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環境の変化を受け入れる

朝の散歩の途中で昔洋食屋だった店で大量のお弁当を作るところがある。おそらく過去は街の洋食屋だったのが待てども人が来ないから業態を変えたのだろう。こういうのを見ると変わることの重要性に気付かされる。

一方で歩く散歩コースは決まって今日も歩いてる。たまに変えると発見もあり好奇心を刺激するが習慣化されてしまうと自動オペレーションのように可能性に蓋をしてしまう。

新しい街や環境は、目や耳に受動的に刺激を受けることが出来る。最近だと京都だと外人率が上がってて。けどイオンに行くと子供連れになるとか、考えてみると海外のような区画による人種?というかカテゴライズされてることに気づく。

考えてみると江戸期なんかはカテゴライズは普通で、ちょっと前のごった煮なものは、この50年ほどの特殊性が逆に際立つ。こういう大きな揺らぎや「歴史は繰り返す」的なものは普通にあるんだろう。

僕らはこれらを来るものとして来た時にびっくりせず、出来ることをしていく必要があるのだろうな。

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