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春の憂鬱と電車トリップ(掌編小説)

春は憂鬱な季節だ。私はあまり得意ではない。特に桜が散り始めてからの時節。部屋の中もあたたかくなり、過ごしやすくなってはいるのだが、気分的になかなかすっきりしない。

つい数日前の週末も、夕方になってもうなんだかんだ面倒くさくなり、かと言って家で静かにしている気分にもなれず、ふらっと出掛けてしまった。

めったに乗らないバスに乗り(数年に一度乗るたびに料金が上がっているような気がする)、最寄りのJRの駅に行き、70キロほど乗れるくらいの乗車券を買った。

東に行こうか、西に行こうか少し迷ったが、西に行くことに決めて、これも数年に一度ぐらいしか乗らない電車に乗った。 

あたり前の話だが、ふだん車でばかり移動していると、電車の中というのは実にさまざまな人々がいるのだなと、あらためて思い知らされる。

最寄り駅を出てすぐ、以前に住んでいた賃貸マンションの横を通りがかり、あの頃からすでに30年が経過していることに今更ながら驚く。

そのうちに日が暮れて、とある駅に着く頃にはすっかり夜になっていた。駅の近くで店をやっている友人を訪ねたら、店はすでに閉まっていたので、携帯で電話したら中にまだいて、扉を開けてくれた。

ふらっと電車で来た、突然で申し訳ないと言うと、彼は驚いていたが中に入れてくれた。最後のお客が帰ったばかりだと言っていた。

それから彼は私に夕食のかつ丼を奢ってくれた。昭和の雰囲気のある、こぢんまりとした可愛い食堂だった。

彼の店に戻ってしばらく歓談したあと、私はいとまを告げて駅に向かおうとした。彼が自転車を押して見送ってくれた。気分が滅入っていたので、ありがたかった。

来た通りの逆の順路で私は家に帰る道を辿った。乗り換えをしなくていい電車の時刻をさきほど降りたときに時刻表で調べてあった。

また一時間ほど私は電車に揺られた。行きに乗ったときより3時間ほど時間が経っていたせいか、人々は一様に疲れているように見えた。

電車が最寄りの駅に着いたとき、もうバスはないだろうと覚悟していた。家まで1時間半ほどかけて歩くつもりでいた。タクシーに乗ることもできるが、運賃がもったいない。

バス乗り場を覗いてみたら、まだ人が待っている。もしやと思って時刻表を見たら、終バスが駅のロータリーに入ってきたところだった。

私の記憶では以前の終バスは22時頃だったはずなのに、いつのまにかそれは22時30分発になっていた。救われた。

われわれは春が来るたびに齢をとるし、桜もまた老いる。良いほうへの変化は多いとは言えない。が、たまには良い変化もあるのだと思った。

私はバスに乗った。20分ほどかけてバスは私の家に近いバス停に到着した。私はそこで降り、バスはその先へと走っていった。

私は春の夜道をとぼとぼと歩いて、家に辿り着いた。

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