見出し画像

厨房の声、マスコミの騒音:町中華で流れた日本のテレビ

帰国すると立ち寄るのが町中華だ。ちょうど先日東洋経済のこの記事を読んだからか、新橋へと車を走らせて閉店ギリギリの半チャンをいただくことにする。

店員の女性は耳が聞こえにくいのか、何度もオーダーを聞き直す。厨房の人が違うよ、ライスじゃなくてお椀だよと伝える。そんな厨房のおじさんももう60を超えている。餃子と半チャーハンで1000円ちょっと。この国の安飯を支えている人たちはこういう人たちなのだ。

相変わらず気になるのがこの国の低俗なマスコミが流すテレビだ。いつからか人の人生を批評することをテレビで許されてしまったコメンテーターたちが人の私生活での不始末について、断頭台前にて高らかに演説をするのである。この男はどうだった、この女はどうだったみたいな。この味が濃くて旨い半チャンとともにこのテレビの世界の茶番ももう終わるのだろうと思って聞いている。

プライベートがダメなのは、これからの時代生きていくのに苦しい時代になるのは、今の時代を生きていく人ならわかるはずだ。日本は法治国家だ、善悪は最終的には裁判所が決める。倫理的にいい、だめの判断を、メディアを使って金儲けのために好き勝手いうっていうのは、捕まった暴露系Youtuberとさほど変わらないと思うのだが、なぜ週刊誌やワイドショーは捕まらないのだろうなぁっと思って伸びやすい細麺をすするのだった。半チャンはなくなってほしくはないが、早めにゴシップで部数を稼いでいる週刊誌と、視聴率を取りに行くワイドショーは消えて無くなればいいのになと思うのだった。

帰国すると毎回この雑音が強烈に強調音として耳に届いてくる。安すぎて担い手がいなくてなくなりつつある半チャンと、このテレビの中での茶番が流れるのがこの町中華であるというのも何か取り残された時代のようなものを感じてしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?