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憧れのCEOは一途女子を愛でる 第2話

<第1話 https://note.com/wakaba_natsume/n/n0c53453dfcd0

#創作大賞2024 #恋愛小説部門 #小説 #胸キュン #CEO #頑張る女子 #オフィスラブ

<第2話 近い存在に>

 あのあと社長とふたりで碁会所に戻ってみると、祖父と辰巳さんは私たちを見るなりニヤニヤと意味深な笑みを浮かべていて、最初から仕組まれていたのだと嫌でもわかってしまった。
 まるで不意打ちのお見合いみたいなものだ、と家に戻ってから祖父に抗議をしたが、一向に取り合ってはもらえない。
 互いの孫同士を会わせてみたら、すでに社長と社員だったという思いもよらない接点があったことに、これもすべて“縁”だとふたりで大いに盛り上がっていたらしい。
 私はまだいいけれど、社長に迷惑がかかるのは申し訳ないから、祖父たちがこれ以上暴走しないようにと心の中で願い続け、十日が過ぎた。
 
「今度店舗に貼る予定の新しいポスターがあるんですけど、見てみます?」

 仕事中に声をかけてきたのは、私より一年後輩にあたる女性社員の天野あまのさんだ。
 彼女とはデスクが隣なのだけれど、テキパキと的確に動いてくれるのでとても助かっている。

「うん、見よう。どれどれ……」

 我が社は商品の宣伝やアピールのために、真凛まりんという二十歳の女性モデルを起用している。
 顔がかわいいのはもちろんのこと、明るく元気いっぱいな印象がブランドイメージに合うという理由で彼女が選ばれているのだそうだ。

 天野さんが筒状のポスターを広げ、私から少し離れてこちらに向けて見せてくれた。
 ポスターの中の真凛さんはアミュゾンの白のパーカーを身に着けているのだが、右肩の部分が自然とずり落ちていて、インナーが淡いピンクのノースリーブなのもあって抜群にかわいい。
 下は黒のハーフパンツで、足元はスポーツサンダルだ。さすがモデルだと見惚れてしまうほどのスタイルの良さがうらやましい。なんてスリムなのだろう。
 カメラ目線ではないからか、バーベキュー広場にいる彼女がとても活き活きとした様子で写っている。髪型をポニーテールにし、満面の笑みを浮かべているから、撮影ではなく本当にアウトドアを楽しんでいるかのよう。

「カメラマンの人、センスがいい」

 天野さんの言うとおりで、何枚も撮った写真の中からこのショットを選んだのはカメラマンのセンスだと思う。
 弾けるような笑顔のポスターを見ていると、なんだか元気をもらえる気がした。

「真凛さんは相変わらずかわいいですね」
「本当にね。なにを着ても似合ってる」

 彼女はパッチリとした二重の瞳が印象的で、顔が驚くほど小さくて愛らしい。

「最近はテレビでの露出も増えましたし、さらに人気が出そうですね」

 天野さんに言われ、そういえば先週も深夜のバラエティー番組に出ていたのを思い出した。
 番組内でもにこにこと笑い、コメントを求められてもそつなくこなしていたから、彼女ならタレントとしてもやっていけそうだ。

「香椎さん、ちょっといいかな?」

 オフィス内に戻って来た伊地知部長が明るい笑みを浮かべて私を手招きした。
 白のインナーに濃いグレーのパンツスーツ姿の部長はとても凛々しく、三十四歳とは思えないくらい若々しく見える。

「店舗の照明について以前私と話したことがあったよね? あのときの資料、まだ持ってる?」

 一ヶ月ほど前に、伊地知部長と雑談を交わしているときにそんな話をした覚えがある。
 通常業務とは関係ないが、私が日々勉強する中で素敵だと感じた店舗用の照明の資料を見てもらったのだ。

「参考資料としてノートパソコンにデータが入ってます」
「じゃあそれを持って、今すぐ隣の会議室まで来てちょうだい」

 どうしてわざわざ会議室に移動するのだろうと少々不思議だったけれど、じっくり話をするためなのかもしれないとすぐに頭を切り替えた。
 伊地知部長は以前にも興味を示してくれていたが、今になって詳しく聞かれるとは思わなかった。
 
「照明ですよね。えっと……これです」

 会議室の椅子にふたりで横並びで座り、パソコンを開けて画像データを伊地知部長に見せた。

「あのね、その前にあなたに話があるの」

 微笑んではいるものの、複雑な表情をして私の顔色をうかがう伊地知部長を目にした途端、背筋に嫌な予感が走った。
 なぜだか、なにかまずいことが持ち上がっている気がしてならない。

「どうされました?」
「正式発表はまだだけど、実は私、社内異動で商品部を移るの」

 会議室に移動したのはこの話をしたかったからなのかと納得をしてうなずいた。
 会社は組織だから異動はつきものだけれど、部長が交代するとなると部署の雰囲気が一気に変わるだろうと商品部の今後を案じてしまう。

「どちらの部署に行かれるんですか?」
「店舗運営部。私は商品装飾展示技能士一級の資格を持ってるし、元々そっちの仕事が専門なのよ」

 商品装飾展示技能士は国家資格である技能検定の一種だ。たしか一級が一番上だったはず。
 伊地知部長がそんなにすごい資格を持っていたなんて知らなかった。
 五年前に伊地知部長をヘッドハンティングしたのは五十嵐専務だと聞いている。社長や専務と同じ大学の出身で三年先輩なのだとか。
 商品部に配属させたのも専務らしいけれど、初めは商品知識を身に付けさせるためだったのだろう。
 我が社には都内に五つの実店舗があるし、もしかしたらそろそろ自分の力を存分に発揮できる部署に行きたいと伊地知部長自らが専務に願い出たのだろうか。
 企業の世界観やブランドイメージを、あらゆる手段で効果的に表現したいのだと、以前に伊地知部長が熱く語っていたのを思い出した。

「香椎さんも一緒に来てほしい」
「え?!」
「店舗運営部は嫌? あなたにはその才能もあると思うけど」

 彼女は美しい指をあご元に当ててフフフと笑みをこぼした。
 キラキラとした瞳で見つめられたけれど、私はどう答えたらいいのかわからなくて固まった。
 私も入社以来所属していた商品部を離れ、ふたりで店舗運営部へ異動になる……そういう話だ。

「嫌というか、今とは仕事内容が違うので不安です」
「仕事は簡単に言えば店舗アドバイザーかな。他社との差別化もはかりたいし、店舗をより良くするためには大事な役目よ」

 伊地知部長の話を聞いていると入口の扉をノックする音が聞こえ、ふたりでそちらに視線を向けた。
 ガチャリと扉が開き、センスの良いブランドのスリーピーススーツを着た背の高い男性がふたり、颯爽と入室する姿が目に飛び込んでくる。
 その人物の顔をはっきりと認識した私は驚いて目を丸くするものの、即座に立ち上がり、四十五度に腰を折って頭を下げた。

「香椎さん、お疲れ様」

 キラキラと輝くような笑みをたたえ、五十嵐専務が先に私に声をかけた。
 専務は健康的な小麦色の肌をしていて、笑うと爽やかに白い歯が覗く。
 よく知らないけれど、なにかマリンスポーツをやっていらっしゃるのだと噂で聞いた。
 専務と直接会話を交わすのはこれが初めてなので、緊張してピンと張った糸のように体が硬直していく。

「お疲れ様です。おふたりがいらっしゃるなんて……驚きました」

 自分の声が若干震えていると気付いたけれど、どうすることもできない。
 専務の斜め後ろには社長の姿が見え、ふたりは私たちがいる場所からテーブルを挟んだ対面の椅子に腰をかけた。私と伊地知部長も元の椅子に座り直す。

「お疲れ様。この前はどうも」

 視線を下げていた私は社長の言葉にビックリしてパッと顔を上げた。
 あの日のことは秘密にしようと約束したわけではなかったが、社長自身がほかの人たちの前で堂々と口にしたのは意外だった。

「この前って? なにがあったの?」

 専務がニヤリと笑って問いかけたけれど、社長はなにもあわてることなく平然としている。

「碁会所で会った。祖父同士が親しい囲碁仲間だったんだ」
「ああ……見合いばっかり勧めるあのおじいさんか。香椎さんのおじいさんと友達なの?」

 専務の視線が自然とこちらに向いたので、私は愛想笑いをしながら小さくうなずいた。
 隣にいる伊地知さんも「へぇ」と驚きの声を上げている。

「ところで、伊地知さんが香椎さんを口説き落とすって息巻いていたけど。結果はどうなった?」

 専務がテーブルに肘をつきながら、今にも吹き出しそうな顔をしてこちらを眺めている。
 それを目にした伊地知部長は意地悪だと言わんばかりに、専務に冷ややかな視線を送った。

「今、口説いてる最中だったんです。ふたりとも来るのが早い」

 伊地知部長はふたりに対して普段は敬語を使っているが、冗談を言われたときにはそれが消えたりするので、先輩後輩の間柄に時折戻っているようで微笑ましい。

「まずは香椎さんが持ってる照明の資料を、社長と専務にも見てもらいたいんですけど」

 伊地知部長の言葉を聞き、私はあわててパソコン画面にその画像を映し出した。
 そしてそれを対面にいるふたりに向けると、社長が食い入るように覗き込んだ。

「ん?……ダクトレール?」
「はい。白のダクトレールを使えば店内が明るくなるかもと、以前部長と話していました」

 ダクトレールとは別名ライティングレールとも言い、照明を取り付けることができるバー状の配線器具のことだ。
 私が見せたのは白の特殊なダクトレールを二本使ってジグザグに設置された照明の画像だった。
 空間に合わせてあとから細かく変更も可能だそうで、これなら多様な演出ができるのではと伊地知部長と以前に話をしていた。

「これは君が見つけたの?」
「いろいろ勉強していて、偶然に」
「ストイックだな。伊地知さんが気に入るわけだ」

 何気なくフッと笑った社長の顔に、心臓を打ち抜かれそうになった。
 危ない。至近距離で目にしたわけでもないのに仕事中にうっかり惚(ほう)けるところだった。

「私、香椎さんにはセンスを感じていて、やる気もあるしすごくいい人材だと思っています」

 伊地知部長がこそばゆくなるような褒め言葉を言ってくれるのでさすがに恥ずかしくなってきた。だけど私を高く評価してもらえているのはとてもうれしい。

「単調な明るさの店舗は、照明を変えてみたらどうかって私も思ってたのよ」
「スポットライトもダクトレールに取り付けたらメリハリが出ていいですよね」

 社長が私たちの会話を静かに聞き入っている。なにか思案しているようだ。

「照明の件は稟議書さえ出してくれたらあとは好きにしていいよ。その代わり、これからも伊地知さんの右腕としてよろしく頼む」

 伊地知部長の顔が一瞬でパッと明るくなったけれど、私は社長や専務の表情を見ながらおろおろするばかりだ。どうやら私の異動もこれで決定になったらしい。

「でも……私がいきなり照明のことを意見してもいいのでしょうか」
「仕事はチームでおこなうものだから良い意見は出し合おう。伊地知さんもいるし、大丈夫」

 社長から見守るようなやさしい眼差しを向けられた私は「よろしくお願いします」と頭を下げた。
 社長に見つめられると自動的に心臓がドキドキするので、整った顔をなかなか直視できないのが自分でももどかしい。
 仕事に関しては新しい部署に移るという不安もあるけれど、逆にワクワクする気持ちも湧いてきた。
 今まで一緒にやってきた伊地知部長が新しい部署でも部長として指導してくれるのだから、きっと心配はいらないはずだ。

 翌日、正式に来月付けで異動という辞令が出たので、私は伊地知部長に連れられて店舗運営部へあいさつに行った。

「香椎、来月からよろしくな」

 声をかけてきたのは同期の氷室ひむろくんだった。
 これまでは別々の部署だったため、彼とは特に仲がいいわけではなかったけれど、新入社員研修のときに同じ班だったのを思い出した。

「こちらこそよろしく。頼りにしてるね」

 やわらかい笑みをたたえると、氷室くんは照れたような顔でうなずいた。
 氷室くんがいてくれてよかった。異動先の部署に顔見知りがいるのといないのでは、安心感が違う。

「そうだ、伊地知部長と香椎が異動してきたら歓迎会をやらなきゃな」
「ありがとう」
「俺は香椎とふたりで行くのもウェルカムだけど?」

 誰にでも親しげに接するところは変わっていないなと思いながら「なに言ってるの」と受け流すと、氷室くんはアハハと吹き出すように笑った。

 商品部での引き継ぎが終わった半月後、私は予定通り店舗運営部へ異動になったのだけれど、毎日家に帰ってからも頭の中は常に仕事のことでいっぱいだった。寝る直前までパソコンを開いて勉強を続けている。
 友人から食事に誘われても時間がもったいなくて断っているので、このままだと友人がひとりもいなくなりそうだ。付き合いも大事にしないといけないのだが。

 伊地知部長と相談をして、照明の設備を変更するなら思い切って本店がいいだろうという結論に至った。
 器材や工事に関して稟議書を提出したら驚くほどすんなりと通り、業者に工事をしてもらう手はずを取ったところだ。
 今日も帰宅後に、パソコンで本店の店内の写真を見ながらこの辺りに人工芝のマットを敷いてもいいな……などとイメージしてノートにメモを残したりしていた。
 といっても、これは私が勝手に思案しているだけで頼まれていないのだから仕事ではない。

 そんな中、コンコンコンと部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「はい」と短く返事をするとドアが開き、祖父がひょっこりと顔を覗かせる。グラスにお茶を注いで持ってきてくれたようだ。

「なんだ、ずっと仕事をしてるのか。毎日そんなんじゃ頭から煙が出るぞ」

 パソコンを睨みつけている私を見て、祖父がまだやっているのかとばかりにキュッと眉をひそめた。
 最近の私は家と会社の往復しかしていないし、根を詰めすぎて身体を壊さないか祖父は心配しているのだろう。

「仕事じゃないよ。ただ勉強しているだけ。これが私のプライベート」

 両手を広げておどけてみせたものの、祖父はフンッと鼻を鳴らしてあきれ、小さな木製テーブルの上にお茶の入ったグラスを置いた。

「今度朝陽くんに会ったら、うちの孫を働かせすぎだって文句を言ってやろうか」
「おじいちゃん!」
「冗談だ」

 それだけはやめてほしいと、一瞬あわてたけれど、祖父はそんな私をよそにクスクスと笑っていた。
 今のは全然冗談に聞こえない。この先社長と顔を合わせることがあったら本当に言い出しそうで怖い。

「あれから朝陽くんとはどうなんだ?」
「どうって……私は一般社員なんだから、通常は社長と接点なんかないよ」

 ラグの上にあぐらをかいて座った祖父が、意味ありげな視線を投げかけてくる。
 ……先月、会議室で接点があったと言えばあったけれど。
 あのときは伊地知部長とふたりで話しているところに、急に専務と社長が現れて私も驚いた。
 今までそんなことは一度もなかったし、とてもレアケースだったのだと思う。

「冴実が碁会所でたっちゃんと話してるとき、気になる男がいるって言ってたよな? だけど雲の上の存在だって」
「あれは……」
「もしかして、朝陽くんじゃないのか?」

 うっかり口走るんじゃなかった、と後悔しても遅い。
 辰巳さんに聞かれたからポロリと口をついて出たのだけれど、まさか社長が辰巳さんの孫で祖父とも面識があるなんて、あのときはまったく想像もしなかった。

「本当に雲の上の人なんだよ。おじいちゃんが考えているような関係には絶対になれないから、微塵も期待はしないでね」

 手を伸ばそうだなどとおこがましい考えは最初から持ち合わせてはいない。
 遠くから羨望の眼差しを向けるだけで充分だ。それ以上望んでも叶わないと重々承知している。

「朝陽さんは仕事に夢中なの。私のことは興味ないよ」

 以前に商品部がプレゼンをする会議の場で資料を配る作業を手伝ったことがあるけれど、社長はそのとき、どの社員の意見にも真剣に耳を傾けていた。
 時にはあご元に手をやって考え込み、スラスラと資料にペンを走らせる姿がカッコよくて、光輝いていたのを思い出す。
 イケメンで落ち着きのある社長は、世の女性たちからアプローチが相当あるだろう。
 だけど社長は誘いに乗って豪遊するタイプではないと伊地知部長から聞いているし、今は恋愛よりも仕事が楽しいのだと思う。

「それが、そうでもなさそうだぞ?」
「……なにが?」
「向こうはお前を気に入ったみたいだ」

 意味が分からないとばかりに、グラスに口を付けたまま祖父に問うような視線だけを向けた。
 社長がなにか誤解されているのだとしたら、私が今きちんと解いておいたほうがよさそうだ。

「どうしてそう思うの? 私と花野庵に行って抹茶あんみつを食べたから? おじいちゃんがふたりで行けって言ったんでしょ」

 断ると角が立つから社長は了承してくれただけなのに、うがった見方をするなんて失礼な話だ。
 あの日のことは綺麗な思い出として私の心の中にしまっておくと決めたから、もうそれだけでいい。

「いや……俺じゃなくて、たっちゃんが言ってる」
「え?」
「たっちゃんが朝陽くんの結婚相手を必死に捜してるのは知ってるだろ?」

 それについては、この前花野庵で社長の口からも話が出ていたので少しは知っている。
 辰巳さんが社長の結婚に関して相当心配していて、せっせとお見合いを勧めていることも。
 社長は今までそれを上手にかわして、拒み続けているらしいけれど。

「いつになったら結婚する気になるんだって詰め寄ったら、冴実との縁を大事にしたいと朝陽くんは答えたそうだ」
「どういう意味?」
「お前がいい、ってことじゃないのか」

 驚きすぎて目を見開いたまま固まる私をよそに、祖父は腕組みをして静かに笑っていた。

「ちなみに朝陽くんがそんな発言をしたのは初めてらしい」
「し、信じられない。だってあの日は私、普段着でスッピンだったのに……」

 祖父同士が友人という間柄だから、社長は大人の対応をしてあいまいに濁しただけではないかと思う。
 私のことをはっきりと拒絶しなかった社長の態度を見て、珍しく乗り気だと辰巳さんが良いように受け取った可能性は大いにある。

「たっちゃん自身が冴実を気に入ってるからなぁ。今日も碁を打ちながら上機嫌だったぞ」

 何度も目にしてきた辰巳さんの穏やかな笑顔が瞬時に脳裏に浮かんだ。
 ガッカリさせたくはないから、少しの期待もしないでほしいのだけれど。それにしても、社長の発言の意図がわからない。

「おじいちゃんも賛成なの? 私たちが付き合えばいいって思ってる?」「そりゃそうだ。朝陽くんみたいな立派な男はなかなかいない。非の打ち所がまったくないからな」

 我ながらバカな質問をしたものだ。恋愛や結婚の相手としてあの社長をダメだと否定する人はまずいないのに。
 誰でもひとつくらいはダメなところがありそうなものだが、私が知る限り社長には見当たらない。どの部分においてもすべてパーフェクトだ。

「まぁでも、焦るとうまくいかなくなるものだからな。たっちゃんにも言っとくよ」

 話を終えた祖父が部屋から出て行くのと同時に、自然と小さく溜め息が漏れた。

 私との縁を大事にしたいだなんて、社長が本当にそう言ったのかどうかたしかめたい。
 そんな発言をすれば、辰巳さんが手放しでよろこぶ姿は容易に想像できるだろうから、聡明な社長が軽はずみなことをするとは考えにくい。
 祖父たちが勝手に盛り上がって話が先に進んでいく前に、社長に確認してみようかな。と言っても、連絡先を知らないのだけれど。
 

 一ヶ月後、本店を一日臨時休業にして照明設備の工事がおこなわれた。
 実際に店まで足を運んで仕上がりを確認したら予想以上に良くて、店長である吉井(よしい)さんを初め、ほかのスタッフも大満足だった。
 
「すごく良くなりましたね」
「うん、これだけで雰囲気が全然違う」

 伊地知部長とふたりで天井を見上げて微笑み合う。これでディスプレイの演出の幅が相当広がりそうな気がした。

「続きは明日会社で。私、ちょっと今日は用事があるの」

 腕時計で時間を確認しながらそわそわする彼女を見て、私は瞬時にうなずいた。時刻はもう十九時を過ぎている。

「私も写真だけ撮ったらすぐに帰ります」

 吉井店長は倉庫で商品の確認をすると言っていたから、私も仕事が済んだら声をかけて今日は直帰しよう。

「本当にごめんね。お先に」
「いえいえ。お疲れ様でした」
 
 おじぎをして伊地知部長を見送ったあと、天井に設置されたライトの写真をアングルを変えて何枚か撮った。
 マネキンへの照明の当たり方を確認しつつ、その写真も撮っておこうとスマホを構えていると、裏手からガチャンという音がして一瞬心臓が跳ね上がった。
 今のは従業員通用口の扉が閉まる音だ。店長が事務所に戻ったのかもしれないと思ったが、実際にやって来たのは予想外の人物だった。

「あ、いたんだ」
「社長! お疲れ様です」

 スリムな黒系のスーツに身を包んだ社長が事務所の奥から店内に姿を現した。
 今日社長が来るとは聞いていなかったので、私は瞬間的にパニックになりながらも丁寧に頭を下げる。

「お疲れ様。ひとり?」
「はい。伊地知部長はつい先ほど帰られました。……社長もおひとりですか?」
「ああ。車で通りかかったら店内に明かりがついてるのが見えたから気になって」

 照明の工事が今日だと社長はきちんと把握していて、気にかけてくれていたのだ。フラッと立ち寄ったわけではないと思う。
 だけどいつも社長は誰かと一緒にいるイメージだから、ひとりなのは珍しい気がした。

「これか。なるほど、良くなったな。伊地知さんから君ががんばってくれてると報告を受けてる」
「私ひとりの成果ではないですけど……ありがとうございます」

 隣に立って天井を見上げながら感想を伝えてくれたのがうれしくて、胸がジーンと熱くなってくる。
 社長から直接労いの言葉をもらえるなんて夢みたいだ。一生懸命仕事をしてきてよかった。

「でもさ、なんでそんなに仕事に夢中なの? 俺の立場でそんなふうに聞くのはおかしいけど」

 否定しているわけではないと前置きしつつ社長が私に問いかけた。仕事に心血を注いでいる理由はいったいなんなのか、と。

「自分のスキルアップに繋がるので、今はどんな仕事でもがんばりたいんです」
「はは。本当に伊地知さんみたいだな。ポジティブでいいと思う。俺はがんばる人が好きだ」

 社長の綺麗な笑顔を目にした途端、私の心臓が痛いくらいにキュンとした。容姿も仕草も発言も、本当になにもかもカッコいい。 

「そうだ、倫治さんからなにか聞いた?」
「少しだけ。辰巳さんが……私たちのことで盛り上がっていると……」
「真剣に考えるつもりだって電話で伝えたら、えらく声が弾んでたよ」

 社長が決まり悪い笑みを浮かべたのを見て、私も辰巳さんのうれしそうな表情が脳裏に浮かび、思わず苦笑いがこぼれた。
 きっと社長は辰巳さんからの見合い話を断るために、その場を切り抜けようとしてそう言ったのだろう。

「君に断りもなく勝手なことを言ってごめん」
「いえいえ!」

 社長が急に謝ってきたので、私はビックリしながら首を小刻みに横に振った。
 たしかに私との交際に乗り気だと辰巳さんに伝えれば、社長は辟易としていた見合い話から解放される。
 だけどあとになって辰巳さんがガッガリする姿を目にすると思うと心が痛んでくる。

「本当に怒ってない?」
「はい」
「ならよかった」

 目線の高さを合わせるようにして私の表情をうかがう社長の仕草に驚ろいて、まごつきながら視線を下げた。

「いつもおどおどして、君は俺と目を合わせてくれないね」
「えっと……それは、私と社長では住む世界が違うので」
「一緒だよ。今こうして同じ空間にいるだろ」

 ドキドキと胸が高鳴ってくる。
 不意にバチッと至近距離で視線が合い、社長のミステリアスな瞳に吸い込まれそうになった。
 社長はパーフェクトな男性で私とは釣り合わないとわかっているから、自然に会話を交わすだけでも私にはむずかしくて挙動不審になる。
 今も頬が熱い。きっと顔が真っ赤になっていると思う。私はそれを指摘されたくなくて、再びうつむいて後ろも見ずにあとずさった。

「危ない!」

 マネキンスタンドに足を取られてうっかり転びそうになったところを、社長が咄嗟に私の腕を引いて助けてくれた。

「す、すみません」
「足、捻ったりしてない? 大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」

 転ばなくてよかった。マネキンには明日から発売のゴルフウェアを着せて準備してあるし、周りにはゴルフ用品の展示もある。もし私がそれらを倒していたら大惨事になるところだった。
 きちんと顔を見て助けてもらったお礼を言いたいのに、しっかりと社長に背中を抱きかかえられているから恥ずかしくて目を合わせられない。 

「展示が無事でよかったです」

 社長のたくましい腕から解放され、ホッと息をつきながら動いてしまったマネキンを元の位置に戻していると、フフッとあきれたような笑い声が聞こえてきた。

「俺はマネキンより君のほうが心配なんだけど」

 せっかくの気遣いを無視したような感じになり、いたたまれなくなって社長に会釈を返した。
 ダメだ。社長と一緒にいるだけでドキドキして調子が狂う。

「でもこれ、危ないですよね。お客様も足を引っかけそうです」
「ああ……たしかに」
「いっそ、展示台の上に乗せたほうがいいかもしれません。吉井店長に話してみます」

 展示台の上にはゴルフ用品が置かれているのだが、高さのない台だからマネキンを乗せても問題なさそうだ。というより、逆に目立っていいかもしれない。
 いいことを思いついたとばかりにウキウキと話す私を見て、社長は微笑みながら真剣に耳を傾けていた。

「そうだ、君の連絡先を聞いてなかったな」

 社長が胸ポケットからスマホを出すのを見て、私もあわてて自分のスマホでメッセージアプリのIDを表示させた。

「じいさんが暴走してなにか言ってきたら、いつでも俺に連絡してきて」

 再びドキンと心臓が跳ねる。
 近づきすぎてはいけない人だと頭の中で警鐘が鳴る中、憧れてやまない存在の社長と連絡先を交換できて舞い上がる自分がいた。

<第3話 https://note.com/wakaba_natsume/n/nca16b614d264


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