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湧水と流水の季節

流れは何かを運んでいるようであり、そうでないようでもあり。湧水で知られた街を行けば、あちこちの水景が謎かけのような様相を呈している。

人はどこから来てどこへ行くのかという問いにも似て、透明な液体は答えのない問いを繰り返しているようにも見える。

水の街はそういう音楽に浸されている。水路や浅瀬や湧水は、音響によって作られる音楽とはまた別の音楽を奏でているのだ。せせらぎ、ではなく、むしろ無音の音楽なのかもしれない。

その音楽は何か透明な物語も宿していて、しかしそれはまたつかみどころがない。水には起承転結も初めも終わりもないのだから。

ある夏の夕刻に、湧水の街を彷徨うように自転車で流した。無数の小さな物語が水のある場所、水の流れる場所にひっそりと影のように佇んでいるような気がした。

その年は異様なくらい湧水量の多い年で、ある公園など、通路のような場所からも水が流れ出ていた。

人にもそういうときがある。何かが人の中から流れ出す季節というものがあるのだ。しかしそれは、恋や情熱といったものとは少々違うように思う。

人もある種の流れなのかもしれない。それは時間にも音楽にも似ているが、もしかしたらわれわれは静止していて、世界のほうが動き、流れているのかもしれない。

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