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これまでの親子交流(面会交流)を振り返って

どうも最近のnoteでは、ラーメンばかりのわがこさんです💦
今回は、私の主題である、別居・離婚後の親子関係について、タイトルの通り「これまでの親子交流(旧 面会交流)」を振り返って、思うことをnoteしていきたいと思います。


1.私の状況説明

この親子交流について欠かせないのが、別居理由や状況などの背景です。
理由は子どもに会えるか会えないか、頻度などは同居親次第だからです。
はっきり言って、共同親権に反対する人達が言う「裁判所に申立てを行えば会えます」や「面会交流は原則実施です」は建前だけです。
私は現在、子どもに会えてますし、宿泊交流もわずかですが出来ていますが、当初は全く子どもに会えませんでしたから。

家庭裁判所は本当に滅茶苦茶ですよ。びっくりするくらい適当です。

という事で、わたしの別居(背景)原因は、妻の不貞(ダブル不倫)です。
発覚当時は、妻や義父母も謝罪。妻を信じて子どもを預ける事にしました。そして、直ぐに子どももうちに泊まる事も出来ました。
しかし、1ヶ月も経たないうちに妻が開き直られ、子どもに会えなくなりました。おそらく弁護士に相談して、子どもさえ手元にいれば、やりたい放題できる現状の司法の状況を知ったのでしょうね。

では、今なぜ子どもに会えているかというと、先ずは相手の有責を突いた事。親族への相談。行政などへの相談と介入などがあったからです。
そうやって、相手から「会わせます」を引き出した訳です。
これを前提に以下を読んで頂ければと思います<(_ _)>

はっきり言って、不貞の証拠がなければ、子どもには会えなかったと思います。

2.子どもの「会いたくない」は曖昧!

よく共同親権に反対する人が言う「子どもの会いたくないを尊重すべき」ですが、これって状況、聞く人によるんですよね。
私も言われましたよ「子どもが会いたいとは言っていません」・・・。
そりゃそうです。だって子どもが物心付く前にパパと別居・会えていないんだから・・・。ちゃんと状況をみて子どもの意見を聞くべきなんですよね。

同居中は普通に親子が過ごしていたのに、別居後に別居親と会わないのが当たり前になってしまっているのであれば、
「会わないのが当たり前」➡
「会う必要性が感じない」➡
「会っても何していいか分からない」➡
「会わなくてもいい」➡
他にやりたい事あるから「会いたくない」
となるんですよね。(これを悪用する弁護士や親もいますね)

子どもと高頻度で会っているけど、子どもの言う「会いたくない」とは全く別の話なんです。

その当たり前、本当に正しいのですか・・・と思う場面、ありますよね。

また、聞く人によっても変わります。同居親がしかめっ面で「別居親と会いたい?」と聞けば、子どもの察して「会いたくない」と言います。不機嫌になって欲しくないし、その不機嫌が自分に返ってくる事を分かってますからね。
聞き方も「会いたくないよね?」というのも、「はい」という答えを強要しているようなものですよね。

私も交流当初、子どもはパパと会う意味を理解していない状況に見えました。3ヶ月に1回、1ヶ月に1回では子どもにとっては当たり前ではなく「非日常の特別な事」なんです。だから会わなくても平気なんですよね(涙)
しかし、交流を地道に重ねて、宿泊交流や交流頻度も上がるうちに、会うことが徐々に当たり前になっていく・・・
幸い、うちの子は今は「もっとパパといたい」と言ってくれています。調査官による聞き取りでもそう言ってくれてるみたいです。

改めて繰り返しますが、子どもの意見は状況によって変わるので、状況に合わせた聞き取り、聞き方を踏まえて行き、的確に捉えて行くべきかと思います。

状況、聞き方、年齢などによって子どもの答えって、ホントに変わりますね。

3.子どもは聞いてもらいたい事がいっぱいある!

交流初期は子どものやりたい事が中心で、その話が多くなっていました。
しかし交流が続き、親子の信頼関係が構築されていくうちに、子どもって聞いてもらいたい事があるんですよね。主に
・幼稚園でこんな事出来たよなどの自慢
・普段の生活で見つけた新たな発見
・普段の生活の不満

自慢はとても分かりやすいのですが、褒めて欲しいんですよね。より多くの人に。これは大人も同じですよね。褒めて貰えば誰でも嬉しいですからね。
新たな発見は情報の共有共感と言ったものでしょうね。これも大人も同じ。趣味など共感を求めて理解を得た時は嬉しいものです。
子どもなら、大人以上にこういうことは大切なのでしょう。うちの子も、祖父母にも同じ事を話したりしていましたからね。

最後の生活の不満ですが、これはおそらくストレスの解消と普段の生活が正しいかの確認といった感じでしょうか。
主に同居親の愚痴や「○○してくれないんだよ」という自分の希望が叶わない話が多いです。共感できるものに共感すると子どもは「理解してくれる人がいる」と安心しますし、共感できないもの(子どもの我儘)にはキチンと説明すると、自分の間違いなどに気が付いてくれるようでした。

実は親子交流で大切なもの、親ならではの交流って、こういう所が重要であり、子どもの成長に大きな影響を与えるのかもしれませんね。

聞く事って大切ですね

4.子どもは意外と覚えている!

ふとした時に交流初期に一度だけ子どもと行ったお店があるのですが、2年振りにその前を通った時に子どもが「パパと行った所だ」と覚えてくれていました。他にも交流中に「これ前にもやったよね。覚えてるよ」とか、「去年の誕生日は○○のケーキだったね」と、意外と子どもって覚えてくれているんですよね。
もちろん、一緒にやってつまらなかった事も覚えています。(うちの場合は釣り堀でした。一匹も釣れずにつまらなかったらしいです・・・ごめん)

また、以前宿泊交流の時に、他の当事者の方も親子交流でしたので、子ども同士一緒に遊んでもらった事もあるのですが、うちの子もその当事者の方のお子さんも覚えてくれていました。
嬉しいことです。

もちろん普段の生活の事も覚えているでしょう。それでも月1、2回の親子交流の事を覚えているというのは、それだけ別居親と過ごす事が印象的だし、大切な思い出なのでしょうね。
言い換えると、それだけ特別なイベントになってしまっている・・・。そんな気がします。

写真などの記録も大切、記憶も大切

5.子どもにとっての同居親の役割、別居親の役割がある?

子どもと過ごしていて思うのが、子どもは同居親に求めるもの、別居親に求めるものがあるのかな思います。
同居親には当然、普段の生活の支えを求めるでしょう。では、別居親には?というと、同居親では苦手でやらないものや、普段の生活では出来ない事発見を求めているように見えます。

動物園や遊園地に行きたい。○○でご飯食べたい。もちろんそういった特別外で過ごすという事も含まれます。一番分かりやすい、子どもが求めるものだと思います。
しかし、子どもには別居親と過ごすだけで、普段と違う体験や発見が出来るんですよね。別居している時点で、生活習慣や仕草、遊び方や話し方もいつもの人とは違うんですからね。

X(旧Twitter)でもポストしましたが、私は交流時にお弁当を持参してます。いつもサンドイッチなどのパンなので、ご飯系にした事があります。
すると子どもは「パンがいい」と言うので「いつもパンで飽きない?」と聞くと「パパとはたまにしか会えないから、いつもじゃないよ」と言われてしまいました。さらに普段はご飯中心との事で、お弁当はパン系を期待していました。

他にも、子どもの普段やっている事に会わせようとすると「いつもやってるから大丈夫」と言われた事もあります💦

普段あたりまえにしている事が、知らずに子どもが求めていたものなんだ、というものも多いのかも知れません。

もしかしたら、別居親の方が交流に対して気負いすぎているのかも知れませんね~

最後に・・・

如何でしたでしょうか。もちろん、これまでの事はあくまで私の交流や経験からのケースです。
共感から反感、当てはまるものや当てはまらないものもあるでしょう。
最初にあるように、本当にこの親子交流は状況によって、各家庭によって変わるものです。
私としては、こういく親子交流のケースがあると皆さんに知って頂ければと思います。
別居や離婚に伴い、理不尽に親子が引き離されない様、切に望みます。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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