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青森から秋田へのランドナーの旅(8/鷹巣~田沢湖~角館)

 この日は平日であったはずなのだが、鷹巣の街には朝市が出ているところがあった。ここではありふれた風景なのかもしれない。米代川を渡り、しばらく進んで、国道一八五号、阿仁街道に入って南下する。
 等高線の間が広くなったあたりだと思う。サイロとか、牧草地とか、とうもろこし畑だとか。北海道を思わせるのびやかな眺めが傍らを通り過ぎ、秋田の意外な顔を知る。ちょっとした小さな農業国家のような趣があった。
 米内沢で、逆コの字型に国道ルートを辿り、さらに南下を続ける。やがて比立内の駅前に達する。秋田内陸縦貫鉄道ともここでお別れだ。とんと昼飯を食べた記憶がない。菓子パンでも買って食べたのだろうか。棒アイスを買ったことは憶えていて、駅か駅に隣接する店ではなかったかと思う。女性の店番の人に、山の中だけど、国道だし、昼間だから、熊は出ないよねえ、と言ってみたら、また、間がある。そのあいだに、こちらは、漫画でいうと汗が一滴頬の横を垂れる感じである。
「大丈夫だと思いますよ」と真顔だった。やれやれ。まあ人家のないところは地図で見ると、一〇㎞と少しぐらいだ。なんとかなるだろう。同じ国道だが、当時使っていた地図では、比立内から先、田沢湖方面へは「羽州街道(大覚野街道)」となっている。
 竜飛崎から小泊にかけての「竜泊ライン」以来の峠道だ。天気はいいが、その分暑い。国道で車はそこそこ走っているものの、傍らに人の気配はない。じわじわ上る。周囲は山と森林。三日前の津軽ほどの緊張感はないが、ちょっとやっぱり東海の低山の雰囲気とはいささか違う。

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 やがて峠に達したはずだが、そこのところの記憶はあまりない。早々に下り始める。ダウンヒルの途中、ようやく現れた店でまたもやアイスを食らう。
 今日の投宿予定地は田沢湖だ。すでに電話は入れてある。白鳥、という苗字がこの辺りでは珍しいのか、聞き返された。
 一度、田沢湖の方に折れる道を間違え、妙に心細い道になったなと思って尋ねたら、やっぱり勘違いだった。かなり傾斜のきつい道路を蛇行するように喘ぎつつ上って、ようやっと湖畔に出る。泊まる民宿は、湖の反対側。
 今はホテルの名称も変わったようだが、あの当時は、田沢湖プリンスホテルのところに、湖岸を回る道路に面して営業している簡素なカフェテラスがあった。まさか湖を眺めながら野外でコーヒーが飲めるとは思っていなかったから、一服と相成る。
 湖水は翡翠色で、岸辺から観ていても、異界へと吸い込まれそうな印象があり、確かに異様に深い湖ということはよくわかる。自転車の旅を再開する前は、よく湖で釣をしていたから、手漕ぎボートには少し慣れているのだけれど、この透明度じゃ、とてもそういうものがあっても乗る気にはならない。深淵への入口がそこに空いている感じなのだ。
 そういう、一種神秘的な水景の前に、辰子像があって、金ぴかに輝いている。この像を見に来る人も少なくないだろうから、像はものすごい貢献を地域にしているのであろうけれど、やはり金ぴかそのものであり、それ自体に想像力を刺激するものは、なかった。
 宿は湖畔の林の傍らにあり、自転車はなんとか屋内の店舗部分に入れさせてもらえた。風変わりな客という認識を持たれたようだが、仕方がない。世間の人にとっては、自転車というものはせいぜい外のトタン屋根の下にでも置いておけば充分なものなのだ。
 五泊めとあって、今以上に無責任な独身時代の三四歳ではあったものの、ぼちぼちいろんなことが気になり始める。携帯電話もメールも、全然一般的でなかった頃である。それなりに重要な要件で電話がかかってきて、いなかったら困るかな、と無意味なことを考えたりする。さて、もう一日か二日走るか、どうするか。

 気にしていたせいか、そういう夢を見た。
翌朝からは、帰ることを前提で行動し始める。宿を出、湖畔を一周してから、角館の方角を目指す。
 国道からちょっと田んぼの中にそれてみた。自転車を停めて畦道に近寄れば、いなごかばったか、夥しい数が逃げはねる。ここはまだ彼らの天国なのだろう。

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 昼頃に角館に着いた。武家屋敷の町は、どうやら祭りの最中らしく、けっこうな人手だ。そそくさと駅に行き、輪行作業を始めるが、どうも図々しい場所でやってしまったらしく、「もっとじゃまにならない隅でやってください」と駅員さんに注文をつけられる。はい、すみません。
 ユース泊まりで旅しているという学生サイクリストと出会って、少しの間会話する。
 乗った田沢湖線は、当時まだ在来線で、やたら特急の数が多かった。混んでいて座れない。デッキに置いた輪行袋の写真を撮っていたら、ここでも変人と思われたのか、二十歳ぐらいの女の子二人に、バッカじゃないの、という感じでくすくす笑われた。
 多少めげつつも、乗り換えの盛岡駅新幹線ホームで、残りひとつだった弁当にお茶をおまけしてもらって、人心地つく。滑り出した車窓の向こう、田と野と山の東北の緑が流れ始める。昨年、九三年に初めて走った、北上川沿いの風景が見える。
 大宮あたりで天気が怪しくなり、ビルのモザイクが連なった街の上に黒い雲が垂れ込めて来、その底から電光が何度も走った。新幹線の中にいても聞こえる雷鳴だった。
それで、その年の、夏の終りの自転車の旅は終わった。

 何年かのあいだ、何度か、北の海辺の夢を見た。夢のなかで、津軽が、半島が、まったく違う映像として現れてきたことがあり、しかしそのときも、そこが本州の果ての土地だということを意識していた。
 青森で見たような民家の連なる風景を、夢で辿ったこともある。そんな夢を、忘れた頃に思い出すようにして見て、異様に切ない気分になった。津軽や秋田の日本海の海辺を、もう一度訪れてみたくて仕方がなかった。
 郷愁というものが、過去の時間や空間に向って伸びてゆく感情の線だとすれば、それは、郷愁とは少し異なっていた。確かに旅は過去のものになったのだけれど、その数日間の自転車での移動をひどく懐かしんでいる、というのではなかった。SFには、パラレルワールド、平行して存在するもうひとつの世界、という、量子力学的な発想があるけれども、もしそのような平行世界に対する郷愁というようなものが成り立つとすれば、むしろそんな感じだった。
 特別、青森や秋田に縁があるわけじゃない。にもかかわらず、どうにも、あの辺りに、自分の、あり得たかもしれないような生活や日々が存在していたような、理由も根拠もない感覚が、しばらく去来した。

                               (了)

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