かわむら よしひろ

某IT会社に勤務。毎日朝は一万歩の散歩とストレッチを。週末は、美味い肴、美味い酒、一人…

かわむら よしひろ

某IT会社に勤務。毎日朝は一万歩の散歩とストレッチを。週末は、美味い肴、美味い酒、一人の旅たまに二人旅。いい風景と写真と温泉を楽しむために、仕事する毎日です。

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最近の記事

言葉の魔力と色眼鏡

人は正しいことが大好きだけど、言葉の使い方一つでダークサイドに落ちるのが、こういう記事を読んでいるとわかる。 一方で生理的になんかいやだ。などの第六感的な本能も存在する。そのおかげで後日論拠がひっくり返ることもある。だからじゃないけど「科学と論理こそが正義」というほどな極端な立ち位置になりづらい。 けど少なくとも他人がつけた「言葉のイメージが一人歩きする」のはよく見る。わかりやすいところでは「立場が強い人が悪いレッテルを貼る」場合は多い気がする。実際に違っても悪い意味の効

    • ご機嫌は自分で作るもの

      季節の変わり目で体調がダウナーだけど、別所哲也の「ご機嫌は自分で作るもの」を思い出し「そうだよな」と自分で整理。こう人のこういう言葉で案外人は助けられ勇気づけられている。 自責と他責、自力と他力。いろいろあるけど、まずは自力で自責で出来ることをしないとなと思う。けどどうしようもない時も実際ある。そういう時に「どうしようもない」と言える相手がいることでどれだけ助けあれるかと思う。 多くの人はカッコつけだし、弱みは見せたくないのが普通だ。けど、自分ではどうしようもない時だけ、

      • 要介護5の誤解

        自身も要介護のレベルで「そうだったんだ」と気づいた側なので共有のため発言する。普段介護のレベルなんて触れないからわからないですが正直要介護5の人がTwitterで投稿してというのはなかなかびっくりな話なんですよね。というのも、 「意思疎通が困難」ぼかしていますが正直認知症な状況なんですよね。寝たきりになった時に「もう少し介護レベル上がらないのか?」と聞いて出て来た時に「認知症じゃないからダメですね」というコメントを聞いてマジかと思いつつも周りの人の話を聞くと「そりゃ大変だ」

        • 謙虚さ

          謙虚さって重要だなと思う けど「変なものは変」という豪胆さも必要 思うに謙虚さと豪胆さは「どっちか」 じゃなくて「どっちも」がいいのかも というのはいろいろ聞くに 優しく謙虚だけだと信用されない時もある けど豪胆すぎると置いてきぼりだ 重要なのはどっちの顔も持っていて ベストなタイミングで二つの仮面を 使い分ける胆力なんだろうね けどいうは易し行うは絶壁だよね 周りからすると都合よく解決できる スーパーマンでしかない 客観的に見てこれだけ他責の状況もなあ とは思いつつけ

        言葉の魔力と色眼鏡

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        • カメラ•写真を楽しむ:Nikon D5300
          59本
        • 京都・滋賀が好き
          16本
        • フィルムシミュレーション・ピクチャーコントロール
          19本
        • Photo in Tokyo city
          19本
        • 中部・北陸の旅
          12本

        記事

          成功ってなんだろう

          よく成功の理由的な記事が出るけど、何十年もそう言う記事などを触れて思うのは、後付け的な要因は整理出来るが、決してその方策を取れば成功できるかと言うと「出来ない」なのは定義可能だ。 つまり「○○すれば成功出来る」を鵜呑みにするのは確実に悪手なわけだ。でも一方でそれらの記事の中身で触れられる、やるべき所作は学びも多く成長のきっかけになる。要は言いたいのはそれが成功に直結しないことだ。 それは同時に成功におけるKPIを明記していないからとも言える。成功の定義をKPIしないと個人

          成功ってなんだろう

          友達100人出来るかなと登録者数

          気がつけば登録者が100人を超え とてもありがたい話だ そしてふと思った、この登録者は 友達100人的なカウントに当たるのか まあ少し違うような けど一方で書くと反応がある方もいるし 古参ユーザも反応をもらったり SNS時代的な結びつきなのかもね でも考えるのは 友達の定義って難しい 自身は正直関わりが薄い分 友達と言える人は少ない 増やしたいかと言われると そのパワーがない 時代性から見ると あんまり良くないのだが 思考が形状記憶合金だ いろいろ日々考えちゃ

          友達100人出来るかなと登録者数

          環境の変化を受け入れる

          朝の散歩の途中で昔洋食屋だった店で大量のお弁当を作るところがある。おそらく過去は街の洋食屋だったのが待てども人が来ないから業態を変えたのだろう。こういうのを見ると変わることの重要性に気付かされる。 一方で歩く散歩コースは決まって今日も歩いてる。たまに変えると発見もあり好奇心を刺激するが習慣化されてしまうと自動オペレーションのように可能性に蓋をしてしまう。 新しい街や環境は、目や耳に受動的に刺激を受けることが出来る。最近だと京都だと外人率が上がってて。けどイオンに行くと子供

          環境の変化を受け入れる

          パフォーマンスが落ちる自分を自覚すること

          よく加齢による感情のコントロールが難しい話とか聞くじゃないですか。最近若干自覚症状があって「まずいな」と思うことが多い。まあ世の中「え?」ということだったり、どうしようもないことも多いんだけど。それとは別に自己をコントロール出来てない自分というのは結構カッコ悪いなとも思うわけですよ。 晩節を汚すとか聞くけど、多分僕たちの身体は常に同じ状態をキープすることは難しくて、何かしらのサイクルで上がったり降りたりもするし、加齢など長いタームでも変化が常にある。必要なのって変わった状態

          パフォーマンスが落ちる自分を自覚すること

          D5300と画素数の話

          そうそうと思い自分のカメラを今一度調べる 自分のカメラはd5300。調べると2013年11月の発表らしい。そして自分は一年後の価格が落ち着いた時に購入している。 記事にも取り上げられたが2000万画素は使ってるのだが、横4000px程度のサイズしか撮影したことがない。たまにトリミングもするが最近はほぼ撮って出しだ。 その場合の計算だと僕の場合は1200万画素程度用いていることがわかる。 なおいわゆる4kテレビは横幅が4kから来ているため僕の場合モニタサイズでの表示は何

          D5300と画素数の話

          「困ったひと」と「得するひと」

          どこかの動画でメディアは他人の不幸を取り上げる、不幸じゃない場合は困らせると聞いて「なるほど」と。要は多くの人が他人の不幸を見て溜飲をさげるとか「自分より大変な人が」と思うことが多いということ。 横浜のバスが減便で大変だというのもメディアからすると「困った人を撮れる」ことでニュースにしているともいえる。この件、いろいろ見ていると12年前にバスの運転手の年収が多いという声を受けたことで、離職者が増えたとか誰かが言っていて、因果応報的な感じにも取れるが、引いてみてみると「無駄を

          「困ったひと」と「得するひと」

          人の関係性で活きる人と、自己鍛錬で伸びる人と

          人間関係って個人対個人でベクトルがあると思う。例えばジャイアンとのび太的な立ち位置もあるし、言い方変えると惚れた弱みだったり。常にイーブンで対等だから言い合えるよねという人もいるだろうし、自身に対する指針やセンサー的な位置付けだったり。まあいろいろ。 その上でベクトルと見た時に誰がどっちに矢印で強さがこうでというのは、ある程度関係性が構築されるとそう変わるものじゃない。とはいえそれを心地よく思う人もいるし、変えたいと思う人もいるだろう。けど双方の引力は継続的に持続する。

          人の関係性で活きる人と、自己鍛錬で伸びる人と

          ブランディング難しい

          先日のiPad発表に関して出た動画で「楽器を潰すAppleに失望したぜ」的なものが流れてきててブランディングって難しいなあと今更ながら感じる。 ブランディングとは何かというと僕なりの定義は会社を人(キャラクター)として置き換えた時の所作や振る舞いを模していると考えている。だからこそAppleの動画は、誠実なお前がジャンクフードを食べるのか?的なツッコミを受けていると言える。 ちょうど朝にpivotを見ててクリエイティブエージェンシーが語るブランディングトークを聞いていてい

          ブランディング難しい

          観光地ではない京都を歩くこと

          京都や日本の観光地は、外国人からの「いいね、いいね」により混雑度がすごいことになっている。らしい。これは、例えば京都駅などのターミナルや西の金閣寺や東の清水寺などを見ると、きっとすごいことになっている。だろう。 らしい、とか、だろう、とか。書いてしまうのは、人混みが苦手な自分からすると、わざわざそんなトライアルなんてすることができず、検証されてないからだ。なんというか、京都も時間と場所を選べば、人混みというのは、「なにそれ?」だし、わざわざ人疲れしたくない自分としては、いい

          観光地ではない京都を歩くこと

          昨日に引き続き書く元気少ない

          昨日に引き続き書く元気少ない

          連休最終日は雨 鯉のぼりも終わる

          連休最終日は雨 鯉のぼりも終わる

          流行と飽きることの相関について

          僕もそうなんだけど、天邪鬼な自分が存在する。いわゆる皆んながいいと言われると「本当に?怪しいな」と思いがちというか。でも確かに流行を追いかける派閥と自分の感性はイコールでない以上、流行っているから自分に合うとか言い切れない。 この自分への問いかけと、実際に市場に出ている量というのは関連があって、要は「またこれかよ」という過食症的かつ相対的に満足度が下がるというか、むしろ嫌な気分になる瞬間が存在する。 それは画像生成AIのそれかもしれないし、YOASOBIの楽曲かもしれない

          流行と飽きることの相関について