能登半島地震における旅館の記録㉖
ここで1月1月の記事をまたUPさせて頂きたい。客室係スタッフの記録である。彼のレポートも1月1日の様子が詳しく書かれていた。
~客室係スタッフの記録~
1月1日15:00 業務開始。
私は個室食事会場の担当となり、テーブルセッティングや料理の提供準備、チェックイン後のお客様の客室へのご案内業務を行っていた。
1月1日16:06 私はお客様にお部屋のご案内をしている最中だった。当館で最も海から近い貴賓室・利久2階のお部屋で立っていられない程の激しい揺れを感じる。お客様はリピーターの6名様で当館料理長のお知り合いの方々。バラバラの到着のため、4名様のみチェックイン済み。地震発生時、3名様と私は客室の本間におり、お客様は大きな座卓にしがみ付き、あまりの揺れの強さに悲鳴を上げる方もいらっしゃった。私は客室の柱に掴まりながら、お客様へ揺れがおさまるまでそのまま動かず、座布団などで頭を守るようにお伝えする。もう1名のお客様は高齢のご主人様で先に大浴場へ向かっていた。ご家族はご主人様のことを大変心配しており、私が大浴場まで様子を伺いにいくことを提案する。
1月1日16:10 私が大浴場へ向かおうとしたところでまた非常に大きな揺れ。「館内の放送等でお客様へのアナウンスが行われる筈なのでこの場から、動かずに安全に待機してください」と改めて伝え、大浴場へ向かう。大浴場までの経路も廊下のひび割れや調度品が落ちており危険な状況となっていた。私のいた利久棟は最もフロント・ロビーから距離のある離れの建物。しかしフロントスタッフは既に利久棟まで来ており、お客様の非常口からの避難誘導を行っていた。その際も明確な指示と緊迫感がありながらも明瞭な声でお客様を不安にさせない姿勢が見て取れた。その様を見た私も居住まいを正し、落ち着いた対応をとるよう心掛ける。
フロントスタッフに、私が男性大浴場のお客様の誘導、点検をする旨を伝え、女性スタッフへ女性大浴場の確認をお願いする。男性大浴場の更衣室には5、6名のお客様がおり、(私が担当する利久2階のご主人様も無事)人命に関わる事態のため、取り急ぎ服を着て避難指示に従っていただくようお願いした。浴場内、サウナ、浴槽内に至るまで確認し、取り残された方、怪我を負った方がいないことに安堵して、避難誘導に加わった。
彼の記事には続きがあるのでまた後日ご紹介したい。
私はお嫁に来た数ヶ月は、嬉しくて毎日多田屋の大浴場に入っていた。【温泉に行ってきま~す!】がなぜかいつも【銭湯にいってきま~す!】と言ってしまい、女将に笑われていた。今でも旅館の家族は温泉に入っていると思われがちだが、実は違うのだ。和倉温泉は決められた場所にしか温泉が引けない。お陰様でお嫁に来て数ヶ月で多田屋は私にとって立派な職場となった。そうなると、たとえ自宅から30秒の位置に旅館があっても仕事が終わったら旅館には行かなくなった。ON・OFFの切り替えが出来なくなるからだ。だから私は多田屋のお風呂には自慢できるほど入ったことがない。身近にあり過ぎて有難味がなかったのかもしれない。壊れた大浴場を見ては本当に今は後悔している。
2月19日 使えそうな部屋の掃除をスタッフでする。次の旅館のフェーズに向けてのシュミレーション。旅館の水が使える事になったら復興に携わる方々を宿泊してもらえる事ができるのか。まだ何も決まっていないが、皆で前を向くためにも集まって掃除をしようという事になる。一見なんでもないような部屋でも、地震の揺れの為に発生した埃や細かいゴミ。それを皆で丁寧に掃除をする。ベットメイキングもすべてやり直し。本当に寝て頂くことしかできないだろうが、誰かに使って頂けると思うと皆は俄然やる気を出してくれる。こういう所が多田屋スタッフの素敵な所だとつくづく思う。
でも、片づけた部屋の棟が今後使えるかどうかの判断はまだ出ていない。部屋を片づけても壊さなくてはいけない可能性があるのだ。それは辛いし、無駄な時間や労力をかける必要はないと思っていた。存続できる部屋なのか取り壊しなのか決まるまではそのままでいいと思っていた。でもそれは間違っていた…。お部屋が綺麗になるとやっぱり嬉しかった。自分の心も晴れ晴れした。スタッフも【とても楽しい時間だった!】と、笑顔だった。たくさんのお客様を受け入れてくれた多田屋のお部屋達。お客様それぞれにも想い入れのある数々のお部屋。
さよならしなくてはいけない日がくるとしても、ひとつひとつの部屋をみんなで綺麗にして感謝と敬意を払ってからお別れすべきだと思った。このお部屋達がいてくれたからこそ、たくさんのお客様に宿泊して頂く事が出来たのだ。多田屋の客室達よ!みんなで綺麗にしにいくから待っててね!
続く…
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