なぜ自転車で旅をしたのか
なぜ自転車(ランドナー)で旅をしたのか自分自身に問いかけてみる。答えはいくつでも見つかりそうだ。
知らないところを訪れてみたかったから。
自分の身体を使って旅をしてみたかったから。
五官に響く旅をしたかったから。
勝手気儘な一人旅をしたかったから。
サドルの上から風景を眺めたかったから。
そんなところなんだろうけれど、他にもないわけじゃない。
他人のビジョンの中に生きるのがいやだったから。
近代は大量生産主義だ。近代が始まってこのかた、同じ顔、同じ目、同じ意見の人間もまた大量に生産してきた。
余暇の使い方ですら、そのモードにはまっている。
サイクリングやシクロツーリスムもまた、どこかに大量生産の匂いがしないではないけれど、消費主義などにそれほど強くは結びついてはいないという点で、かなり救われている。
ここはこういう場所で、こういう名所や名物があるから、このように愉しんでください、というような押しつけが私は大の苦手だ。
人がどう思うと、自分は自分の旅をする。人のイメージやビジョンを補完してやるために自分はペダルを回すのではない。
それだから、規定やルールや、こなすべき共通の課題のある旅というものは避けてきた。
これからも、きっとそうだろう。
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