小説『ある日突然・・・』

主な登場人物
自分・・・定年退職して年金だけで貧乏暮らし、独身
父親・・・95歳、自分が食事の世話をしている
妹・・・市内の幼稚園勤務
村田さん・・・自治会長
サマ・・・パレスチナの報道員
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15:00 
ツイッターでガザの最新情報を見ていたらそのあまりの悲惨さに落ち込んでしまった。少し気分転換して近くのスーパーで父親の晩御飯の材料を買いに行こうと、パソコンチュアから立ち上がろうとしたら、何やら窓の外が騒がしい。なにか大勢の人間が集まっている感じだ。

窓を開けてみた。

そこには窓に面した道路から桃ノ木川の遊歩道までびっしりと人で埋まっていた。しかも皆、東洋の、日本の人間ではないとすぐわかった。浅黒い肌、白い肌、黒い肌さまざま。移民?どこの国の?アラビア語?ムスリムの人? 自分には、みんなパレスチナの、ガザの人みたいに感じられた。SNSのInstagramやX-Twitterで何ヶ月も見ていたガザの人たちそっくり。数百人はいるだろうか、ケフィエとかカフィーヤと呼ばれるスカーフを首に巻いた人、ヒジャブをかぶった女性もいた。でもそのような伝統的な衣装を身に着けた人は少数、みんな着の身着のままの様子。薄汚れて擦り切れた上下。大部分は裸足もちろん子供も。そんな人達が桃ノ木川の向こう岸の遊歩道にもひしめいている。そのむこうの県道沿いにあるパチンコ屋の屋根にも人が登っているのが見える、あれもきっとガザの、パレスチナの人なのだろう。
異臭が鼻を突く。みんな何日も風呂に入っていないのだろう。さらに中には腕や足のない、四肢欠損の人も多数混じっていた、片目が潰れた人、顔面がひどいケロイドに覆われている人、男も女も年寄りも。もちろん子供たち、両足を爆弾で飛ばされたのだろう壊れた車椅子をきしませている少年、手首のない少女。あらためてひどい状態のままなのだなガザは、と思う。
やがて桃ノ木川のあっちとこっち、向こうのパチンコ屋の屋上にも時間につれてガザの人?は増えてきている様子。自室の前はけっこう広い道路だったけれどすぐに自動車の通行は不可能になったようだ。そのガザの人の中からワタシの方へ身を乗り出してきた人がいる。2歳くらいの子供を抱えた母親だろうか、彼女の言葉、アラビア語?・・・がわかるはずないのだけれど、彼女の目を見たらわかるのだ、子供が便意をもよおしたのでトイレを借りたい、ということらしい。その母さんの目を見て、そしてちょっとチビったらしい子供から立ち上る異臭でそれとわかるのだ。それでもそこら辺で用を済ませるとか思わないところがえらいのだ。とにかくその親子をじぶんちに入れて家のトイレを使わせた。父親は自室にいるのだけれど、耳が遠いので全く気づかないだろう。18:00過ぎて空腹を覚えなければ部屋からでてこないし。トイレに行くためにでてきたら中東から来た友達だとか言ってごまかすし。「ほらいつか、じいちゃんに見せたフランス語の詩、あれ書いた人だよ。」とかなんとか。

その母子にトイレを案内したのだが、続いてわれもわれもとトイレ希望者が続く老若男女、トイレのことはトイレで済ます、礼儀をわきまえているのだな。ウォシュレットの使い方がわからない人は流石にいなかった。イスラエル占領軍に爆撃されて住居を失う前はみんな現代的で清潔な暮らしをしていたのだし。そんなで、じぶんちの1Fと2Fのトイレ2台は多分これから連続使用することになりそうだ。水道代もばかにならない。ま、父親が使用するときだけはちょっと待ってもらうことにする。と言ってもトイレ番だけをワタシはやっているわけにもいかない。夕方になれば父親の晩ごはんも作らなければならないし。と思っていたら良くしたもので、英語とカタコトの日本語も話せるガザの女性がワタシを手伝ってくれることになった。

見ると汚れているがPRESSのベストを着ているのだ。名前をサマといってサマとはアラビア語で空の意味ですと片言で説明してくれた。彼女はベストの文字とおりガザの報道人だったけれど今はカメラも失い同僚もほとんど殺されてしまって今はスマホだけでガザの現状を記録してSNSにアップしているのだという。「にほんにきょうみあたので にほんごべんきょうしました。」とのこと。アルジャジーラの人?と聞こうと思ったらまずはスマホの充電をお願いされたのでそこで話は中断。彼女はすぐに仲間のとこに戻っていった。サマちゃんそれなりにきれいな人なのでチトときめいてしまった。充電OK、トイレ使ってねサマちゃん。

トイレは行列ができている、トイレに続いては、やはりのどが渇いて水を飲みたいということで庭の水道を開放したが間に合わないので散水用のホースをだいどこの蛇口につないで勝手口から道路まで伸ばしてやった。もちろん水は出しっぱなし。水道代のことは考えないことにした。ここまでで、もうじぶんち一軒だけでは集まったガザの人の対応は困難と判断した、当然だ。それで自治会長の村田さんちに電話して応援をもとめた。村田さん、いたけどやはり自宅周りを異国の人が埋め尽くしているのでビビって施錠して閉じこもったまま警察を呼んだそうだ。しかし小一時間たってもサイレンの音も聞こえないという。警察も忙しいのだろうなとは思うけど、とにかく今いるガザの人たちに水とトイレを与えなければならないと話をしたら協力してくれることになった。なんたってサマちゃんのカタコト日本語がよかったらしい。村田さんは町内会の各家に電話して、今、町内に溢れている外国人は危険はないこと。みんなトイレと水を欲しがっていること、強制はしないが自発的なトイレ水道水の提供は自由にしていい、むしろ町内会としても推奨するから、と話してくれた。

町内の家数件が水道とトイレの使用を申し出てくれたらしい。これで大丈夫、かといえば今度はお腹が空いてくる、こうなると料理をつくるというより炊き出しという呼び方になる。この人数の食事だから町内会の各家庭で調理した食べ物では到底追いつかないのだ。村田さんが近くの小学校にかけあって市の集団給食施設の使用を取り付けてくれた。でも一箇所で間にあうのかな?
給食施設にまかせておかないで自分もできる範囲で「炊き出し」の真似ごとをしようと思った。炊き出しだからコメの追加が必要、コメを買いに行こうついでにこの際父親の晩御飯はズルしてほっともっとのおかずのみで済ませてしまおう。それとこの状態がどれだけ続くのかわからないから現金もおろしておこう。ATM、スーパーマーケット、ほっともっと。自分の頭の中に各ポイントの道順を描いてクルマに向かう。ガザの人たちはすごい、みんなトイレも我慢しているのだろうし喉も乾いているのだろうけれど、ちゃんと列をつくって並んで待っている。弱って動けなくなった人もいるみたいだ、救急車は何度もよんだけれどパトカーと同じく電話の応答がないなぜなんだろう?買い出しの立ち寄り場所にドラッグストアを脳内で追加しながら車に乗る。PRESSのサマちゃんにはあらかじめ最低必要な医薬品などのリストはつくってもらっている。けれどドラッグストア一軒買い占めても全然足りない薬包帯、ガザの名前の元になったガーゼも。あと子供用のミルクおむつ生理用品。こうなると個人とか町内会の対応範囲を遥かに超えているのだけれど市とか県そして国はどうしているのだろう?TVのニュースはいつものように当たりさわりのない内容だしドラマはこの時間再放送だしニュース番組という実はバラエティ番組は寒い笑いをいつものように繰り返している。これってもしかして国家規模の報道管制とか情報操作やってない?という疑惑が浮かんだけれど、今は当面の難関、ガザの人たちに食事を作ること、これに集中する。

と買い物リストに更にメモ一枚、サマちゃんのひらがな日本語・・・なになに「にちぼつの れいはいが はじまると くるまだせなくなるから はやくね」そうかあれだけの人間が一斉にひれふすのだから簡単に通り抜けられるはずはない。自分は急いでクルマに乗りクラクションをならしながら人をかき分けノロノロと進む。通り過ぎたときに男性が「Oh,TOYOTA」と叫んでいた、ちがうよDAIHATSUだよ。

はしりだしてわかったのだが、うちの町内をはじめ隣り合っている町内でもこれら異国の人たちが溢れているらしい、この人たちがいきなりガザからこの街のここに現れたのならば、自分の知る範囲ではラファフに避難してきた人は100万人以上いるらしい・・・その一部の人がここ群馬県利根市国宮町に現れたとしたらそのかず数万からもしかしたら数十万・・・この思考のむこうには無限に近い、なぜ、疑問、問い、があるのだけれど、今はお腹をすかせたみんなに温かいご飯を食べさせたい、それが優先になるのだ。・・・そこでやばいことを思い出した。

わっ、ハラルだハラルだよ。
早速村田自治会長にスマホで連絡してハラルのことを伝えた。そしたら最初にそれもサマちゃんから聞いていたらしい。そのハラル対応を給食センターに依頼したら対応はなんとかなりそうという答えをもらったという。豚肉とか使うからややこしく面倒なので給食センターではイスラムでは禁止食材になっていない「米」をひたすら炊いているのだという。それも呼び出された給食センターのおばちゃんたちもガザの窮状のことはよく知っているらしく同情してくれているらしい。で、念のため、あの超大型なお釜で洗米するときと炊飯するときは「アッラー・アクバル」とおばちゃんたちは唱えているという。
それを聞いて自分は少しホッとしたのだ。おかずはないけどお米はいっぱい食べれるんだ。ひよこ豆のなんたらという料理にはほど遠いけれど少なくても銀シャリでお腹がふくれればいい、などと考えているうちに買い物は済ませた自分の銀行預金もATMで下ろせる限度額をおろしておいた。

医薬品やらトイレットペーパーを積んでじぶんちに帰ったのは日没時の礼拝が終わったあとだった。村田さんからメールが入っていた。着信が何度かあったけれど物品の購入とかで忙しくてでられなかった。メール読むと倉賀野と伊勢崎のモスクに連絡がつき以前から日本にいるムスリムの人がハラル料理を用意し始めたそうだ。今晩のは間に合いそうもないので取り合えす各モスク手持ちのオリーブオイルをすべてガザの人たちのためにつかってもらうということらしい。米を使ったアラブ料理など自分は知らないのだけれど銀シャリにオリーブオイル、なんとかそれらしい味になるのかな、と思う。

19:45 もうすぐ銀シャリ輸送班第一陣が到着する予定。オリーブオイルとイスラムのスパイスは少し遅れるらしい。車からおろした粉ミルクやオムツ石鹸など衛生用品を母親たちのグループに渡した。これは現物を見てもらえば何も説明する必要ないのだ。
クルマから降りて気付いた、今夜は5月なのに冷え込むのだ。そういえばガザはもっと温かい気候なのだよなと思っていたが、この気温15.7℃薄曇りの夜にガザの人は水道水で身体を洗っているのである。真夏ならともかく寒いだろなできればみんな温泉に、伊香保にでも連れて行ってあげたい気持ちは山々なのだが。赤ちゃんと子供だけは各家の家風呂を手分けして使用してもらう。女性は・・・どこからかブルーシートを見つけてきてうまく仕切ってシャワーというかホースの水で体を洗っているらしい。何箇所かで焚き火の火がおこっていた。赤ちゃんに温かいミルク。

20:00 そうだ使ってない毛布とかと思いついて家に入ってから思い出した。父親の晩ごはんはいつもは18:00なのに今はそれから2時間も過ぎている。父親は腹をすかせていると思いきやリビングでサマちゃんと談笑している、こういうときはちゃんと補聴器をつけているのだな。空腹よりも若い女性と話すのが楽しいのか・・・といっても片言しか話せないサマちゃんと難聴で補聴器あってもなお聞こえづらい父親の喋れないものと聞こえないものでコミュニケーションがシンクロしたみたいだ。父親が昔の家族のアルバムを、よりによって自分の幼い頃の写真をサマちゃんに見せていた。市民プールにはじめて行って水が怖くてなきべそかいている自分。父親のヘラヘラした笑顔が恥ずかしかった。軽い殺意。とにかくほっともっとのチキンタツタとおかゆで晩ごはんをこしらえて父親の部屋に置いた。「じいちゃん、晩ごはん置いといたからね。」流石に空腹だった父親は素直に自室へ。

サマちゃんは真顔になっている、父親とは話を合わせていただけらしいアタマいい女性なのだ。外を見るとやっと銀シャリ補給部隊第一陣が到着。人をかき分けて道路の奥からオリーブオイルの一斗缶を台車に積んでやってきたのは市内のムスリムの人なのだろう。サマちゃんはみんなのところに戻る。これから必要なのは寝具とか寝袋なのだけれどそのようなものは調達できるはずもなく、大多数は焚き火の数を増やしてなんとか暖を取りながら道路にじかに雑魚寝するわけなのだ、風邪ひかないといいのだけれど。妹からLINEがきていた、職場の幼稚園近辺でも同様にガザの人が溢れていて幼稚園を開放して子どもたちを園内に収容して世話をするという、だから今夜は帰れないらしい、そうか、それでいい。じいちゃんの世話はまかせてね。

22:00 オリーブオイルかけ銀シャリライスは瞬く間になくなり第二陣の銀シャリ補給も完食。ガザの人にしてみればこんな食事でもありがたいのだ、とサマちゃん。
サマちゃん、食事はと聞いたら、まだ食べてないと答える。考えてみたら自分も朝食だけしか食べてない。いつもなら父親が食べたあとには夕食を食べているのだけれど。父親はもうほっともっと食べ終わって寝ている様子。自分はサマちゃんをリビングに呼んで一緒に食事をすることにした。もちろん今後のことも話し合いたいし。ハラルとか細かいことを言ったらきりないのだけれど、紙の皿にのった白ご飯にオリーブオイルだけだから味気ない、冷蔵庫から海苔の佃煮を出してサマちゃんにすすめたけれど結局食べなかった。

それでも食事をしたら猛烈に眠くなってきた。サマちゃんも同じ様子、爆撃と狙撃の中で暮らしてきたサマちゃんたちが戦闘機や機関銃装備のドローンや占領軍のブルドーザーの音に怯えず眠れるのは8ヶ月ぶりなのだ。サマちゃんには自分のベッドを使ってそこで寝てもらおうと思った。下心はまったくない念のため。ヒーターもあるから夜明けでも寒くないし、外のみんなには悪いけれど野宿よりはずっとましだろうし。そうサマちゃんにいったら「わたし ここでねる みんなみえるとこでねる」と返してきた。つまりこのリビング東と南に大きく窓があるからここのソファで横になっていたらあの集団に何かあってもすぐわかる、ということなのだ。なるほど責任感の強い子だ、いや女性だ。それで三人がけのソファを窓ぎわの外が見える位置におきなおした。サマちゃんはそこに座って外を見ながら休むのだという。毛布を一枚ほしいと言った。エアコン暖房も使えるからと言ったのだけれどこれで十分といって衣服はそのままで毛布から首だけ出している、横になると窓の外が見えないらしい。ではおやすみと言ってリビングを出ようとしたら
طاب مساؤك 
という声がした。
そのすぐあとで「ちょっとこっち きて」と日本語。自分はちょとためらってからサマちゃんと同じソファで同じ毛布を、やはり首までかぶってみた。彼女の体温と匂いが伝わってくる。彼女はそのまま動かない。リモコン手探りで照明を消した。こうすると反射や照り返しに邪魔されず外の人達の様子がよく見える・・・ということは外からもこのリビングがよく見えるということなのだ。そうなのだそれでいいのだ。

雲が晴れて星空が見えた、また気温が下がったようだ。見えるのは星の光と焚き火だけ。寝静まった町内は静かだ。ガザの人たちも静かに寝ている様子。寝るときは家族が集まってというわけにはいかない、みんな家族の誰かを殺されている、もしくは自分以外の家族全部が殺されている人もいる。だからひとかたまりで寝ているとしても家族とは限らない。身寄りのない人孤児たちも肩寄せ合って焚き火のそばで固まって寝ているのだ。

サマちゃんはすぐに寝息を立てはじめていた、無理もない行き場も逃げ場もない場所で追い詰められ一方的な殺戮にさらされてきたのだから。もしかしたら彼女も同僚以上の親しい人を殺されたのかも知れない、彼女の閉じたまぶたの端っこに光るものがあった。サマちゃん、ゆっくり眠らせてあげよう、サマちゃん寝てても自分がこのガザの人を見ていてあげる。なにかあったら起こしてあげる。もうすぐ日付が変わる。

・・・静かだな・・・この静けさが平和なのだ、と思えた。
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ここまでこの長い話を読んでくれたあなたに感謝します。
「ガザの虐殺をやめろ」というスタンディングやデモに何度か参加してきました。でもそのことを友人に話すと「むずかしいね。」「可愛そうね。」の一言で話題は終わりという場合が多い、多すぎ、なのでなんとか、ガザのことに関心を持ってもらいたくて書き始めた話なんです。
論理もなんもないぐちゃぐちゃなフィクションです。不真面目なと怒る人も当然いるでしょう。ごめんなさい。

それでこの物語の結末はいくつかパターンを考えているんですけれど、知りたいですか、なに勝手にやれ?そうですかでは後日、というよりいつになるかわからないけれど、ある日突然結末を書き足すかも知れません。まあそんなとこでよろしくです。久しぶりですね、こんな長い文章書いたのは肩凝りました(^_^:

※特定非営利活動法人Dialogue for Peopleの取材レポート
2019.6.20
【現地の声】パレスチナに生まれて ―ふたつの支配という日常―
を参考にしました。

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