【No.1325】自分の過去を否定することを怖がらないでー

マンガ『ブルーロック』を最新刊まで読了しました。今はスピンオフの『ブルーロック・エピソード凪』を読んでいます。

このマンガって、サッカーマンガというより、物語系の自己啓発本ですよね。きっと。

『エピソード凪』で、あるキャラが、急速に進化していくライバルを見てこう言うのです。

「こいつは「適応能力」の悪魔やー!(ガクガク)

それに比べて俺は…
自分を壊して失ってでも変わっていく勇気がないんだ…。」

過去の自分を否定するのって怖いですよね。

人の心って複雑で、黒歴史もイヤだけど、過去を否定するのも怖い。むずかしいです。

でもね、最近とある古文を見つけました

突然ですが、

本居宣長って、覚えてますか?

「もとおり のりなが」と読みます。
歴史の授業で聞いたことある人もいるはずです。名前の読み方が変で、なぜか覚えちゃう小学生も多いですから。

本居宣長は「国学」という学問を大成させた人です。ざっくり言うと、日本っていいよね!日本の文化・精神は最高だぜ!という学問です。

そんな本居宣長が、晩年に書いた随筆(エッセイ)に『玉勝間』という本があります。

『玉勝間』にこんな一節があります。ざっくりと要約するとこんな感じです。

ーー
同じ人物の学説に矛盾が出てくることは悪いとは言えない。むしろ研究の過程において矛盾が出てくることは当然である。

それは、進歩している証拠である。

昔の自分の説の間違いに気づいたら、潔く認めることは大切である。

例えば、国学のような新しい学問が起こるときは、最初から全てを考え尽くすことはできず、研究が進むにつれて次々に明らかになっていくものなので、昔の説と今の説が違っていることは当たり前だからだ。

人の一生も同じことが言えるはずだ。
ーー(ここまで)ーー

すげぇビビッときました。

昔の自分と今の自分に違いが生まれるのは【当然】であり、
むしろ【進歩している証拠】と書かれています。

つまり、周りの人から「おまえ、昔と言ってること違くね?」と言われても、

そうだっけ?とか、記憶にございません、などと、おどける必要は全くなく、

「そうだよ?俺は進化してるからな」と開きなおって良いのです。

むしろ「そう言うおまえは、進化してなそうだけど大丈夫か?」と攻撃しても良さそうなところです。

本居宣長が言っているのだから間違いありません。

ちなみに、上記の一節の続きはこんな感じです

ーー
自分にとっては、昔の説より今の説の方が優れていると考えがちだが

他の人が見たら、昔の説のほうがよかったという場合もあるだろう。

昔と今、どちらがいいかを選択するのは、それを見る人の考え方次第である。
ーー(ここまで)ーー

すると、ですよ。

どっちでも良いのです。

過去の自分を潔く否定し、今の自分を肯定するも良し。
いや、今の自分になってみたけど、過去の自分のが良かったかもと思うのも良し。

つまり、オールオッケー。全て善。

あなたの過去も今も、全て善なのです。

冒頭に紹介した『エピソード凪』のあるキャラは、上記のようなセリフを言って自己嫌悪に陥っていくのですが、

まあまあ、となだめてあげる人がいたらよかったですよね。(ブルーロックというマンガの性質上、それはありえませんが。)

変化した前も、変化した後も、どっちでもいいなら
「変化しない」というのもまた、良いはずなのです。

変われるやつはすごいし、憧れる気持ちもわかるけど
変われない自分もオッケーなのです。それも成長の過程のひとつなのだから。

そして、変わるタイミングがきたら、変われば良い。

ということで、今日も1日「優柔不断は誤った決定よりなお悪い」「あらかじめ○○していたら、あとで楽になる」という言葉を胸に、結果の有無に関わらず、人生と仕事を楽しんでいきましょう!

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