見出し画像

すべてはパーとグーに答えがあった。

『花束みたいな恋をした』を観た。昨年の公開発表から楽しみにしていた坂元裕二さん脚本の映画。

ネタバレ部分があると思うので、これから観たい方は、そっと閉じてください。

▼すべてはパーとグーに答えがあった
学生時代の麦と絹は似ている価値観を持っていた。
そのうちのひとつに「パーとグーの勝敗」があった。パーは”紙”に例えられ、グーは”石”に例えられる。しかし、石に紙が勝つ意味が2人には理解出来なかったのだ。だって石は紙を破くことができるから。
そういう素朴な疑問を持ち、2人は受け入れなかった。

時が立ち、終わりの場面。2人は一緒に暮らしていた家を出る。飼っていた猫バロンを、どっちが引き取るか決める時ジャンケンをした。その時出したのが、パー(麦くん)とグー(絹ちゃん)だった。
勝敗は決まり、麦くんが猫を引き取ることに。

あれっ、簡単に決まってしまった。そう思った。
なぜなら、昔の2人だったら、グーが勝ちってこともあり得たかもしれないから。

でも、何の躊躇いもなく、勝敗を受け入れた2人。
そこに大人になった2人の「おわり」を感じ、切なくなった。

…………
▼大人になるって疑わず、受け入れてしまうこと

もうひとつこのジャンケンの話で思ったことは、
大人になるって、「疑わず、受け入れてしまうこと」なんだと。
紙が石に勝つのは、ちょっと変じゃない?なんて考えなくなる。
なぜこうなのか?その理由をよく知らずに、言われるがままやってしまう。
”そういうものだ”と疑わず、受け入れていく。
それが大人になっていくことのような気がしてしまった。

だって楽だから。
ひとつひとつ考えていたら仕事が終わらない。
ひとつひとつ「なんで?」って聞いていたら、ウザがられる。
そう分かっているから。

でも、とても寂しいと思った。
「普通になるって難しい」、「社会性と協調性は天才の敵」そんな言葉と最初は戦おうとするが、大きい波に飲み込まれる。
人は何かを諦め、大切な価値観を捨て、社会に溶け込んでいく。環境で、人は簡単に変わってしまう。それってけっこう的を得ていると思う。

好きなものへの興味が薄れ、合間の暇つぶしのパズドラしかやる気が起きなくなってしまうこと。新刊が出ても歓喜しなくなること。気づかぬうちに、溶け込んでいるの。私だって、君だって。
学生から社会人の長い間を描いたこの映画からそんなことを感じた。


そういう意味では、私は好きなことは好きなままでいられて、きっとずっと子供なのだと思う。人に聞くかは別にして、なぜ?って考えるのはけっこう好きな方なのだと思う。
だから、好きなままでいられる幸せを大切にしていこう、そう思えた映画だった。

#花束みたいな恋をした #坂元裕二 #映画 #日記 #映画レビュー #映画感想 #日常 #菅田将暉 #有村架純 #note映画部 #ジャンケン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?