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JAL123

1985年8月12日の月曜日JAL123便事件

速度108knot機首39゜の状態「頭上げろ、頭上げろ、パワー」「ストールするぞ」 「真っ逆様に落ちて行きます。窓の外の景色がどんどん変わりました。機体は何回かガクンと方向を下げて(7変則的旋回…事故調査委員会報告の大月上空に移動。実際は秋山村で円形)行きます」生存者吉崎博子氏 最後迄右旋回する為に努力したと認められる。「上空700~800m付近を飛行機が旋回しながらゆっくりと降下、北北東の三国峠の岩蔭に墜落閃光をあげて激突する」川上村伊藤剛氏 北緯35度59分54秒。東経138度41分49秒。横田タカン302度36マイル。入間タカン291度36、3マイル。群馬県多野郡上野村大字楢原字本谷3577番地国有林76林班内。墜落現場付近東大地震研究所に微小地震 3波有り 18:56:50…1秒で減衰 18:56:53…1秒で減衰 18:56:55…10秒近く尾を引く(後で事故調査委員会の墜落時刻に合わせます。) 一本唐松(樹齢202年)地表から14m鋭利刃物切断した様に直径30cmの太さが折れている。 一本唐松通過後50~300m付近第4エンジン破片落下…フライトレコーダー第4エンジン出力0% 唐松より500m45度以上傾斜右翼の先でレ字形を尾根に残して進入方向へ木をなぎ倒す。機体後方接触し18:56:47圧力隔壁破壊音 18:56:50記録終了 距離600m数秒背面飛行後…迫撃砲命中(救助者桜マークの入った破片が、遺体の皮膚に食い込んでいるのを発見。桜マークは、陸自96式自走120mm迫撃砲)して真直ぐ落下(写真添付7)する(主翼周り立木そのまま。破裂損傷遺体が、針葉樹の燃え易い木々の高い木立ちの上に引っ掛かる)その後に小型核爆弾(事故調査委員会掲載写真には、レーザー加工模様の金属疲労。セシウム系同波長加工230nm毎に金属疲労の進んだ一瞬の現場を理解させる。報告書は、一定の力が加わり規則的疲労発生。金属疲労大部分は疲労の波長から紫色の閃光が、一瞬発生と想定してます。類似ケースには、セシウム系電子銃の発色…紫色の閃光は長崎原爆で目撃)か高性能爆薬を使用する。 遺体の皮膚破れは熱線。地表約1m掘る必要が有りそうして元の地表露出して遺体発見。強烈なキノコ雲の上昇気によるもの。 土の中から炎が燃え上がるのが、ホットスポット現象。放射性降下物のフオールアウト(長時間火災)有り。17:30群馬県藤岡市付近に自衛隊と機動隊進出。18:30上野村手前の山中で、民間車両の検問を開始。19:00秩父近くの三峰口(御巣鷹山直線距離約26km地点)を自衛隊車両何台も通過。道路封鎖する警官「重要な物が落ちているので、其の処理が終わる迄通行止め」19:10米軍横田基地所属C-130輸送機現場到着。基地に一報。 19:21百里基地所属F-4EJ2機は、20分旋回後一報。 19:30上野村樽原地区自衛隊進出し信号弾。20:00上野村三岐待機自衛隊一群到着。待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺NHKニュース初報。20:30米軍横田基地所属C-130輸送機掩護要請で到着した座間基地所属の救難用ヘリコプターUH-1ラペリング。懸垂降下開始する。中止命令発動。ヘリコプターへ徹収し基地へ帰投。20:42百里基地所属救難用ヘリコプターKV-107到着。 「山の中腹に炎が10数箇所出ていた。夜と言っても明るさがあるので山の稜線がはっきり見えた」大森泉一尉電話インタビュー。21:00信号弾合図で、上野村三岐待機自衛隊一群が、浜平方面から墜落現場へ。 墜落現場で何を行ったのか。自衛隊無線傍受者「熱い、熱い」断末魔の音声傍受情報。生存者川上慶子氏が語る。妹「咲子は、『姉ちゃん、苦しいよお。息出来無いよお』しばらくしてゲロゲロ吐き出して動かなく成り」毒瓦斯兵器(証拠残らず腐乱促進)噴射し生存者殲滅作戦。翌朝に自衛隊の化学防護隊出動(人体に特別悪影響の無い積み荷のアイソトープ回収目的に使用と表向き。3000人程の自衛隊員防毒マスクを付けて作業する。)墜落前垂直尾翼の機体後部残存は、墜落直前写真撮影(写真添付8)の分析から55%欠損し45%存在。現場回収時10%未満。(写真添付9)21:06朝日新聞東京本社の双発ジエットヘリコプター『ちよどり』現場到着し、羽田空港から304度方向60マイル(正解)報告。航空地図から群馬県側確認し、記者等原稿と写真を送る。21:30捜索開始命令下令。(ニューズウィーク誌) 8/13(火曜日)自衛隊対策本部の広報担当者発表「自衛隊ヘリの捜索0:30一旦打ち切り5:00以降再開」0:36埼玉県入間基地所属KV-107から加藤長官指揮。入間基地タカンから291度36、6マイル報告(正解)4:00過ぎ深井純一立命館大学教授はゼミ生等4人素人救援隊組織して、長野県南牧村宿泊先を車で出発。4:30群馬県上野村で警察の検問に阻まれる。 4:58日の出 5:10V-107ヘリ投入。立川基地OH6ヘリ投入。5:30過ぎ生存者確認の第一報。5:37長野県警ヘリ『やまびこ』御巣鷹山南南東約2km。県境から東方700m。機体散乱現場は群馬県側。 7:00深井純一立命館大学教授はゼミ生等4人素人救援隊南相木村の川沿いの林道から入山開始 7:15自衛隊は、レンジャー部隊を吊り下ろす。8:49墜落現場でV107ヘリ垂直尾翼残骸を一部吊り上げ。9:00前に深井純一立命館大学教授素人救援隊は現場到着。 自衛隊ヘリ「貴方達は生存者か」と発声。消防団員2人9:00過ぎ到着。 男24~26歳髭を生やす。男子小学6年生~中学生。女子涙流して「怖い、怖い」。3人を発見。(投げ出され負傷した女子が生存者との情報ニューヨーク報道)あり4人「長野の方から来た」と慌てて下山。 9:25長野県警レスキュー隊ヘリ『やまびこ』より2人現場下2、3km地点降下。9:30上野村消防団第5分団の一行が獣道より現場へ。 途中沢伝いに下る4人連れに遭遇 3人は中年男性1人は男子中学生。 10:15群馬県警機動隊が上野村猟友会の案内で現場到着。林の中を走り回っている男の子発見される。10:30多野総合病院に生存者4人ヘリ移送連絡有り。 10:40長野県警レスキュー隊が現場到着。尾根上73人空挺団降下中確認。10:54上野村消防団6人と長野県警レスキュー隊2人合流。10:54~11:40落合由美(26)氏 発見から救出迄 11:03吉崎博子氏(35)吉崎美紀子さん(8)発見と救出 11:05~11:25川上慶子(12)発見から救出迄 11:30フジTV現場より生存者救出生中継 1人の女の子は担架に乗らない程元気救助隊員に抱かれていた。他の2人は毛布を被されている為男子の性別や傷程度ははっきりしない。記者の1人は、7~8歳の男子が担架に乗せられて運ばれるのを目撃した。現場の尾根を挟んだ裏側から自衛隊のヘリコプターへ。 12:00仮設ヘリポートに搬送。 13:29生存者4人の自衛隊ヘリへの吊り上げ収容始まる。 14:08落合由美氏と吉崎博子氏が14:12には吉崎美紀子さんと川上慶子さん藤岡着。多野総合病院収容14:15。15:00落合由美氏に初インタビューが入る。  

ロズウェル事件の真相(1947年)

グレイの小型円盤を回収した米軍
UFOと宇宙人の存在を確認した米政府
米軍・米政府内に秘密組織MJ-12が誕生

ケネディー大統領暗殺事件の真相(1963年)

1947年から16年後
JFKが大統領となり
テキサス州ダラスで
UFO/宇宙人の存在を世界に向けて発表する予定だった

これを暗殺という形で阻止したのがMJ-12/CIA
地球は古代から地球外生命体によって管理統治されていた

1985年8月12日の事件の真相

地球人もそろそろ地球外生命体とUFOの真実に向き合う時が来た

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