能登半島地震における旅館の記録㉘
3月1日 小中学校に不二家さんからショートケーキがプレゼントされる。不二家さんは1月の中旬から被災した小中学生にイチゴのショートケーキをプレゼントしてくれている。そして3月1日に娘の中学校・息子の小学校にプレゼントしてくれた。実は3月1日は娘の誕生日。給食の時間にクラスの皆んながショートケーキを集めてホールケーキにしてHappyBirthday!をしてくれたと娘は学校から帰ってくると嬉しそうに言った。今までで最高のお誕生日になったね!と私は言った。震災後本当に色々な企業さんが子供達に向けて手を差し伸べてくれる。これは被災しなかったら知りえなかった事。不二家さん、娘に素敵な時間をありがとうございます!
ちなみに…私も3月1日が誕生日。実は誕生日が娘と一緒。娘が生まれてから私は主役の座から降板した。私は14年前に一生分の誕生日プレゼントをもらったので十分です。娘よ、生まれてきてくれてありがとう!
3月2日 社長 インフルエンザB
3月3日 統括部長 インフルエンザB
3月5日 我が娘&息子 インフルエンザB
皆んな疲れが出たのかな。何故、私は元気なんだ?私は鼻水すら出ない。自分の免疫力の高さにびっくりする。疲れるような事…していないもんな。結局私は風邪すら引かなかった。
3月7日 能登中部保健福祉センターからついに看護師免許更新の連絡がある。予想より2ヶ月も早く更新出来た!受け取る時なんだか緊張してしまった。
3月8日 偉大な漫画家、鳥山明先生がお亡くなりになる。私もアラレちゃんやドラゴンボール世代。皆さんはドランゴンボールを7つ集めて神龍(シェンロン)にお願いするとしたら何をお願いするのだろうか。能登半島地震を無かった事にして欲しいとはもう言わないけど、今後世界や日本で大地震が起きないようにして欲しいとお願いしたい。台湾の皆さんが1人でも多くご無事でありますように。
さて…どこでこの看護師免許を活かすべきか。
多田屋での活動や会議も急に日にちが決まる事もあるので、なるべくご迷惑はお掛けしたくない…。履歴書も念の為に準備しておこう。で…最後は多田屋に入社・若女将として現在に至ると締めればいいのか?
私は結婚したら若女将になるとは思っていなかった。社長は結婚する前に実家が旅館だとは言っていなかった。海沿いで小さな民宿をやっていると言っていたのだ。【看護師さん続けていいよ】とも言っていた。その言葉を鵜呑みにしていた私も最初はびっくりしたが、実は社長より早く多田屋に馴染んでしまった。
履歴書の書き方をネットで調べながら、なんだか笑えてきた。私の人生なかなかだな。全国の旅館の女将さんで履歴書を書いた人いるのかな。若女将として現在に至るけど本当にお役に立てる事が出来るのか?年齢もそこそこいっているぞと思い、想像もしてなかった出来事を振り返りながらなんだか可笑しくなってきて笑ってしまった。
3月11日 和倉温泉の経営者ら能登復興ビジョンを馳知事に提出
9:00 社長が委員長を務めるワーキンググループが石川県馳知事に能登全体の復興に向けたビジョンの説明に県庁訪問。
13:00 多田屋にて幹部スタッフと今後の多田屋についてのミーティング。とりあえず、みんなの顔見たいよね!みんなで集まりたいよね!社長はみんなでお弁当食べたい!と言った。3月25日全体集会に決定。
3月11日、東日本大震災から13年。色々な番組では、あれから13年と今回の能登半島地震を重ねて報道されていた。13年後…私たちはどうなっているかな、と考えたら社長と私…還暦じゃないか!お互い本当に健康第一に考えて頑張っていきたい。
続く…
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