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私の経験PERT1           小学校時代の特別支援学級で感じた事とインクルーシブ教育とは何かについて


初めましての方も何回か見ていただいている方も、こんにちは。
今回から本格的に、私の経験を綴っていきます。
また長くなると思うので、今回も目次をご用意しています。
長い文章を読むのが辛いな・・・という方は、気になった所から読んでいただいて大丈夫です😊


特別支援学級とは

「特別支援学級」って何?と思われる方もいるかもしれないので、説明からしていこうと思います。
特別支援学級とは(自分なりの説明なので、分かりにくかったら申し訳ありません💦)
地域の小中学校に設置されている、個々の障がいの特性に応じたものを
学んだり個々に応じた支援をしてもらえる学級
です。
学習+自立活動を行い、学級は少人数です。
各教科の目標と内容を、下の学年に変えたりしながらその子どもに合わせた学習をします。
弱視、難聴、知的障害、肢体不自由、病弱・身体虚弱、言語障害、自閉・情緒の7分類で設置されています。
私の通っていた小学校では、特別支援学級に名前がついていました。
S学級と呼ばれていました。
これからは、小学校の特別支援学級は支援学級
みんなと同じクラスの事を、普通学級
と呼んでお話していきます。

インクルーシブ教育について

私の住んでいる大阪府では、インクルーシブ教育が進められてきました。
インクルーシブ教育とは
障がいの有無で区別をせずに同じ場所で一緒に学ぶ教育の事です。

私はほとんどの教科は、みんなと同じクラスで授業を受けていました。
私の通っていた小中学校は、クラスの名簿にも載っていました。
これは聞いたお話ですが支援学級の子達は、クラス名簿に名前が載らない事もあるそうです。
隣の京都に住む中学体育の先生のお話では、先生のお子さんが通われていた幼稚園に障がいのあるお友達がいたそうです。小学校に入ると、そのお友達はみんなと同じクラスにはおらず、先生のお子さんになぜ○○ちゃんは、一緒のクラスじゃないの?と、先生のお子さんに聞かれたそうです。
そのお話を聞いてこのみんなと一緒に学べる環境って、当たり前ではないということに驚きました。
私はほとんどの教科は、みんなと同じクラスで学んでいましたが、他の県や自治体では違うのか・・・とその時思いました。
おそらく中学体育の先生のお子さんのお友達は、ほとんどの教科を支援学級で過ごして、交流級と呼ばれるたまにクラスのみんなと授業を受ける感じだったのでは・・・と思っています。(これは先生のお話を聞いて、私が感じた事なので、違うかもしれません)
このお話を踏まえた上で、次の章からの私の経験を見ていただければ、嬉しいですし、分かりやすいと思います。

小学校時代の経験

小1からずっと学年が上がる度に、母がクラスのみんなに、私の自己紹介のお手紙を、書いてくれていました。
担任の先生が毎年お手紙を、みんなに読んでくださっていました。
何回も同じクラスになった子達には、同じ事を何回も聞いて嫌だったかもしれませんが、静かに聞いてくれていたので感謝しています。

私は支援学級の肢体不自由学級に、属していました。
私は算数が苦手で、算数等は、支援学級で学習していました。
体育等はクラスのみんなと一緒に授業を受けますが支援学級の先生がついてくれて、私に合わせた体育の課題をやったり(跳び箱は跳ばずにまたがって降りる 鉄棒は捕まってぶら下がる等)していました。
算数も私に合わせた課題でした。小6の時には、支援学級の担任の先生が当時流行っていたスマホゲームのなめこ栽培キットの絵を、算数の課題の時に書いたりしてもらって、楽しく算数を学んでいました。

支援学級全体が集まる、合科(ごうか)の時間というのがあって、高学年になると、その時間が嫌いになっていきました。
お芋掘りや、季節の折り紙(こどもの日が近いとかぶとを、新聞紙で折ったり)年に数回ありました。

特に折り紙は苦痛で、先生方に手伝ってもらうのですが自分でやりたい。
でもできないから、手伝ってもらうの繰り返しで、やりたいのにできない事が何よりも悔しかったです。
音楽の授業の時のリコーダーも、色々リハビリの先生方に相談しながらやってみましたが、上手く吹くことができず悔しかったです。

小中高と現在も悔しい気持ちになる事が、たくさんあります。


診察やリハビリ等で早退・遅刻・欠席する事も多かったです。
特に早退の時はみんなに早く帰れていいなーというような、空気が流れていて
いやいや私は今から遠い病院へ行って診察受けたり、辛いしんどいリハビリ(リハビリの先生方には感謝しています)を
受けるんやけどなーと思っていました。
遅刻する時はリハビリの後はものすごく疲れてたのによく授業受けれてたなと今になって思います。
リハビリで行事に出られなかった事もありました💦

日直や掃除当番、学級の中の係と委員会、クラブ活動もみんなと一緒にしていました。
日直では朝の会で、一分間ニュースと呼ばれる朝ニュース番組を見て、気になった事を一分間で、みんなの前で発表するという事をやったり、黒板を消したりみんなと、一緒にできる範囲でしていました。
掃除当番も教室の床を、みんなと一緒にから拭きしたり、ほうきで掃除したりしていました。
(ほうきとちりとりは苦手でした😅)
クラブは何に入っていたか、全然覚えていなくて卒業アルバムを見たら、漫画・イラストクラブに入っていたみたいです。


友達は、数人仲が良い友達がいました。
その中でも小2の時に同じクラスになったNちゃんが、仲が良い友達でした。
NちゃんはS学級には入っていませんでしたが、少し配慮がいる友達でプールの時、Nちゃんは見学しなければなりませんでした。私も気温の低い時期は体力温存の為、見学でその時に仲良くなりました。
Nちゃん家や私の家でDSやwiiをして遊んだり、お泊まり会も数回しました。
中学卒業後すぐくらいまでは、よく遊んでいましたがお互い忙しくなり、
今ではお互いの誕生日をお祝いするくらいの、仲ですがNちゃんには夢があっていつも心の中で応援しています。
(Nちゃんは中学編でも出てきます😊)
SちゃんMちゃんも仲が良い友達でした。
Mちゃんは小1の時隣の席で、仲良くなりました。家が近所な事もあってよくMちゃん家や私の家で遊んでいました。成人式で久しぶりに会いましたが、昔と変わらず優しかったです。
Sちゃんは、小2の時に同じクラスになって仲良くなりました。
Sちゃん家で遊んでいました。
小6の時クラス内でのクラブを作ろうという事になって、Sちゃんとイラストクラブを作って当時はやっていた、スマホゲームのなめこ栽培キットに出てくる、なめこをひたすら書いていた事もありました。
小学校卒業後、中学校は同じでしたがクラスが3年間離れてしまったので、関わる機会がなくなってしまいましたが、小学校での思い出はずっとあります。


小4の時が小学校の中で、一番楽しくて仲の良い友達のSちゃんMちゃんが同じクラスで、休み時間になると校庭で遊び回っていました。
バレーボールがその時流行ってて、違うクラスでしたがNちゃんがどうやったら私にもボールが打てるか、考えてくれてその方法でやると打てて、工夫を一緒に校庭で考えてくれたのが、とても嬉しかった記憶があります。

近所の子達とも仲が良かったです。登校班で一緒の子達や登校班は違いますが、近所の子達とよく遊んでいました。
ハロウィンには、仮装をして近所の家々にお菓子をもらいに行ったりバレンタインには、友チョコを作ってみんなに配り歩いたり、楽しかった良い思い出です😊
自治会の子ども会にも入っていて、子ども会でのイベントにも参加していました。


運動会もみんなと一緒に参加していました。
低学年の頃はダンスを、私ができる範囲でやったり高学年ではよさこい踊り等を低学年の頃と同じく、できる範囲でみんなと踊っていました。
組体操のピラミッドは、私の他にも2人配慮が、必要な子がいました。
私ともう1人は四つ這い、あと1人は私たち2人の上に乗り、大きなピラミッドの横に小さなピラミッドを、くっつけた形になり、遠くから見たらみんなと同じように参加しているように、見える工夫をしてもらいました。

できる範囲と思いつつ、みんなと同じような動きができなくて悔しい思いもたくさんしてきましたが、みんなと一緒に参加できたのは本当にいい思い出です。

小学校時代は、ここには書きませんでしたがいじめ等も数回受けて、悲しいしんどい時もありましたが、楽しかった出来事もたくさんあってみんなと一緒に色んな事を経験できて、良かったと思っています。


次回は6月10日に中学時代の経験を綴る、予定です。
体調不良等で間に合わなかったら、申し訳ありません。

ではまた6月10日に、お会いしましょう。

わかな













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