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【異世界しっこく日記】勇者に憧れた私を勇者にしてくれたドラクエ3

 異世界から最初に流れてきた漂流物は『ドラゴンクエスト3』というゲームだった。
 やや大きめの四角いそれが、一体何なのか。異世界のことを何も知らない私には全く想像がつかず、その四角いドラゴンクエスト3を撫でるだけの生活が続いた。
 異世界の言葉を勉強しているうちにパソコンという機械の使い方を覚えた私は、検索するという知識を身に着けた。そして、この四角いものは「ゲームカセット」であると理解し、プレイするためには専用の機械が必要であることも理解した。

 それから機械が流れてくるまでの時間は長かった。

 暗闇で漂いながら何年もカセットを撫で続け、表面の絵がこすれて薄くなったころ、「GAMEBOY COLOR」と書かれた機械が流れ着いた。
 幸運なことに、これは私が持つカセットをプレイするための機械であったため、私はようやくドラゴンクエスト3をプレイすることを天に許されたのだった。





古傷が痛むオープニング

 遠い昔、私は勇者にあこがれた。
 愛する人を、国を、世界を救う運命の戦士。
 そんな者に私もなりたかった。
 
 しかし、私は勇者にはなれなかった。それどころか、私は国の護衛軍にすら入れずに、誰にも必要とされない日々を歩いた。
 自らを騎士と名乗る「ナニカ」でしかなかった私の鎧は、いつしか漆黒に染まり、とうとう、人々から忌み嫌われる漆黒の騎士となっていた。
 
 ドラゴンクエスト3の主人公は、私が心からあこがれた運命の戦士そのものだ。国を救うべくして立ち上がり、敵と相打ちで帰らぬ人となった父の遺志を継ぎ、王から一国を任された勇者。
 この、手のひらくらいの小さい画面の中で生きている少年でさえ勇者になれたのに、なぜ私は……。
 
 オープニングを見てから、しばらくの間はプレイできなかった。
 再び電源を付けたのは、それから恐らく2週間ほど後のことである。


異世界人の私に響いた魅力

1、性格はステータス

 ゲームを始めてまず最初にやることは、天からの質問に答えること。いくつかの質問に答えた後、最後の質問として実際にキャラクターを動かして行動する診断が始まる。
 私は、この最後の質問は井戸の中から始まった。
 見た目からしてどうやら私は人間ではないらしい。ロープを登って井戸の外に出ると、3人の男が私を待ち構えていた。
 彼らの発言を聞く限り、やはり私は化け物のようだ。
 ボタンを押すと私は火を吹き、火に当たった人は叫び声をあげながら死んでいった。
 子供のために犠牲になろうとする母親、身を挺して家族を守る父、何とか隠れて見つからないようにする者もいた。いずれも私をひどく恐れ、死ぬことへの恐怖を口にする。出て行けと罵る者もいた。
 彼らとの会話で、敵意の無い私を恐れ罵る人々の声を思い出してしまった私は、怖くなってすぐに町から出た。
 そこで診断は終わり、天からの声が私に告げたのは、私の性格についてだった。
 
 ここで告げられた性格は、後にゲーム内での自分の攻撃力や素早さなど、ステータスとリンクしている。
 このシステムには非常に感心した。
 性格とステータスが一致することで、如何にも私自身が勇者となって世界を救いに行くように感じられるのである。
 
 これはルイーダの酒場で登録する仲間も同じで、自分(もしくは店主のお任せ)で種を割り振り、それによって性格とステータスが決められる。これにより、もちろん自分だけの夢のパーティーを作ることもできるし、温度のある仲間と冒険をすることができるのだ。
 あらかじめ酒場に登録されている仲間を選ぶのも、一期一会を楽しめてよい。
 
 仲間や友など遠い昔に失い、夢も希望もなかった私にとって、このシステムは非常に魅力的だった。


2、世界に没頭させるBGM

 このゲームの最大の魅力といっても過言ではないのがBGMだろう。そちらの世界でどのように評価されているかは知らないが、私はこのゲームで流れる全てのBGMに魅力を感じた。
 
 町、城、フィールド、戦闘など、場所や状況によって流れるBGMは変わる。曲の雰囲気や音色で、私の心は縦にも横にも揺さぶられてしまう。
 調べたところによると、どうやらファミコン(FC)と呼ばれるハードのバージョンと、私がプレイしたゲームボーイカラー(GBC)のバージョンではBGMの数に若干違いがあるようだ。

 話はそれてしまうが、GBC版はスーパーファミコン(SFC)版とほぼ同じらしく、先ほど書いた「性格とステータス」についてもSFC版から追加されたらしい。

 さて、話を戻そう。
 私が手に入れたGBCおよびゲームボーイという機械は、そちらの世界では古い、昔のゲーム機になるらしい。今ある最新のゲーム機とは、出力できる音の数がまったく違うらしく、限られた容量の中でどれだけの音楽を用意できるか────という世界のようだ。

 そんな中で異世界人の私の心すら動かす魅力的な音楽が沢山あるのは、誰もが賞賛すべき点だ。
 しっかりストーリーや状況、場所に合わせた音楽を用意し、ワクワクさせたり、悲しくさせたりしてくる。
 私が本作で一番好きなBGMは『まどろみの中で』というタイトルのもので、最初の性格診断や、クリア後の天界のフィールドで聴ける。
 昔からすぐに感動してしまう癖のある私は、このBGMを初めて聴いたとき、思わず鼻の奥がツンとして、目のあたりに一気に熱が集まってしまった。
 
 BGMのおかげで私はゲームの世界に没頭することができた。普段いる空間が音もなく真っ暗な場所だから尚更だが、ゲームの世界と現実の私との一体感は、BGM無くして得られはしないだろう。

 これを読んでいるあなたはぜひ、一度何の音もしない空間で音量を消したゲームをプレイしてみてほしい。
 
 きっと、BGMの大切さに気が付くことだろう。


すごろく、闘技場に要注意

 本作をプレイしたことがある人ならば経験があることかと思うが、私はすごろく場に入ってから、ずいぶん長い時間抜け出すことができなかった。
 あの中毒性はいったいどこから来ているのか……一度すごろくを始めると手持ちの「すごろくけん」が無くなるまで遊びつくしてしまうのである。
 
 これは先ほど書いたBGMの話とリンクするのだが、すごろく場ですごろくを始めたときの音楽は非常に中毒性が高い。軽快なリズムとゲームのテンポの良さは瞬く間に私を虜にし、その沼から抜け出せなくしてしまった。
 すごろくをすることで得られるアイテムはもちろんあるが、これから遊ぼうと考えている人は、すごろく場での足止めには要注意だ。
 
 さらに注意が必要なのはモンスターの闘技場である。
 これはいわゆる賭場だ。
 選択肢にあるモンスターの中から自分で好きなものを選び、掛け金を支払う。選んだモンスターが勝てば掛け金×倍率のゴールドを受け取ることができるのだが、これは大きな落とし穴である。
 
 私の世界でも闘技場はある。モンスターではなく人間が戦う闘技場だが、そこではもちろん賭けができた。
 だが、本作のときほどはハマらなかった。賭けはあくまで楽しむもので、勝っても負けても「こんなもんか」という気持ちでいられたから。

 しかし、ゲームでの賭けはわけが違う。
 プレイしてみれば分かることだが、ゲーム上で “賭けをしてお金を得る” という行為は、 “モンスターを倒してお金を稼ぐ” ことよりもずっと楽に感じてしまう。
 良く考えれば、当たるか外れるか分からない賭けでお金を稼ぐより、モンスターを倒して稼いだ方がよっぽど楽ではあるのだが

「ここで一発当てれば」

と考えさせるのが賭場というものである。

 一度予想が当たって大金を手に入れてしまうと、人は誰しも「もう一度」と思ってしまうもの。
 若き日には「闘技場でちょっと賭けして遊んでくるか」と言っていた私が、ゲームで「金稼ぎに闘技場に行こう」と言い出すようになってしまったのだ!

 稼いだお金を増やすために闘技場に行っていたはずが、闘技場でお金を賭けるためにモンスターを倒しに行く始末。
 本末転倒とはまさにこの事。これもこのゲームの醍醐味と言えばそうなのだが、これからプレイする人はこんなふうにならないよう、気をつけて欲しいものだ。


馬には乗れないが、ラーミアには乗る

 護衛隊長を勝手に名乗っていたころ、私は馬にまともに乗れなかった。
 どんな馬でも皆私を嫌うものだから、乗っては振り落とされ蹴とばされてばかり。長距離移動は私だけ走っていた。
 まあ、それもそのはず。何せ私は勝手に国の騎士をやっていただけで、本当はどこにも属していない一匹狼。手懐けてもいない馬が、甲冑の重たい騎士など乗せてくれるわけがないのである。
 
 ……そんな私でも、ラーミアは背中に乗せてくれた。
 復活させるために困難な道を歩みはするが、それは馬を手懐けさせるのと変わらないだろう。オーブを集めて復活という試練も、如何にも勇者らしくて心が躍る
 
 また、ラーミアに乗っているときの曲もこれまた良い。透き通るような音色は、ラーミアの背中に乗って感じる風のよう。
 敵に会うことなくフィールドを探索することができるので、普段はその余裕がなくても、風景の美しさにまで目が行くようになる。
 視覚と聴覚で、風を感じ海の匂いを思い出すのだ。
 
 乗り出すともうしばらくはラーミアに乗りっぱなしになってしまうが、今まで徒歩だった分の苦労が報われる瞬間はたまらない。


勇者になりたかった私は……

 何度も言うようだが、私は勇者に憧れ騎士となった。
 今ではもう、嫌われ者で夢も志もない漆黒騎士になってしまったが……。

 そんな私の、奥底にしまって鍵もつけてしまった夢をすくい上げるように、ドラゴンクエスト3は私を勇者にしてくれた。
 ゲームキャラクターの勇者を動かしたのではない。私が勇者となって、あの世界を導いたのだ。

 《AND ACT BY ワビスケ》

 プレイ中、私は確かに勇者だった。
 
 画面越しに、私の夢を叶えてくれてありがとう。



 私はまだ暗闇を漂っている。
 私の鎧はいまだに黒く染まっており、光はささない。
 だが、異世界からゲームが流れ着いたおかげで、温かさは少しだけ取り戻されている。
 
 いつかこの鎧に光がともるまで、私は異世界のものに触れ続ける。


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