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米軍・自衛隊の「南西シフト」ーまた住民を見捨てるのか

阿部岳(沖縄タイムス記者)

やっと、止まった。今年6月23日の「慰霊の日」未明、自衛隊は日本軍の顕彰行為を19年ぶりに取りやめた。
太平洋戦争末期の沖縄戦で最後の激戦地になった沖縄島南部の丘の上に「之塔」は建つ。この丘で1945年6月23日に自殺した日本軍第32軍の牛島満司令官らをまつっている。沖縄の陸上自衛隊は2004年以降、牛島らが自殺した未明の時間に合わせ、トップを先頭に制服姿で、この慰霊搭に集団参拝を続けてきた。
牛島は、住民を盾にし、時に殺害した日本軍の責任者。自殺した日(組織的戦闘が終わったとされ、後年沖縄戦を記念する「慰霊の日」になる)以降も敗残兵や住民は投降を許されず、いたずらに犠牲を増やした。牛島が「生きて虜囚の辱めを受くることなく」と命令して死んでいったためだ。
その牛島を、陸自は大っぴらに顕彰してきた。初期には式辞で「沖縄を守るために戦った第32軍を、現在の沖縄の防衛を担うわれわれが追悼するのは大切なこと」と表明した。
戦後、民主主義国家の実力部隊として、日本軍とのつながりを断ち切って再出発したはずの自衛隊が、自ら後継者を名乗っているに等しい。本土決戦までの時間稼ぎのため沖縄を捨て石にした日本軍を「沖縄を守るために戦った」と述べるのは史実の改ざんでもあった。沖縄戦体験者らは「犠牲者を陵辱している」「自衛隊は本物の軍隊になろうとしている」などと厳しく批判した。

「参拝」中止の背景に何が

批判を浴びても「私的な参拝だ」と強弁し、昨年までかたくなに続けてきた集団参拝を、陸自がやめた理由ははっきりしていない。1つには今年6月、市民の情報開示請求で、陸上幕僚長まで参拝の報告が上がっていたことが判明し、中央トップを巻き込む様相になったことが考えられる。沖縄の軍備強化に向け、世論の理解に支障となるような要素を減らそうとしている、との見方も出た。
九州南端と台湾の間に連なる琉球弧の島々では、猛烈な勢いで要塞化が進んでいる。陸自はソ連・ロシアに備えてきた「北方重視」から、組織生き残りをかけて「南西シフト」に舵を切った。奄美大島、宮古島、石垣島には地対艦ミサイル部隊の新基地ができ、あるいは建設工事が進んでいる。種子島の隣の馬毛島でも、自衛隊基地建設に向けた調査が進む。
自衛隊は15年ほど前まで、公式の場では中国を脅威と名指しすることをできるだけ避けていた。「かの国」など、不自然だが慎重な言い回しを多用した。今は完全に吹っ切れ、中国の脅威を強調するようになった。沖縄のある将官は「開戦前夜」とまで言った。
中国の軍拡は確かに急速だ。しかし自衛隊の軍拡もまた事実であり、軍拡が軍拡を呼ぶ悪循環に陥っている。多くの自衛官が「備えは必要。いざとなれば戦争に行かなければいけない我々が一番戦争に反対なんです」と好んで口にするが、偶発的な衝突の危険性は明らかに増している。
何より深刻なのは、日本が米中の衝突に巻き込まれる懸念だ。バイデン米大統領は台湾有事に米国が軍事的に関与すると明言した。安倍晋三元首相の「負の遺産」の1つである安保法制は米国との集団的自衛権行使を可能にし、自衛隊を米軍の実質的支配下に差し出した。日ごろから米軍と自衛隊が緊密に協議する仕組みを設け、有事にそのままスライドする。主導権を握るのは米軍だ。
米陸軍は陸自と、米海軍は海自と、米空軍は空自と、それぞれ関東周辺の基地で中枢部隊が同居し、一体化を進めている。米四軍の中で唯一遅れていた海兵隊は、沖縄県名護市辺野古で建設が進む新基地に、陸自を招き入れようとしている。2015年、在日米海兵隊司令官と陸上幕僚長の現場トップ2人が、陸自を常駐させる極秘合意を交わした。海兵隊専用の基地だったはずが、地元があずかり知らないうちに、日米一体化を進める中枢施設に変わっていた。

高まる「沖縄戦再来」の危機感

この記事を私との合同取材で書いた共同通信の石井暁専任編集委員は昨年末、さらに驚くべきスクープを単独で放った。米軍と自衛隊が、台湾有事を想定した共同作戦計画の原案を策定した。海兵隊が自衛隊の支援を受けながら琉球弧の島々を転々とし、中国艦艇を攻撃するというのだ。
攻撃の足場にする島には、陸自ミサイル部隊が駐屯する奄美大島、宮古島、石垣島を含め、約40カ所が挙がる。撃てば撃ち返される。中国の標的になることは必至だ。海兵隊は逃げられるとしても、住民はどうなるのか。記事には、「申し訳ないが、自衛隊に住民を避難させる余力はないだろう。自治体にやってもらうしかない」という自衛隊幹部の率直なコメントが引用されている。
確かに、有事の住民避難は自治体の仕事とされている。しかし、奄美大島、宮古島、石垣島はそれぞれ5万人前後の人口を抱えており、短期間のうちに脱出させることは不可能だ。日米はそれを理解していながら、島々を戦火に巻き込もうとしている。
それは端的に、軍人より住民の犠牲が大きかった沖縄戦の再来ではないのか。沖縄では、かつてないほど危機感が高まっている。

(「I 女のしんぶん」2022年8月10・25日合併号)


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