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あの日

 もう30年以上も前のことだ。あの日のことを思い出すと、今でも心がざわつく。
 招待されていた友人Mの結婚式をすっぽかした。
 理由?正直に告白する。単純に、忘れていたから、だ。

 あり得ないだろ?自分でもそう思う。コロナ禍で習慣になった家飲み中、ふとまた思い出して、妻にこの失敗のことを告白した。当然のごとく、あり得ない、と言われた。
 思えば他にも散々やらかしてきた。就職先の内定を得ていながら最初の大学を留年したのだって、最後に残した必修の単位を、試験を受け忘れて落としたからだ。教授に再試験を受けさせてくれと泣きついたが、あっさり断られた。    
 何でもやたら病名付けてレッテル貼りする風潮が大嫌いだから、そんな検査など受けようとも思わないが、もし受診すればADHDなどと診断されるのかもしれない。結婚式すっぽかす、というのは相当重症の部類のエピソードだろう。

 翌日、一緒に招待されていた同郷の友人Tから「昨日はどうしたの?」と電話があって、それで気がつき愕然とした。やらかした事の重大さにしばらく言葉を失ってから「いや、あの、朝から高熱が出て…」と返した。Tは「そうか…」と答えて、それ以上追及してこなかった。呆れたのか、優しさからなのか、判然としないが、多分後者だろう。Tはそういう奴だ。
 Mは怒り狂っているだろうな、と思った。その後、俺はMに謝罪どころか、何の連絡さえもしなかった。ああ、もうどうしようもない、という思いがグルグルと渦巻き、それ以上どうしてよいか本当にわからなくなってしまったのだ。失敗の上にさらに致命的な失敗を重ねた訳だ。当然のごとくMからも連絡は来なかった。こうして、俺は友人を1人、失った。

 そもそもMの結婚式に招待されたのは、Mが俺のことを特別な親友だと思ってくれていたからではないと思う。元々MはTと親しかった。俺とTも中学からの友人だ。その関係で、3人で大学時代に何度か飲んだり遊んだりした。そういう仲だ。だが律儀なMはTを招待して俺を呼ばないのは何だか俺に悪いと思ったのだろう。
 ちなみにその頃の俺は大学を留年し、鷺宮のアパートで半分引きこもりのような生活をしていた。 MもTも現役で大学に入り、ストレートで卒業して、一足先に社会人になっていた。

 友情半分義理半分の招待だと分かっていたし、とか、その時の俺の生活が自堕落で荒んでいたから、とか、そんなことは結婚式すっぽかしの言い訳にはこれっぽっちもならない。これっぽっちも。もちろんよく分かっている。

 それからもTとの付き合いは全く変わらなかった。Tとはその後何度も飲んだりしたが、俺の結婚式すっぽかし事件については、Tは一切触れなかった。 
 俺は翌年、大学を卒業して就職した。2年後には仕事を辞めた。大学に入り直し、結婚し、二度目の就職をし、離婚し、再婚した。失敗とやり直しを繰り返す人生を送ってきた。だが、Mの結婚式すっぽかし事件は、いまだに俺のやらかしランキング不動の第1位の座を占めている。

 TはMの結婚式から12年後、体調を崩して仕事を辞めて、九州の実家に帰った。

 一昨年の夏、Tは独身のまま癌でこの世を去った。その半年前、本人から、3ヶ月の余命宣告を医者から受けたとのメールが来た。慌てて仕事をキャンセルし飛行機のチケットを買って、俺はTに会いに行った。ある店の蕎麦がどうしても食いたい、とTが言うので、Tの両親と俺との4人で、その蕎麦屋に行った。美味そうに蕎麦を食っているTは余命3ヶ月の人間には見えなかった。痛みとか、大丈夫か?と俺が訊くと、大丈夫、と答えた。
 Mには連絡しているのか、ふと、訊こうかと思ったが、やめた。
 Tが亡くなった時は仕事で葬式に行けなかったが、1週間後、Tの実家に行き、線香をあげた。その時、Tのご両親にそれとなくMのことを尋ねてみたが、全く知らないとのことだった。
 Tの遺影は穏やかに微笑んでいた。もしかしたら俺のせいでお前までMと疎遠になったんじゃないのか?と心の中で訊いた。
 気にすんな、どうでもいいじゃん、というTの声が聞こえた気がした。

 この失敗から何かしら得ることがあるのだろうか。取り返しがつかないことはどうにもならないし、次から同じようなことをやらかさないように気をつける、とか、人生にはそういうことも起こる、とか、そんなありきたりのものではない、何かもっと教訓というに値する何かを。俺はわからないままに生きてきたが、今のところ幸い、あれ以上、という失敗はしていない。

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