長野の和製フレンチファッションの伝道者。当時の真相をrdv o globe前淵氏に学ぶ。
長野県上田市を代表する古着屋「ヒノメ」の2階に店を構え、80年代の日本ブランドを中心としたセレクトを行う古着屋「SNOB」代表で、現役大学生の市村修蔵氏(21)。
前回は彼がなぜ伝説的ファッション誌「Olive」に魅了されたか?についてご紹介した。
今回はSHIPSのディレクター兼バイヤーとして、1991年にParis、Marcel Lassance(マルセル・ラサンス)氏と契約を結ぶなど、当時フレンチファッションの最前線にいたrdv o globe(ランデヴー オー グローブ)前淵俊介氏に、市村氏が体験し得ない真相や空気感をお伝えいただいた。
-前淵様が洋服を好きになったきっかけを教えてください。
VAN(60-70年代にアイビーファッションを打ち出した日本ブランド)にも、その後のDCブランドにも全く興味なかったね。ブルックス ブラザーズとかラルフローレンが出てきた時のアメリカ文化が好きで、現地に行って当時の輸入物の本物を着ていたからかな。
-ミウラ&サンズ※への入社された経緯を教えてください。
高校時代からミウラ&サンズに通って、大学に入学してからはずっとアルバイトをしていたよ。当時のアメリカカジュアルの輸入物だとBEAMS、ミウラ&サンズしか扱っていなかったからね。
-ミウラ&サンズでどういった仕事をされていたのでしょうか?
最初はお店に立っていたね。スタッフごとにパンツ担当・靴担当など役割分担があって。当時は店舗主導でバイイングしていて、今の小さい地方の店舗は売りながらスタッフが仕入れに出ていたよ。
- マルセル・ラサンス※を任された経緯を教えてください。
約35年前、マルセル・ラサンスが日本にも少しずつ入ってきていて。その当時はフランスから手持ちで持ち帰っていた。そういった経緯もあってSHIPSで契約を結んで、その時に担当者に任されたんだ。
- 当時の日本の店舗とフランスの店舗では商品は異なったものだったのでしょうか?
フランスの店舗も日本の店舗も全く同じものを持ってきたよ。
- マルセル・ラサンスの店舗内装はどういったモノだったのでしょうか?
当時の資料を見せるよ。ちょっと待っててね。
- このコートはもしかしてサイエンス・ロンドン(当時マルセルラサンスで扱われていたブランド、モッズコートやムートンジャケットが有名とされている)ですか?
ラサンスはデザイナーだからデザインはラサンスがして、ティム(サイエンス・ロンドンの創業者Tim Wallinger氏)が作っていたな。
あとオールデンは元々バーガンディの靴しか作ってなくて、黒のコードバンはラサンスが初めて作らせてたね。
マルセル・ラサンスの店舗には味付け程度にセレクトはあったけど、基本的にはラサンスのデザインしていた服がほとんどだったかな。
- 当時のショップの多くはセーターのカラーバリエーションを豊富に展開していた思うのですが、マルセル・ラサンスも同様だったんでしょうか?
グレンマック(スコットランドの老舗ニットブランド)のニットや、エルベ・シャプリエ(フランスのバッグブランド)の色出しもラサンスが手がけていたから多種多様にあったね。ラサンスの前職がテキスタイルデザイナーだったから、その影響もあるかもしれないね。
- 当時のPOPEYE(平凡出版株式会社、現・マガジンハウス)では、マルセル・ラサンスは、FDG(エフデジェ)※やBCBG(ベーセーベージェー)※と定義されていましたが、現在ではフレンチトラッドとされると認識しています。当時と現在の定義・評価についてどのようにお考えでしょうか?
当時もフレンチアイビーは日本でしか通用しない言葉だったよ。FDGやBCBGも言葉でしか言われていなかったかな。
- 当時様々なフランス発祥のセレクトショップがあったと思うのですが、どのような印象をお持ちでしたか?
オールド イングランドなどクラシックなお店もあったけど、マルセル・ラサンスは上流階級というかキュレーションするお客さんが来ていたね。
ハリスやエミスフェールなどは、所謂セレクトショップでデザインができなかった。
- マルセル・ラサンスでの1ヶ月研修の際に「雑多に並べた商品から自分でお客様にコーディネートを提案する」という助言をラサンス本人からいただいたそうですが、その他の助言で印象に残っているものはありますか?
ラサンスはバランスを大事にしていて、洋服のコーディネートを店頭での接客時にジャケット・シャツ・タイをそれぞれクラシック・ファッション、カジュアルファッションなど3種類は提案していた。
ラサンスだけは他と全然違っていた。ミスターミリメーターと言われるぐらいシャツの一型だけで何パターンも作ったりしていたね。
- ここからSHIPで物件探し、店舗内装から商品のバーイングまで全てを実施されていたルグローブについてお聞きしたいのですが、ディレクションはどのようにされていたのでしょうか?
ルグローブはSHIPSとは関係なく、内装も自分で好きなようにした。内装は日本の建築デザイナーの岡部憲明さん※に手がけていただいた。岡部さんが手がけたロマンスカーと同じ設計で、ルグローブの天井も波打たせるような内装にしたんだ。
- 商品ラインナップはどういったものだったのでしょうか?
ラサンスのブティックが代官山とかにあったけど、閉店すると聞いていたので、ラサンスのコレクションを入れながら、デビューしたばかりのケイシーケイシーだったり、仲が良かったからグイディなども入れていたかな。
- ご自身のバイイングのセンスはどうやって磨かれたと思いますか?
ラサンスばっかりで飽きちゃうから、たまにデニムも履いてみたり。年間200日ほどはバイイングに行っていたので、それで身についた部分が大きいね。
- 一方で、現在やられているrdv o globeのセレクションは、モードやアルチザンといった要素があるように感じていますがどうでしょうか?
昔から手作り感は好きだったかな。ウエスタン・インディアンジュエリーとかね。元々みんなと同じファッションは嫌だったね。
- rdv o globeのコレクション中世ヨーロッパの服作りを原型としていると感じています。この年代の衣服の魅力についてどのようにお考えですか?またインスピレーション源を教えていただきたいです。
インスピレーション源は中世ヨーロッパが多くて、イギリスのヴィクトリア調のカッティングにワークとかミリタリーを混ぜているかな。
うちはコピーみたいなものは作らず、ちゃんとクリエイションをやっている。雑誌もほとんど見ないね。情報を入れすぎちゃうとコピーになるから自分の頭の中で考えてるよ。昔の軍物でポケットで扱いがよかったからそれを応用をするぐらいはあるけどね。
ブルックス ブラザーズとかを買ったことはあるけど、趣味の洋服というより無難な制服の感覚だよね。アメリカの使い捨てで量産して、新しいものを作って、使っても嫌いではないけど、みんなが着ていない新しいものの方が好きかな。
- セレクトブランドはどういった基準で入れられているのでしょうか?
変わらないから取り扱いを変えてもいいかなということもあるし、ヨーロッパに友達が多いからその友達のモノを入れることもある。ルグローブから今までずっと買い付けからデザインまでしているよ。
- rdv o globeの縫製はどういった場所を使われているのでしょうか?
前は縫製工場は阿佐ヶ谷の小さいところにお願いしていたんだけど、廃業してしまって、今は広島・福島・新潟など様々。マスに商売をやりたくないし、一点ものが好きだから、良いお店にちょっとずつ卸して長く置いてもらっているね。
-古着やヴィンテージに対する見解を教えていただきたいです。
ヴィンテージを持っていて作る人もいれば、趣味で集めていた人もいて。正直、古着ってあんまり好きではないんだよね。人が着たものは着たくないかな。フランスの倉庫からデットストックを買い付けていたり、昔はそういうのも好きで買ったりしてたけど、もう着ないから人にあげたりここで売ったり。
普通に着れる洋服が好きで、奇抜なものは興味ない。rdv o globeでは着たいもの・好きなものを作っているね。
- 洋服の作りはどういった所で学ばれたのでしょうか?
SHIPS時代にバイイングとか作り方とかを学んで今があるね。
- これからのアパレル業界の動向?ユニクロなどのファストファッションの台頭についてどのようにお考えですか?
ユニクロに入ったこともないよ。うちの洋服の中はヒートテックとかは別にいいけど自分は興味ない。ユニクロができたおかげで、年配の人のファッションがゴルフウェアから少し普通になったというところもあるけどね。
自分の道は、世界的にコアになることはないと思っている。一部の人は買うだろうけど普通の人はトップブランドを選ぶよね。
- 貴重なお話ありがとうございました。
rdv o globe
〒150-0011 東京都渋谷区東2丁目22−1
公式HP:https://www.rdvoglobe.com/
Instagram:https://www.instagram.com/rdv_o_globe/
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