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今なお無い組み合わせを掛け合わせる価値を、国を越えて実感する。JAPAN-INDIA TRANSFORMATIVE TECHNOLOGY NETWORK2024 #Day4
泣いても笑ってもこれが最終日。ウンタースベルク山はあらゆる天候を受けながらも変わらずにある。目まぐるしい空に見守られている感覚がいい風を運んでくれている。 今日のハイライトは、9つのチームからのプレゼンテーション。Day3で仲間になったチームと共に、一気に内容を詰めていく。 課題は何で、何を私たちは解決策として提案するか。そしてそのためには何が必要か3点を骨子にしてプレゼン作りは進んでいく。 言わずもがな国を越えて同じテーマを取り扱うので、当然文化のコンテクストは違うし、
手元でできる、自分と仲間の課題の持ち寄り方はなんだろう。JAPAN-INDIA TRANSFORMATIVE TECHNOLOGY NETWORK2024 #Day3
人の適応力はすごいもので、300年前の建物で会話し続けることに慣れてくる。毎日眺めてきたウンタースベルク山もそろそろおしまいになることに多少胸をいためつつ、次に進むDay3。 Day3はいよいよ、自分の中で上がってきた解決したいこと、誰かのアイディアが欲しいと思っていることを発表し合う。いわゆるこの指とまれ形式でチーム作りが始まっていく。 昨日自分の中に湧き上がってきた感覚を元に、Livable cities and Communities、まちづくりの中の位置付けとして
本となって語ること、それぞれのcommonを言葉にすること。JAPAN-INDIA TRANSFORMATIVE TECHNOLOGY NETWORK2024 #Day2
日本との時差はちょっとしたお得感もあるけど永遠に仕事しちゃうなと思うDay2。 今日は参加者の中で6人が選ばれ、”本”となって語るいわゆるショートプレゼンテーション、関心領域の近い人で集まるランチ、ケーススタディセッション、さらに領域を狭めたテーマ別セッションがハイライトで、内容は最も盛りだくさん。仲もだいぶ深まってきた。今日もウンタースベルク山は最高。 私の”本”を聴きに、全3回のセッションで20名強が参加してくれ、それぞれにたくさんのコメントや日本のコンテクストを問う質
文化の紡ぎをどう捉えるか。JAPAN-INDIA TRANSFORMATIVE TECHNOLOGY NETWORK2024 #Day1
開催財団の本拠地であるオーストリア・ザルツブルグ、ホテルシュロスレオポルツクロン。”宮殿”とも呼ばれる屋内外を舞台にして、2024年は5月20日から24日までの4日間に開催。1日目は午後14時から開始。 日本とインド、双方から集まる40名が何のコモンを持って参加すると良いだろう?Trust-building、そしてTour of Schloss Leopoldskron(会場のツアー)がメインとなったDay1。 ホストであり財団のディレクターであるチャールズが起点となって、
日本とインドの少し先の未来をつくる。JAPAN-INDIA TRANSFORMATIVE TECHNOLOGY NETWORK2024 #Day0
オーストリア・ザルツブルクで行われているグローバルセミナー(知的対話促進のセミナー)の一つに、JAPAN-INDIA TRANSFORMATIVE TECHNOLOGY NETWORK(JITTN)、日印変革的テクノロジーネットワーク、という取り組みが2022年から始まったと聞いた。 なんでもザルツブルク・グローバルセミナーは、1947年に第二次世界大戦後、ヨーロッパの若者に対して始められた知的対話促進のセミナーで、エネルギー、経済など、タイムリーな課題に対し、アジア、ヨーロ
誰かに自分の時間を委ねる、という小さな勇気の重ね方は、ひとを優しくさせるのかも。なんていびきかきながら思っていた。2023.2.3
子育てを始めて10年、3人の子育てをする時間はあっという間に過ぎ、それまでに何度となく海外に出たことはあっても、子ども連れだったり、仕事の予定がたっぷり入るなど、何かしら急ぎ足すぎていた。 昨年ふと10年目を迎えたあたりから、自分のバランスが少しずれてきたように感じ、これはあんまりヘルシーでないなと思い始めた。母である私と私だけである私のぶつかり合いが始まってしまったのだ、とやや落ち込みながら暮らす日々だった。 年明けからしばらく、娘とともにアジアの港町に滞在した。 現地
その人の生命の際(きわ)には、そのすべての瞬間において創造的なものが立ち上がるのだと思う。終えることで何かが始まっていく。生きるを終えるという行為が、ただ悲しい、という側面だけではないと願ってきた。2022.12.4
ケアの文化拠点として、軽井沢町のほっちのロッヂを運営している私自身が、生きるを終える場面に居合わせる機会は実はそう多くない。 そんな私にとって、2020年の1月に出会った、ある方の最期の3週間が忘れられない。 作家の藤田宜永さん。たった3週間。でも私が、”失ったのに得ることができた”現在地に対して、確かな自信を下さった唯一無二の方だった。 初めてご自宅に伺ったことはよく覚えている。 藤田さんはソファに座りカラーグラスをかけ、「あ、どうもどうも。で、あなたどんな人たちなの?
6.「私たちは本来、心を踊らせて生きていきたいものでしょう?生きて老いるプロセスに寄せる心と行動を、1人1人が続けていく集合体で在ろう。」 アラン・ケレハー/竹之内裕文 堀田聰子『コンパッション都市 公衆衛生と終末期ケアの融合 (慶應義塾大学出版会 2022)』
「老人ホームに老人しかいないって、変だと思う。」と話す私を、初めて真っ当に話を理解しようとし、満面の笑みを浮かべた人が、べにさんだった。 5年前の今日(2017.11.25)一緒に現場である『診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ』をつくっているべにさんこと紅谷浩之さんが、当時私が運営していた場を訪ねてくれていた。 この5年間で、ものすごい人の数と出会っていると思う。私たちの活動に関心を寄せてくれる人も増えてきた。今やちょっぴりユニークな医療を学ぶ学生たちが私たち
表現者が新しい表現を見つける舞台になれたことが嬉しい。 そしてそんなことがケアの現場で出来るんだという記録。交換留藝の今。
お寺という場に行くことと、グリーフケアという誰か大切な人を失った人に向けられた何かしらが苦手だった。私が得てしまった体験を普段は横においているつもりが、実はそれはあまりにも生々しいもので、不用意に呼び起こされ、自覚するからだ。 生きると生きるを終える狭間の場所交換留藝という構想の発端は、ケアされる人とケアする人の役割を逆転させてしまうきっかけが欲しい、にあった。 とはいえ、突然に純粋的な芸術、いわゆるオペラや歌舞伎などがきっかけに欲しいわけではなく、いわゆる生活文化、鶴見
5.「9歳の女の子の言動を通して、目に見えない権力の動きに注意を払い、時に痛快に笑い飛ばす」さわひろあや『アスリッドとピッピがおしえてくれたこと (zine 2020)』
さわひろさんのnoteを通して、20代最後に訪れた、一度は永住を考えた国の両面に想いを馳せている。 公共図書館で司書として働いた経験があるさわひろさんが、ある女性についてnoteを掲載されていた。アスリッド・リンドグレーン。 ふと思い立ち読み返した梨木香歩さんの2冊のエッセイ『エストニア紀行(新潮社 2012)』、『やがて満ちてくる光の(新潮社 2019)』に、伏線かのように登場したアスリッド・リンドグレーンにまつわる話に、勝手にシンクロしていた数ヶ月だった。 ついにアス
3.「いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい。」岡 檀『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある(講談社 2013)』
2020年8月から1ヶ月間、オレゴン州、ポートランド州立大学の教授主催のプログラムを受けている。ポートランド市の”全米で最も住みやすいまち”、といわれている由縁をプログラムで解き明かしていっているその途中だ。 一方でこの本は、”日本で最も自殺率が低い”、徳島県海部町の理由を解き明かしていく。論文が本になったもので、それでいてとても読みやすい。 ポートランド州立大学のプログラムと、そしてこの本『生き心地の良い町』を同時並行で読み進めていくことは、正解を求めるよりも、自分なりの