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【覚せい剤】逮捕〜保釈、そして。

前回の投稿からずいぶん時間が空いてしまいました。

投稿しなかった間、Xで同じような境遇の方たちと交流させていただき、
自分自身、凝り固まっていた価値観を刺激されたりして、
充実した毎日を送っていました。

仲良くしていただいている方々、
ホントにありがとうございます。

さて、今回は初めての逮捕〜保釈までを書いていきたいと思います。

毎回のことになりますが、

このnoteではこの先覚せい剤使用についての記述が多く出てきます。

このnoteは覚せい剤使用を推奨するものではありませが、
現在使用している方を非難するつもりもありません。

🐜には他人をジャッジする気はありませんし、
その資格がないと思うからです。

その他、薬物についての🐜の考え方については前回のnoteをご覧の上、

続きをご覧ください。

初めての逮捕

初めての逮捕からはあっという間に時間が過ぎていきました。
あまりご存じでない方もいらっしゃると思うのですが、
警察って、必ずしもその土地の警察が捜査に当たっているわけではないんです。

🐜の場合、その時捜査対象であったケンジさん(仮名)と同席していたがために同時に逮捕されたわけですが、
その捜査に当たっては、別件で逮捕されていた方が、覚せい剤の購入先としてケンジさんの名前を挙げており、
その捜査に当たっていたのは、🐜が逮捕された場所の隣県の警察署でした。

そのため、🐜とケンジさんは別々の車に乗せられ、
隣県まで連行されていきました。

ケンジさんが仮に北海道の人に売り渡していて、
仮にその人が逮捕されていたとしたら、
当然捜査は北海道警察が担当することとなり、
🐜とケンジさんは北海道まで連行されていたかもしれないのです。

車で30分くらいだったでしょうか。
捜査に当たっていた警察署に連行され、
取り調べ室に連れて行かれました。

前回の投稿にも書いてありますが、
🐜はなかなか尿検査ができず、
取り調べ室でも、「早く出せ」「令状を取ればカテーテルを無理矢理にでも差して採ることもできるんだぞ」とプレッシャーを与えられながら、
そうそう簡単には出ないことを必死に伝え、
なんとか出そうになったとき、その旨を伝え、
トイレに連れて行かれました。

その時、5.6人の刑事さんに取り囲まれながら、
なおかつ、便器の真後ろに1人、真横に1人、
べったりと張り付いた状態で採尿をしました。

確実に🐜から出た尿であることを複数人で確認をしていたのですね。

その場で試薬で検査し、青色に変色したのを確認した上で、
その場で、指印(人差し指)で封印し、緊急逮捕となりました。

しかしそこからが長かった。

逮捕された!捕まった!

なんて動揺してるヒマなんてありませんでした。
法律上、通常17時以降は取り調べができないことになっており、
その日はそのまま留置場へ入ることになりましたが、
当該の警察署の留置場に空きがなく、
🐜はそこから車で2時間ほどかかる山奥の警察署に留置されることになりました。

そのまま車に乗せられ、
🐜が留置される警察署に向かっている間、
世間話のようにアレコレ尋問されつづけ、
最後の方は何を話していたのかもよく覚えていません。

クタクタになったころ、
ようやく留置される警察署に到着し、
自分の居室に入れられたわけですが、
そこは異様に無機質、かつ異様に電気が明るく、
これはなんだか想像していたところと違うぞ?と思ったところ、
残念ながら保護室(自殺などの危険性がある被疑者を収容するための部屋)しか空きがなく、
就寝時間も減灯してもらえないとのこと。

これは先が思いやられるなぁと思いつつ、
その日は、その異様に明るく、1人にとっては無駄に広い部屋に布団を敷き、
そのまま眠りについたのでした。

同性愛者であること

翌日起床し、不味いとも美味しいとも言えないお弁当を出され、
それをありがたく頂いたあと、
運動の時間だ、ということで居室から出されました。

その時、ようやく留置場の全貌を見ることになるのですが、
通りがかった他の居室は、ドラマなんかで見かけるような造りで、
やはり🐜のいるところは異質であることを再確認したのですが、
そこでふと気付いてしまったのです。

他の居室には一部屋に2〜3人が収容されていたのです

なんとなーく。
あれ?やっぱりそういうこと?
🐜がゲイだから?
ピンときてしまったのですが、
まぁ、そういうことなのでした。

これはこの先、
法務省が管轄する拘置所、刑務所にも共通することですが、
同性愛者は基本的に独居房に隔離されます。

その後の取り調べで刑事さんに直接聞いたことですが、
お互いを守るためにしていることなのだそうです。

これはいい点でもあり、悪い点でもありました。
🐜は子供の頃から集団行動や集団での生活が苦手で、
誰かもわからない赤の他人と狭い密室で生活をすることにはとても抵抗がありました。
扉はあるものの、トイレも外から見張れるよう、
ガラス張りで丸見えです。
当然、🐜の排泄姿も、同房になった人の排泄姿も、
全部丸見えになるわけです。
これは大変なストレスですよね。
その点、独居房は他人に気を遣うことなく生活できるわけですから、
ストレスもなければ、トラブルの原因になるようなこともなくなるわけです。

ただ、悪い点としては、
ホントに孤独でした。
話し相手もおらず、ただ取り調べと居室を行き来するだけの日々です。

唯一、他の被疑者たちと話せるのは運動の時間だけでした。

運動といっても、ちょっとしたベランダみたいなところで、
30分間、運動したり、爪を切ったり、ヒゲを剃ったりすることができるだけ。
あとはこの当時、運動の時間だけは1日2本までタバコが吸えました。
後に完全禁煙となるのですが、その当時はまだ運動中だけは吸えていたのです。
その昔は取り調べ室でも吸えていたのだそうな。
ホントに刑事モノのドラマの世界ですよね。

定型文に沿った取り調べ

そしていよいよ取り調べが始まります。
警察は逮捕から48時間以内に容疑を固め被疑者を検察に送致しなければなりません。
したがって警察にとっては時間との勝負です。
しかし人権保護の観点から取り調べは朝は9時から、夕方は17時までと決まっており、
それまでに留置場に身柄を移さなければならず、
短時間のうちに必要なことを聞き出さねばならないわけです。 

ひとまず逮捕された事案について、認否を確認されます。
そして具体的にいつごろ、どのように覚せい剤を使用したのかを聞かれます。

「私が覚せい剤を使用したことに間違いはありません」

とよくニュースにも出てきますが、
これは定型文です。

一通りの流れを供述したあと、
私が覚せい剤を使用したことに間違いありません、ということだな?と聞かれるのです。
そして🐜は、はい、そうです。と答えたのです。

その内容で早々と調書が作成され、
署名、指印を押し、
そこまでで初日の取り調べは終わりました。
🐜の場合、覚せい剤自体を所持しておらず、
単純使用のみの容疑でしたから、
送致もとても早かったと思います。

次の日には検察に連行され、
検察官からの取り調べを受けました。
こちらも基本的には警察から送られてきた調書を音読し、更に検察官から追加で質問されたことについて答え、新たに検察の調書を作成したのでした。

その調書に基づき、検察官は裁判所に勾留請求をします。
勾留請求がされると、今度は裁判所に連れて行かれ、
逮捕された事件についての勾留請求が出されている旨、
ここから10日間、必要があれば更に10日間(最長20日)勾留される旨を説明されます。
このとき初めて、1人だけ勾留されていることを知らせることができると言われ、
母に連絡してほしい、と伝えました。

あぁ、母になんて言われるだろう。
でも他に頼れる人なんていない。
仕方ない、このまま地元に戻るしかないよな。

そんなことを考えながら、
留置場に戻っていったのを覚えています。

見たくなかったアルバム


取り調べの内容については、
この場に書くのは控えてさせていただこうと思います。
🐜以外の方の話にも関わりのあることです。
当然、いつから使っていたのか、どこで買っていたのか、いくらだった、
一通りのことは3回くらい同じルーティンで聞かれます😂
これは複数回聞くことで供述に不審な点はないかを確認するためでもあります。

その中で卒業アルバムかのような写真集を見せられます。
この中に知っている男はいるか?
いわゆる面通しというヤツです。

ここに写真があるということは、
過去に逮捕されたことがあるか、
現在捜査対象になっている人物かのどちらかだということです。

この中には、当然たくさん知っている人がいました。
古くから知っている人、一緒にヤッたことがある人、
ゲイの世界では有名人と言えるような人、
それはもうたくさんいました。

知っている人がそこに載っていたのもショックでしたが、
それ以上に、“この先🐜もここに乗るんだ”ということがショックでした。

母との面会


逮捕から4日くらい経った頃でしょうか。
突然面会だよ、と連れて行かれました。
あぁ、母だ。とすぐにピンときて、
心臓がバクバクしたのを覚えています。

そして面会室に入り、母の顔を見た途端、
言葉が出る前にただただ🐜は涙が出ていました。
母も当然同じです。
ホントは母の性格を考えると怒鳴るなり叫ぶなり、あれこれ言いたかったと思います。
ただ、🐜の号泣する姿を見て、
きっと何も言わずともバカな自分を許してくれ、と思っていたことを察してくれたのだろうと思います。

面会時間は30分しかありません。
でも🐜は正直、母の顔を見たら少しホッとしたような気がしました。
その場で職場に退職したいと伝えてほしいということ、
このまま地元に帰ることにするということ、
もうこんな山奥まで面会に来なくていいよ、ということを伝え、
その日の面会は終わりました。

🐜のそれなりに濃い、シャブ中生活の中で、
号泣したのは2回しかありません。
この日の号泣は、その1回目です。

拘置所は別世界

その後、🐜は起訴され、
身分が被疑者から、被告人に変わりました。
そして程なく、拘置所に移送されました。

そこは留置場と違い、扉のないトイレのついた4畳ほどの狭い和室でした。
トイレをするたびに目隠しの仕切りをたてて、用を足すような、そんなシステムでした。

🐜はその時点では未決勾留者(判決が出ておらず処遇の決まっていない被告人)です。
ただただ読書することしかすることのない日々でした。

母との面会の中で、
一人暮らしをしていたマンションを引き払うため、
保釈を受けて、荷作りをしにいきなさい、ということになっていました。

起訴されなければ保釈は受けることが出来ません。
そして当然、保釈金も必要です。
保釈申請から、保釈決定まで1週間くらいかかったでしょうか。
その時の保釈金は200万円でした。
そのお金は母が用意してくれました。

そして逮捕から約1ヶ月ほどで保釈となり、
実家へと帰っていったのでした。

そして、荷作りをしに一人暮らしをしていた部屋に戻ったのですか、、、、。


ここからがシャブ中が、シャブ中たる所以。
🐜さんが、ワケアリ人生を送ることになった起点になったと思います。

ここまで書いてみて、
ホントは判決まで書こうかな?と思っていたのですが、
長くなってきましたので、今回はここまでにしておきます。

いかがでしたでしょうか。
経験のある方は、あぁそうだよね。
経験のない方には、そうなんだ!って思うようなことかもしれません。

でも🐜のワケアリ人生はここからがスタート。
まだ序盤なのです😂

いろいろあって間が空いてしまいましたが、
これからもう少しコンスタントにアップしていこうと思ってます。
温かく見守っていただけると幸いです。

そして近いうちに面白いお知らせができそうです。
それはまた、決まり次第お知らせしたいと思います。

それと、Xの方に時々感想のDMを頂いたりしてとても嬉しいです!
しかし、中にはポルノのように読まれている方がいるようなのですが、
これはポルノではなく、とある愚かなゲイの人生を綴ったものです。
オカズにしていただくのは結構なのですが、
それ以上の期待にお応えすることはできませんので、
予めご承知おきください😂

それでは次回は保釈〜裁判〜社会復帰までを書いて行こうと思います。

感想や何か気になることがあればコメントやXへDMいただけると嬉しいです。

それではまた😁

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