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言葉を定義しない


はろーこんばんわ。

自らの使う言葉、
それが指し示すことがらを
決めずわからずに
そのまま議論すること。

それは正しく愚考と言えるでしょう。

なぜなら、
何を議論しているのか
何を論じたいのか。

それらが何も
わかっていないからです。

しかして、
言葉をきちんと定義するというのは
あまりされていないようにも思えます。

定義する、
というのは辞書を引き
正しい言葉を使うということではなく
自らが何を語るのか、
それが何を指し示すのかを
きちんと決めるということだからです。

それ故に、
人は避けたがります。

他者との衝突、
他者からの嘲りを避けたいから。

他人と違う言葉を使うことは、
仲間ではないことを表します。

関西に言って関東弁を使うことは、
関西人ではないことを表すように。

仲間内で定義せず、
それをふわふわした言葉として扱うことに
異議を唱えれば、
迫害はやむを得ないでしょう。

エモいとか推しだとかなんとか、
そういったふわふわとした
誰もが自分に取ってよく思えるように
受け取れる言葉を使う。

それが多種多様な人と
関わらざるを得ない今の時代の
処世術です。

しかしそれでは何も語り得ず、
自らを定義することすら出来ないでしょう。

水のようにただ流れにそって
流れていくだけ。

それもまた面白いかもしれませんが、
わたしはそうは思えない。

いや、
思えなかったからこそ
反駁するように、
定義し語るように
振る舞っているのかもしれませんね。

それではまた。