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『資本主義の性(サガ)』~画一化(グローバリズム)へ向かう世界



世界が新自由主義、グローバリズムへ向かっているのは、「グローバリストたちのせい」などではない。
世界中の大多数の人間が、自らの意思でそちらへ向かっているのに、自分のことは棚に上げて誰かを責めても、その誰かを敗北させたとしても、世界が向かう先は新自由主義でありグローバリズム世界である。
そのことに一人一人が気付かなければ、世界は確実にグローバリズムを完成させるための「強権的」な「共産主義世界」となる。


資本主義の行き着く先は「合理性」であり「画一性」であり、より無駄のない合理的仕組みを求めると言う「性(サガ)」が根っこにある。
より利益を求めれば必然的にそうなるのである。
無駄を省き効率よく・・・・
人々が自らそれを「善いもの」として無邪気に追いかけ、それを「豊かさ」の仕組みであると信じて疑わない現代の資本主義は、その見本となる企業の在り方を社会に適合させる方向へと進んでいる。
それを「グローバリズム」と呼んでいるだけの話である。

もっと合理的に、もっと効率的に・・・・
それは「もっと豊かに」という欲望を正当化した言葉に担保され、着実に進行しているわけである。
グローバリストがレールを敷かなくとも、人々は自らその道をとっくに歩んでいるのである。


日常を振り返ってみればいい。
いかに自分が「人と同じ」であることを求めているか・・・
いかに「効率性」を求め「合理性」を求め、「同じ」という「画一性」を求め、何より「豊かさ」を求めているであろう。

「豊かさ」の第一義に「金銭」を置いているであろう。
頭の中で様々な「豊かさ」を思い浮かべようとも、結局は「金銭」を第一義に置いているであろう。

だから世界は共産化へと向かっているのである。

同じ給与で同じ働きを求め、同じ扱いを求め、違うと駄々をこねる。
同じ職場で同じ同僚が同じ働きをしなければ駄々をこねる。
同じ人間だから同じ扱いをせよと駄々をこねる。
自ら「画一性」を求め、その一方で「違い」を認めろと駄々をこねる。


今「保守」などとうたっている人々は、そんな「駄々をこねて」いるに等しい。
画一性を求めながら対極にある独自性を要求する。

独自性を要求するなら「画一性」をまず手放せ。
画一性を要求するなら「独自性」を手放せ。

対極にあるものを両方握りしめたままで駄々をこねながら、結局は自らの足は「画一性」へと向いている。


監視社会はとっくに訪れており、どこに居ようともプライバシーが完全に担保されることなどない。
国家権力が監視しなくとも、すでに人々の野次馬根性が「監視者」となり、スマホのカメラを通して何処にいても「監視」されている社会はとっくに出来上がっている。
自分たちが自ら「監視者」となっておきながら、政府が監視するとなると「恐怖」だと言い駄々をこねてふてくされる。


人の過ちを徹底的に裁き、平気で過度の攻撃を「正義」の名のもとに実行しておきながら、国家が強権的に「正義」と言う名の暴力を振るうとなると駄々をこねる。


いったいいつになったら「自分たちが自らの意思で進んで向かっている」ということに気付くのだろうか・・・・
『自分は違う』という逃げ口上から、いつになったら「改心」出来るのか・・・・


「豊かさ」の根源に「資本」というものを据えている限り、行き着く先は決まっている。

九割八分の人間が「豊かさ」の名のもとに自ら向かっているのであるから・・・・






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