無題29

自分に正直に生きる

「人間らしい人間」

「わかなは、人間らしい人間だと思う」

友人に、そう言われたことがある。

人間らしいってどういうこと?尋ねると、こう返ってきた。

好きなものは好き、嫌なものは嫌。楽しいときは楽しい、悲しいときは悲しい。
感じたことをそのまま表現している、と。

これは、高校生の頃の話。だから、すぐに理解できた。

つまり、自分に正直だと言われたのだ。

自分に正直に生きる理由

私は今、自分に正直に生きていると自覚している。

何故そう生きているのか?答えは簡単だ。一言で説明できる。

「自分の気持ち」が最も確実な軸だからだ。

約20年生きてきたから、世の中には「他人の気持ち」を軸に生きようと頑張っている人がたくさんいるらしいことは認識している。別に、それを否定するつもりはない。
他人を不愉快にしないように、という心遣いができる人なのだから、尊敬の念すら覚える。

ただ、いつまで経っても分からなかったのだ。「他人の気持ち」はどうすれば分かるのか。

ちょっとした自分語り

ここで、少しばかり自分語りをさせてもらおう。この記事全てが自分語りではないか、というツッコミはしないでほしい。

斯く言う私も、「他人の気持ち」を軸に生きようと頑張ってみたことがあったのだ。あったのだが、

ただただ、辛かった。

表情や雰囲気から相手の気持ちを推測する。そこまではいい。しかし、その後どうするのか?

まさか、自分の推測が正しいか尋ねるのか?

でも、そんなことをしている人は見たことがない。自分が考えている相手の気持ちが正しいのか、確認する術が分からないのだ。

これでは、生き方の軸にするなんて到底できない。不確実すぎる。

と、いうよりも。そもそもの話、裏がとれていない時点で、それは「他人の気持ち」ではない。相手はこう思っているはず、という「自分の気持ち」なのだ。

こうして、私は「他人の気持ち」を軸にすることを諦めた。分からないものを軸に生きるなんて到底無理な話だから。

最後に

何を軸にしていても、生きるのは自分の人生だ。

言い換えるなら、人生における全ての選択の責任を負うのは、自分だ。

まだまだ生きる予定だから、「自分の気持ち」を軸に生きたら良い人生になるのか、結果がでるのは先になるだろう。とりあえず、現時点では、大きな不都合は発生していない。

生き方は個人の自由だし、他人が口を出すことでもないだろう。

だが、どうせ人生がどうなっても自分のせいなのだ。思い切って「自分の気持ち」を軸に生きてみるのはどうだろうか?