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T湖の変化(掌編小説)

 フライフィッシングの支度をしてしまうと、私は連れ合いに言った。
「一時間かそれくらい、行ってくるよ。よほど釣れたりしたら、もう少しのびるかもしれないけど、そのときは連絡する」
「スマホ、持った?」と彼女は訊いた。
「持ったよ。ジーパンのポケットに入っている。じゃ、行くよ」
「気をつけてね」
「うん」
「毒蛇とかいることもあるんでしょう?」
「そんなこと言ったことあったかな。ヤマカガシのことかな」
「どういう蛇かは知らないけど、そんなこと言ってたわ」
「気をつけるよ」
 私はT湖の南西側に駐車した車の脇を離れた。連休の最後の日だからそのあたりも混んでいるだろうと思っていたら、意外にも空いていた。天気が曇天で少し肌寒かったからかもしれない。
 道路は湖岸から少し距離を置いたところにあって、湖岸と道路のあいだにはキャンプ場が広がっていた。樹木と草地に覆われたところだ。だが今そこにはキャンパーは一人もいない。もっと富士山の眺めが良い開けたところにサイトを作っているのだ。もっとも、今日は富士山は雲に覆われて見えなかった。
 私は湖岸を一周する小径に出た。右手に持ったフライロッドが揺れていた。鳥の鳴き声がした。周囲には誰もいなかった。
 この湖に釣りやピクニックで通うようになって、もう三十数年が経つ。昔は湖の南西に伸びる道路は舗装もされていなかった。もちろん湖岸の小径も。湖の奥側に当たる南西の入江に来る人もごく少なかったし、そこではオオクチバスの愉しいフライフィッシングができた。
 今やその入江の奥には国民休暇村の立派なホテルが建ち、貴重な湿地性の植物を保護するために人は岸辺を歩けないようになった。整備された木道の上を通るほかないのだ。物事は変化する。
 やがて木道は入江のいちばん奥に当たるところに出た。そこには展望台のような場所がしつらえてあり、その後ろには7階建てくらいの国民休暇村ホテルが屹立していた。全室から富士山が見えるというのがふれこみなのだ。だが今日は見えなかった。展望台では、いわゆる「ダイヤモンド富士」の日にここに集まる多数のアマチュアカメラマンに対し、その行動を牽制するような文言が看板に書かれていた。
 入江は静かだった。オオクチバスが小魚を補食するような動きは見られなかった。この時期はコイの産卵の時期にも重なるのだが、それも目の当たりにするようなことはなかった。湖面は静謐で、沈黙していた。
 私はもとの木道に戻って、湖に沿って時計回りで再び歩き始めようとした。すると、展望台の上のあたりで、国民休暇村のホテルのほうから降りてきたグループと一緒になった。七十代くらいの男女数名のグループだった。私は彼らと木道を歩いた。そして木道が切れてアスファルトの路面に変わるところで、グループの一人の男性が訊いてきた。
「この湖ではどんな魚が釣れるのですか」
 品の良い、初老の男性で、グレーのジャケットを着ていた。私は答えた。
「普通に言うなら、ヘラブナですね。それから、オオクチバス、いわゆるブラックバスと呼ばれるのもいます。私の道具はそっち用ですね」
「今日は釣れそうですか」
「分かりません。ちょっと気温が低いですから」
「富士山はこの正面ぐらいに見えるのですね」男性はまた訊いた。
「そうです。大きく見えますよ」
「せっかく来たのに残念だわ」と、グループの中の女性が言った。
「夏場はむしろ見えないことが多いんです。ここは高原で霧がかかることも多いので、本当は冬のほうがいいんです。でも観光業者はそうは言わない。夏にもお客さんに来て欲しいですからね。どちらからお見えですか」
「名古屋からです。昨日車でここに着きました。そのときから曇ったままですね」
「今日は昼頃に少し雲が切れたんですけどね」
「気づきませんでした。短い時間だったんでしょうね」
「ええ」
 そのうちに遊歩道は東屋のあるところに来た。彼らはそこまで歩くつもりだったらしい。われわれは互いに挨拶して別れた。遊歩道はじきに杉木立の中を行くようになり、木の匂いが鼻についた。空気は湿っていた。杉木立を抜けたところに最初のポイントがあって、かつてそこで面白い釣りをしたことがあったが、今そこには別のルアー・フィッシャーマンが一人入っていた。
 私は遊歩道を歩き続け、そこから少し離れたところにある別のポイントで竿を出した。フライを投げる前に湖面を覗き込んだが、オオクチバスらしきシルエットは見当たらなかった。魚の気配はなかった。
 それでも私はフライを投げてみた。食い気の立ったオオクチバスは、だいたいは岸に向かってポジションをとり、岸から落ちてくる昆虫やそこを通りかかる小魚をターゲットにする。だからフライは岸と平行にキャストし、二メートルほど引いて魚を誘ってから、ピックアップしてまた投げる。それを繰り返す。
 反応はなかった。私は少しずつ湖の岸辺を進んでいった。空は相変わらず曇天で、微風が吹いていた。湖面にはごく小さなさざ波が立っているだけで、魚の気配はなかった。オオクチバスの姿は見なかった。
 三十数年前の夏、そこでは特別な時間を過ごすことができた。
 夏は岸辺の背後のある杉林でヒグラシが鳴いている。そのセミが、湖面に飛んできて落ちる。すると、腹を減らしたオオクチバスが水中から湖面を爆発させるように食い上げるのだ。そういう反応が起こっているところにセミを模したフライを投げると、水柱が立つようにヒットが起こる。
 楽園の釣りのようだった。絵に描いたようなフライフィッシングをすることができたのだった。
 しかし今湖面は沈黙していた。食い気の立った魚が集まっているような気配はどこにもなかった。湖は熱くはなかった。それは冷めて、静かだった。
 岸辺は途中から北に向きを変える。そこまで来て、私は立ち止った。その先まで進もうかと最初は考えていたが、そのつもりはなくなった。湖岸はその昔と異なり、今ではコンクリートで固められていた。景観にいくらかは配慮してか、茶色のコンクリートブロックが並べられていたが、昔日のような風情は失われていた。
 私はフライラインをリールに巻いて収納し、来た道を戻り始めた。対岸の草地の上には、キャンプをしているグループのテントやタープがいくつも並んでいたが、ほかの有名なキャンプ場のような混雑はなかった。
 戻る途中で、さきほど杉木立の東側のポイントでルアーを投げていた人物とすれ違いそうになった。
「何か反応はありましたか」と私は訊ねた。
「いや、ダメですね。さっぱりでした」と彼は言った。齢の頃は私と同じぐらいに見受けられた。彼のタックルには水面で使うルアーが付いていた。
「セミのルアーですね」
「ええ、そろそろ上を見るようになる時期じゃないかと思いましてね」
「ヒグラシの季節もじきですね」
 私には分かった。彼もある時期この湖でいい思いをしたことがあるのだ。そう思うと、少しうれしかった。われわれには共有できる過去があった。
 彼はルアーを足元に投げてから、動かした。まったくそのルアーはよくできていた。水面に落ちたヒグラシが羽根をばたつかせる様を巧みに再現していた。
 しかし水面には何も起こらなかった。そこにはオオクチバスはいなかった。
「バスもずいぶん減りましたね」と彼は言った。私も同感だった。
「そうですね。以前はこんな感じじゃなかった」
 かつてオオクチバスは生態系を破壊する外来種としてひどく叩かれた。識者がこぞってオオクチバスを無断放流した人々や、オオクチバスの釣り人たちを強く批判していた。しかしそれから三十年近くが経ち、オオクチバスほとんどの水面で大きくその数を減らした。湖がオオクチバスだらけになってしまうようなことにはならなかった。物事は変化するし、自然はそのバランスをおのずと回復させる。
「あそこのワンドに、巣を作っているバスが一匹いますよ」と彼は教えてくれた。彼が釣っていたところだった。それから彼は東側に移動していった。
 私がそのワンドに辿り着くと、湖岸をサイクリングで回っている二人組がそばにいた。私は彼らのじゃまにならないように岸辺に立ち、中を覗き込んだ。果たしてそこには四十センチを超えるくらいのサイズのオオクチバスが泳いでいた。
 私は二人に気をつけながら、短くフライをキャストして、件のバスの目と鼻の先にフライを落とした。しかし案の定、バスは特にフライに注目しなかった。
「あれはコイですか」と二人のうち片方が訊いた。
「いや、オオクチバスですよ」と私は答えた。それ以上何も訊かれなかったので、私はその場を離れた。再び杉林の中を通って湖岸の道を辿った。東屋や展望台のところも通り過ぎた。名古屋から来たグループはもうそこにはいなかった。そして富士山は相変わらず見えなかった。

 車のところに戻ると、妻が助手席で目をつぶっていた。曇り日なので、窓を開けなくても車の中にいられるようだった。
「戻ったよ」と私は言った。
「どうだった? 釣れた?」と彼女は訊いた。フライフィッシングでは獲物を持ち帰ることはほとんどないので、格好を見ただけでは成果が分からないのだ。
「いや、バスはほとんど見当たらなかったよ」と私は答えた。それから、フライフィッシングのタックルを片付け始めた。フライを外し、リーダーをリールに巻き取り、ロッドからリールを外し、ロッドを元のように二本に分割した。
 片付けが終わると、私は妻に言った。
「鳥見をしよう」
「いいわね。双眼鏡を出さなきゃ」と彼女は言った。
 一年ほど前からわれわれは鳥見、バードウォッチングを始めていたが、この湖で鳥を見るのは初めてだった。
 私はフィッシングベストを脱いで上着を着、双眼鏡を携えて、車の施錠をした。そのとたんに、鳴き声がして、目と鼻の先の桜の木にコゲラが飛んできて止まった。コゲラは幹に対して縦に止まるので、すぐにキツツキの仲間だということがわかる。背中が白黒の市松模様になっている可愛らしい小鳥だ。
 双眼鏡を使う必要もなかった。距離は本当に数メートルもないくらいだった。それくらい近いところで見たのは初めてだった。
「凄かったな、今のは」私は言った。
「本当に目の前だったわね」と妻は言った。
 コゲラが飛び去ってしまうと、今度は別の小鳥が数羽やってきて、コゲラのときと同じ木に止まった。シジュウカラだった。さかんに囀りながら、まるでわれわれに自分たちを展示するかのように振る舞った。
 われわれは呆気にとられていた。
「驚いたな、コゲラが来たと思ったら今度はシジュウカラだ」
「まるで鳥類博物館か何かみたいだったね」
 われわれはそれから湖岸の展望台のほうに向かった。遠くで誰かが楽器の練習をしていた。最初は数名が音合わせをしているように聞こえたが、よく聞くと楽器はバンドネオンで一人で弾いているのだった。かなりの腕だった。
 展望台の付近ではウグイスのシルエットとガビチョウのつがいを見た。鳥の密度は驚くほど高く、ほかにも同定できない鳥を見ることができた。
 この湖に来るようになって四十年近く経つが、これほど鳥が多いところだと思ったことはなかった。湖も変わったが、自分も変化したのだった。
「鳥は釣らなくてもいいからいいな」と私は言った。
「見えなくても声が聞こえるし」と妻が言った。
 それからわれわれは湖岸の遊歩道を半時計回りで少し歩き、バンドネオンに聞き耳をたてながら、次の鳥が来るのを待った。
                               (了)


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