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流行と飽きることの相関について

僕もそうなんだけど、天邪鬼な自分が存在する。いわゆる皆んながいいと言われると「本当に?怪しいな」と思いがちというか。でも確かに流行を追いかける派閥と自分の感性はイコールでない以上、流行っているから自分に合うとか言い切れない。

この自分への問いかけと、実際に市場に出ている量というのは関連があって、要は「またこれかよ」という過食症的かつ相対的に満足度が下がるというか、むしろ嫌な気分になる瞬間が存在する。

それは画像生成AIのそれかもしれないし、YOASOBIの楽曲かもしれないし。昔広告の出稿をしてた時に出稿先を選んでたんだけど、同じ媒体に違う広告を出していたとしても当初の半分以下から回復しないタイミングがあって「これは飽きられたな」と感じたことを思い出した。

自分なりに整理すると自分で感情でと言いつつも一方で飽きる飽きない軸もあってご飯で言う「毎日食べてもご馳走」「よく食べるけど毎日はNG」「たまにだからいいもの」「食べたくない」みたいなゾーニングがあるのかもしれない。

あと○○界隈という言葉にあるように、閉じたコミュニティもあるのかも。昨日読んでいた情報でスポーツジムと事業継続の鍵は「コミュ力の高いインストラクターをおかないこと」だったらしい。要は内内過ぎて新規顧客が寄り付かないらしい。いわゆる常連だけの居酒屋に入りにくいのと同じ理屈だ。

もしその場の流動性が高いなら飽きづらい状況を場が生み出すことが出来る。いわゆるこの話は市場と個人のジャーニーの関係に帰着するわけだ。ほんとマーケティングって生き物的で難しいよね。

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