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『終末思想と共産思想』~賢き左脳が夢見る理想郷



『終末が訪れた後、すばらしい世界がやってくる』

共産主義者である彼らは口をそろえて言う。

『破壊こそが革命』
それが彼らの信条である。



箱庭思想の彼ら共産主義者たちは、何度でも箱庭を自分たちの「お気に入り」となるように造り変える。
そのたびに「破壊」を何度も繰り返す。
「革命」のためには人命を捧げるのはあたりまえの彼らは、だから第二次大戦で多くの日本人を犠牲にして「敗戦」を勝ち取った。
そして今、大量のワクチンを同胞たちにも打たせてゆく。

「自分は打たないけど皆さんは打ってください」
そんなことをのうのうと言ってのけた先生方・・・


彼らにとっての「人命の尊さ」は、『革命のために捧げる命の尊さ』である。


革命とは「箱庭を理想的に造り変える」こと

そのため「破壊」するときに人命を捧げさせ、新しく「創造」するときにも人命を捧げさせる。
彼らにとって大切なのは「理想の箱庭世界」であり、そのためなら人命などいくらでも差し出す。


右脳と言う「感受性」を失った「左傾化」した頭は、現実世界との接点を持たず、「左脳」で想像した「箱庭」を現実世界に出現させるという理想第一主義であり、たとえそれが「現実にそぐわなくとも」推し進めるという、それゆえにまるでサイコパスが人命を弄ぶように平気で翻弄してゆく。


世界で起こった「プランデミック」は「革命のための破壊」である。
そしてまだまだ「壊しきれていない」から、第二第三のプランデミックが遂行される。


これを遂行しているのは、あなた方が「先生」などと呼んでいる人々である。
頭がいいから「良い人だ」と勝手に思い込み、だから「先生が言うのだから」と信じ疑うことをしない。
実はこれも「サイコパス」の特徴の一つである。
理知的で賢く真面目・・・・に振舞うのである。
なぜなら自身の「振る舞い」も「理想的」でなければならないからであり、そんな「理想的」な振る舞いが多くの人々を惑わしているわけである。

しかしながら確実に「欠落」しているものがある。
それが「右脳の感受性」なのである。
逆に、それが無いからこそ「理想的」に振舞えるとも言える。
感受性があれば「我に返る」時に恥ずかしくて出来ないようなことも、平然と出来てしまうわけである。
平然と嘘をつき、平然と人を陥れることが出来る。
感受性の欠落した者のなせる業であろう。


そんな彼らの「善悪」は『思考』によって決定づけられる。
その中心にあるのは「理想」であり、「理想的な箱庭世界」であり、そこへ「向かうため」の行いは「善」であり、そこへ「向かわない」行いが「悪」となる。


「理想的な世界へ向かうならいいじゃないか・・・」

だが、彼らは「感受性」が欠落しているのである。
つまり、彼らが「理想」とする世界が完成した時、「感受性」を持った人間は『気持ちがわるいくらい居心地が悪い』世界となっている。

ああしたほうが理想的じゃないか?
もっとこうしたほうが理想的じゃないか?

常に「理想的かどうか」という『在り方』が問われる世界となっている。
そして、その「理想的」の発想の中に「右脳の感受性」など入る隙間もなく、ただただ「左脳の思考」で理屈づけられた「理想」なのである。



私が思っているのは、彼らのすべてが間違っているわけではない・・・ということ。
たしかに「理想郷」を目指してはいる。
だが、その「理想」の中に『大切なものが欠落している』ということなのである。
だから出来上がる理想郷は非常に「いびつ」な姿であり、おそらく人間が「アンドロイド」のようでなければならないような「いびつ」さである。


人に嘘をつき、人を陥れ、人の命が失われた時「心」が少しでも痛むなら、その理想郷には住めないだろう。

そう・・・
彼ら「サイコパス」にとって最も欠落しているのが「痛み」なのである。


「革命のための尊い犠牲」ということで「ワクチン」を大量に国民に打たせているのは誰だ?
あなた方が日頃「先生」などと呼んできた者たちであろう?
大量に人が苦しんでも「革命のための尊い犠牲」として平然としていられる。
多くの人が亡くなっても同様である。


そして多くの人が、彼らが掲げる「理想」の美麗さに惑わされ、そこへ向かっているのである。
賢い先生が言うのだから間違いない・・・と。
「先生、先生」と言いながら、その後をぞろぞろとついて歩いているのである。
笛の音に誘われる大量のネズミたちのように・・・


左脳ばかりで神を追い求める「宗教」も、神を「箱庭」に閉じ込め、「箱庭の創造主」であることを求める。

自然というものを無視して、左脳で築き上げた「理想郷」こそが「天国」であると信じ、左脳が唯一認識し得る「経典」の名のもとに世界を破壊し「理想郷」を追い求める。


本来、破壊しなければならないものは、彼らには「感知」出来ないのである。
もっと「根源的」なものを再構築(建て替え)しなければならないのだが、左脳による「言葉」という「レゴブロック」を使って「レゴを組み立てるように」しか理想を形にし得ない彼らには、到底その「根源」には到達できない。

そして彼らが「根源」と思っている「創造主」は「左脳」の箱庭に於いて「全知全能」でなければならない。
そうして辿り着いたのが「AI」であり、その進化の先に「創造主」を見ていることだろう。


『管理しコントロール』される世界
それが彼らの箱庭
創造主によって完全に管理されコントロールされた「箱庭」こそ彼らの「理想郷」
その天国に暮らす人々は、「感受性」が欠落したサイコパスたち
「理想的」であることで愉悦する人々である。



考えただけでも気持ち悪い。
だが実際には「着々と」進行しているのである。
そして多くの人々は、そんなこととはつゆ知らず、それらに加担しているのである。




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