し前まで、宿の前でおかみさんが待っていてくれたらしい。今日も海が見える二階部屋だ。広い風呂場でほっとする。飯は良かった。当時一万円もしなかった一泊二食で、これでもかというぐらい海鮮ものが付いてくる。漁港の旅館というのは、だからありがたい。

 二〇時くらいに、一軒やっているという喫茶店にまたコーヒーを飲みに行く。五能線沿いには、喫茶店のあるような町も少ないのである。港の国道に近いところには、公園風の空間があって、その付近で年下の友人に電話し、青森の日本海側にいるのだと伝える。足は単車だが、彼も旅好き、東北好きだ。
 深浦の夜は、昨晩の、十三の夜とは違っていて、やはりここは小さいながらも町の空気に染まっている。ただ、山を背にしているせいか、海に向っての開放感があり、夜風もどこか茫洋としている。しばらくそこのベンチか何かに腰掛けて、海の方角の夜空を見ていた。三〇半ばで、何日も仕事も部屋も放り出して自転車で走っていることの馬鹿げた感興や如何に、というところだ。
 十三での夜よりも、遠くにいる気分になった。


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